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海と私と、あの子へ。【再掲】

海のことなんて意識して生きてきた事なんてなかった。

私の生まれた町は魚町。
雨が降る前に、港の方角から微かに少し生臭いにおいが漂ってくる。
それは小さい頃から知っていた。
古傷が痛み出す前に、洗濯物を取り込む母親の姿。
なんの不思議もなかった。

夏の終わりになると、「親戚なのか知り合いなのかもうわからないけれど顔見知り」みたいなおじさんが
発泡スチロールの大きな箱に、今揚がったばかりだという秋刀魚を入れて運んでくる。
新鮮な秋刀魚の刺身をつまみながら、父親は満足そうにテレビを観ている。


中学生の頃、仲のよかった友達と「自転車で海まで行ってみよう」ということになった。
あの頃、海は近いようで遠い場所だった。

海でなくてもよかったんだ。
くだらない話をして笑いながら、好きだった男の子の背中を追いかけながら
自転車を漕いでいくことだけが目的だったから
行き着いた先が生臭い水産加工の工場と製紙工場があるだけの、想像していたみたいなきれいな海岸のある場所じゃなくっても満足だったんだ。

排水でにごった海に足をつけながら
目の前にかかる大きな橋と、その先にある水平線は
それでもきれいだった。

日常はずっと変わり映えなく続いて
誰かが生まれて
誰かが死んで
平凡な営みの中の穏やかで優しい時間

こうやって人生は過ぎていくのだと
生まれた町を離れても
あたりまえのように思って生きてきた。



あの日見た橋の向こう側から
大きな波がやってきて
大切な人を突然に、本当に突然に奪っていった
それは抗う事のできない圧倒的な力で

遠く離れた場所でなにも出来ず
あの子も死んだ
あの人も見つからない
あの日一緒に海に行った男の子も
あの海に連れて行かれてしまった


私の町のことなのに
私は部外者で
一緒に悲しむ事もできなかった。
さよならも言えずに
もう誰が死んだっていう話を聞きたくなくて
友達と連絡を取るのをやめてしまった。
海辺のあの子が生きているのか死んでいるのか今も確かめられない
もうきっと、確かめる日は来ないだろう。



海は好きだ。
凪いだ海を見つめて風を受けながら
一日中だってそこにいられる。

それはあの海の景色と違うからなんだろうか
私は薄情な人間なのだろうか。
そんなことをずっと考えている。



母を亡くした友人が
すごく穏やかな笑顔を取り戻していて安心したけれど
もしかして、ちゃんと悲しむ事が出来たからなのかもしれないと思った。
時間は優しいのだと
彼女は言った。



ずっと若い頃から看護師として見つめてきた生と死だけれど
あの日、死生観は覆されて生き方も変わった。
よい人間になりたい。
あの町に生まれ育って
遠く離れた街に暮らしていることに、きっと意味はあるはずなんだから。


私が私であること。
生きていくのは辛いこと。
でも生きていることを責めるような人生は送りたくないから
幸せになることを恐れずに
前を向くんだよ。

それでいいんだよね?

(空を見上げたら君を思い出したんだ。
だから書いたんだよ。言葉足らずだけどやっと言えたんだ。)

              2014.10.7 JUNKO



追記・2011.10 石巻市南浜町にて


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