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感情がわからなくなった話

我慢をしていると何が好きなのかわからなくなる

嫌なものを手放して少しでも好きと思えることを意識していくと好きなものが見えてくる


このテのメッセージは、最近色んなところで目にしますが、これホントに大事だと思います。

これからは特にそう思います。根拠として色々思うところはあるのだけれど。

SEだった頃、、、

ある程度年数を経たあたりで仕事で怒ることが多くなりました。
まぁ、多いのは現場視点で上の判断が納得いかない、といったよくある感じで・・・

上司を呼び出して、理路整然とここがおかしい、あれがおかしいと並び立て、
上「そりゃ、、すまん」
「謝って貰いたいんじゃないんですよ!どう対策をたてるんですか、です。」

と詰めることも。

ふと、周りを見るとそんなことをやっているのは自分だけ。

そして、ほとんどがのれんに腕押し状態、というか上から見たら
また面倒なやつが始まった、ほとぼりが覚めるまでいなしておこう

でしかなかったでしょう。


問題の本質に真正面から向き合わない方が良いことが多い組織もある。
(とりわけそっちよりでした)

怒ってもあまりに意味がないのと自分がすごく幼稚に思えてきて少し反省。
うまくやる人がやっているように、何事も

「仕事として」
与えられた環境内で従順にシステマチックに解決しようとする

人を嫌わない嫌われない

上の気分を損なわない

といったことをおさえないと評価されないし、何より組織人として成長出来ていない気がしました。

そして、愚痴ることもやめ、真面目にそれを心掛けるようになって2年程して、、、

ある時、上司とすごく下らない徒労を伴う業務上のやり取り(その上司が無自覚に作り出している)を雑談も交えて「ハハハ」と笑顔で会話もして終えたところでふと、

アレ?
おれこの人嫌いだったんだっけ?

え?今楽しかった?
何で笑ったん?

自分の感情がわからなくなっていることに気が付きました。

何だかよくわからないけど、
これは結構ヤバイな、と焦りました。

かと言って以前のように怒ってもしょうがないしー

とぐるぐるして、、、

その時は、
もうちょっとバランスを良くすりゃいっかなー、
で済ませたけれど、それが後々仕事を辞めるきっかけの一つにもなりました。

どんだけ生活が安定していても今後一生の大半を上記のような不健康さと付き合っていくこと、
そんな人生でいいんだろうか。

そして、自分の事は二の次で家族の為だ、としても

そんな背中を子供に見せていて良いのだろうか。

日々萎えているのが伝わっちゃうだろうなー
自分だったらそんな父ちゃん嫌だな。

今思えば、
好きがわからなくなるどころか

何が嫌で何を我慢しているのかもわからなくなり

さすがに安全装置が働いたのかな、と感じます。

もちろん、
これを些細な事のようにうまくあしらう、私から見れば超人的な人もいるのだけれど・・・

今では仕事を辞めた事を何も不安に思わない精神状態を維持できる程(良いのか悪いのかww)、心を大事に出来るようになりました。

それを糧に何を成すのかに取り掛かっています。

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