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YouTubeの感想部屋『小さな主語で語ろう』~#孤立を防ごう ウィズコロナの難民支援を考える 編~

YouTubeの感想部屋、第二回もD×Pチャンネルの動画の感想を書いていきます。

★第一回はこちら

1.不安はニーズだ

(堀潤さん)これが足りない、これができない、これが心配だって言ってもらえれば、社会起業家や民間企業、行政も次の動きを考えることができる

当たり前といえば当たり前のことなんですが、不安なことって自分の中で悶々ととどめてしまいがちな人も多いんじゃないかな。
不安を発信することが巡り巡って自分を助ける要素にはなると思う。
もちろん、すぐ解決しないことや、言っても無駄じゃんと思うこともあるけど、自分の中だけでとどめてしまうと余計にしんどい気がする。
僕は皆の不安を聞いてみたいと思う。教えてほしい。
だからって何かをしてあげることはできないし、「してあげる」っておこがましいから嫌。
でも聞くことで、知ることで自分なりにこう思うっていうことはできるかもしれないし、自分なりに行動できることはあるかもしれない。
知っているだけでも、偏見や差別をしないですむかもしれないし、たまにその不安を打ち明けてくれた人に「最近どんな感じ?」って声かけてみようって思うこともある。
だから、不安はどんどん話してほしい。『不安はニーズだ』。
なんか話したいとか、不安聞いてくれとか、なんでも気になったことがあればぜひ連絡ください。

2.リアルで会うことの良さ

(今井さん)リアルがないっていうのは状況が把握しにくい。リアルだからこそとれる情報は大きかった
(堀潤さん)リアルで何が大事だったかという一つの気付きは、目的のないつぶやきや理由が必要じゃない会話、ちょっとしたため息、何気ない感想、所作、すれ違いざまの何気ない冗談、あいさつ、目をそらす瞬間などの互換の中にちょっとした気持ちの揺れが見えるオンラインは目的のためにやることが多いので、なかなか見えづらい
(今井さん)ふとした遠足してる瞬間や、職場見学の帰りに「就職してみたいな」とか「学校行ってみたいな」という話がでてくる、意味のない時間に見えてくる会話が文字ベースだけだと見えないこともある

分かるー!!!ってなりました。笑
オンラインだとどうしても「無駄」が少ないんですよね。いや効率化のためには良いこともたくさんあるんだけど、やっぱり空気感というか、堀潤さんが例にあげてるようなことを感じるのはオンラインでは限界があるんよね。
言葉ですべてを表すことはできないと思うから、人の表情や仕草とかから相互のやりとりがうまれたり見えることもある。
そういう意味で、無駄も大事だし、むしろ効率的じゃないやりとりがあるからこそ人間らしいと思う。

そうそう、最近は画面上にうつるその人の表情や仕草から少しでも情報をキャッチしようという感覚が身についてきた。
「あ、この人何か言いたそうやな」というときに話をふってみたり、「しばらく考えたいんやろうな」というときにちょっと合間を置いてみたり。
オンラインでも時間的余裕を持たせた場であればそういうことができるし、むしろうまく空白の時間を作ってみるという場づくりを考えるようにもなってきた。

それでもリアルで得れる情報やリアルで体感できる人間らしい「無駄」な時間や「余白」にはかなわないので、今後もオンラインは活用しながらも、どうしてもそれを肌で感じたいときやそういう時間を共有したい人とはリアルで会いたいね。


3.大きな主語よりも小さな主語で語ろう

(堀潤さん)例えば、「日本人は~だよね」といったときの「日本人」ってすごく規模感が大きい。誰のことを言っているんだろうか?
「今、若者は~なんだよ」「難民は~なんだよ」「外国人は~なんだよ」と述べるときって、事実よりも印象・イメージの場合が多い。
おじさんが「若者って元気ないよね」って言ったときに「え?誰のことを言っているんですか?俺そんなことないですけど」「そういう人もいるかもしれないけど私は違います」とかいろんな思いが去来する。
でも、ついついわかりやすく単純化してしまう傾向が(人間には)ある。
「僕らはさ」じゃなくて、「僕は」でいい。
「被災地は」とは「被災者は」とか、「コロナで困っている人たちは」とかすべて決めつけている可能性がある。100人いれば100通りの困りごとがある。よくよく見ていったら全然立場や性質が違うものだったりする。
今こそ一つひとつ、一人ひとりの小さな主語を拾っていってできることを考える、そういうコミュニケーションが必要。

(今井さん)それはNPOの広報でも重要だと思っていてて、「高校生は」とかで言うんじゃなくて、「関西の~の高校生の一人が言っていた」とかそういう言い方をしていかないといけない

これはすごくはっとさせられたというか、気付かされました。特に僕は大学でボランティアコーディネーターとして働く中で、「学生は」とか「教員は」「職員は」とか、「うちの学生は」とかの総称で呼んでしまって単純化して考えてしまうこともありがちだということに気付きました。
そうではなくて、まず接点がある学生については「〇〇さん」「〇〇くん」という一人の人に向き合っていきたいし、接点がない学生についてもその一人ひとりの状況が違うことは念頭に置きながら関わりを模索したり出会い方を考えていきたいので、日々の考え方や言葉の選び方として、『小さな主語』を意識したいと思う。
他にも、趣味で言うと「アメフト選手は」とか「キッカーは」という単純化をしてしまうこともあるし、「この会社は」とか「この部活していた人は」とかいう決めつけで偏見を持ってしまっていることもあるかもしれない。
大事なのは、一人ひとり、一つひとつを見るということ。
大きく括ってしまうのではなく、小さく物事を見ることで、見えてくることがあると思うし、逆に自分もひでぼーという一人の存在としてみてもらいたいと思った。


今回も気付きや学びがたくさんあった。
これを言葉だけにせず、行動を伴って意識していきたいと思います。
あ、不安なこととか、不安まではいかんけどなんか話したいなーと思ったらほんまに気軽にコメントや連絡くださいね。
僕もコンディションやペースに波があるのですぐ返せるかはわかりませんが、何かしらの形で対話していこうと思うのでぜひ!!

そして、なんか自分にもできることやりたいなぁと思っていただけたら下記をぜひご覧ください☺️


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長文を読んでいただきありがとうございました!
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ひでぼーのモチベーションと自己肯定感が爆上がりします!!


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