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小説を読む趣味と、デザインの仕事。

積読を語るときに、

「一生のうちに読める本などたかが知れている」
「すべてを読みたがるなんて思い上がりだ」

などと見聞きして納得することもあるけれど、何をしてても膨らんでいくブックリストを眺めていると「あれも読みたいこれも読みたい」となってしまいます。いまこうしてエッセイを書いているデスクにもうずたかく積まれた書籍や雑誌の山があり、日々どれから手を付けたものかと思案し、優先順位をつけなければなりません。私の場合、仕事柄専門書を読む必要に駆られるものの、読める本の数が限られているのならば好きなものをと、つい小説を手に取ってしまいます。手に取ってしまう、と引け目を感じることでもないのですが……。

インプットとしての専門書、ワークショップやアイディエーションのフレームワークで直接的に参照したりと、デザインの仕事でも様々な場面で書籍を活用します。デザイナーの間で薦められる本も、私の身の回りではそうした場面で役に立つとされる理論書、哲学書、ビジネス書などが多い気がします。小説、文学の類はあまり聞かなくて、スペキュラティブ・デザインやSFプロトタイピング実践で引かれるブックリストくらいでしょうか。

一方同じデザインの現場で「ストーリー」や「ナラティブ」という言葉を耳にする機会も少なくありません。それらは多くの場合、未来に向けて変化する価値観、いまでも重要視されつつある多様性や包摂性を含んだ、想像力をたくさん必要とするデザインワークで耳にします。

こうしたときに私は、小説を読むことがデザインの仕事にも役立てられているなと感じています。知識としてのデスクトップリサーチとも対面で実感するインタビューとも違う。登場人物の行動と対話、モノローグが並ぶテキストから得られる思考は小説特有のものがあり、それが何かの際にセットで思い出されるような感覚をしばしば覚え、自身の想像力につなっているのではと思うのです。

とても現代的な小説『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』を読んで

少し前にとても楽しく読んで、チームのメンバーを誘って読書会の主催までした『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』の話をします。

『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』(サリー・ルーニー 山崎まどか訳 / 早川書房)

フランシスは作家志望の21歳の大学生。かつての恋人で今は親友のボビーと共にダブリンでポエトリー・パフォーマンスを行っている。二人の才能に目をつけたジャーナリストのメリッサと親しくなるが、フランシスはメリッサの俳優の夫に惹かれていく……。

カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ | 刊行年月 | ハヤカワ・オンライン

平たく言うと、ともに20代前半女性である主人公のフランシスとボビー、少し上の世代でそれぞれ文壇とショービズの世界に身を置くメリッサとニック夫妻、恋とアイデンティティをめぐる四角関係が生々しく描かれています。1991年生まれの著者、サリー・ルーニーが綴る物語の登場人物や世界観は極めて現代的。本作でも中心にあるミレニアルやZ世代の生き様のリアリティが特徴です。女性を中心に主人公たちと同世代の読者だけでなく、上の世代も巻き込んで強い共感と支持を集めています。

フランシスとボビーの関係に見られる性自認や性的指向、行く先々で現れる家父長制や資本主義に対する懐疑的なまなざし。メリッサの誕生日パーティでは立場も性別も国籍も様々な参加者がマリファナを回しながら、舞台であるアイルランドの政争から、遠くアメリカの人種問題への距離感までをカジュアルに語らいます。丁寧に描かれたディテールがいかにも現代的で、その具体性から、ある人は共感を、ある人は違和感からの気づきを得るのでしょう。

内面の描写も白眉。少し長いですがフランシスのモノローグを引用します。

仕事に就く気はないとフィリップに言ったのは冗談ではなかった。働くことに興味がないのだ。将来の生計を立てる手段についてはノープランだった。お金を稼ぐために何かしたいとも考えていなかった。前年の夏、私は最低賃金の仕事をいくつか掛け持ちしていて――メールの代行や、電話セールスといったものだ――卒業後はそういう仕事を増やそうと考えていた。結局はどこかに雇われて常勤の仕事をする羽目になるのかもしれないが、私は給金をもらって経済活動の一環を担うというような輝かしい未来を想像したこともなかった。自分の人生に興味がないのかもしれないと思って、落ち込んだこともあった。その一方で、資産の所有に無関心な自分の感覚はまともで理想的なようにも思えた。世界の総生産量を全人類に分配した場合の平均年収がいくらになるのか調べてみたところ、ウィキペディアの情報に一万六千百ドルとあった。政治的にも経済的にも、それ以上のお金を稼がなくてはいけない理由が私にはなかった。

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一般的な賃金労働に関するフランシスの語り。彼女は方や、自身の創作活動において高いモチベーションやプライドがあり、作家として生活を成すメリッサに嫉妬も覚えています。ライフスタイルに共存する、アンビバレントな感情。つい先日、オンラインメディアのVox記事で見かけた、Z世代の仕事・労働に対する厭世的な価値観に対する論考を思い出しました。

“I don’t have goals. I don’t have ambition. I only want to be attractive.”

かつてアメリカでは仕事がアイデンティティとイコールでしたが、ズーマー(Z世代の別名で(ベビー)ブーマーと対比される、世代間闘争の象徴的な呼称)は「仕事以外の側面で満たされ、自身が定義されている」ことを望んでいるとしています。

サリー・ルーニーがフランシスの物語を生み出したのは2017年。記事中で「ほんの10年前なら潜在的雇用主を遠ざけ、過激すぎると見なされたかもしれない方法で、自分たちの苦境を発信した最初の人たちなのである」とされるズーマーたちは、まさに作中でのフランシスやボビーの振る舞いと重なります。パンデミックで加速した現象を予見したかのような描写の数々は、先述したとおりにそのリアリティから多くの共感を得ています。

「決めつけない」ための小説というフォーマット

ディテールを積み重ねた物語全体を読んで感じられること

このようにディテール、登場人物の属性や舞台背景だけを切り出して読んでも多くの知識や視点が得られますが、私は全体的な物語を通じて得る感覚にこそ小説を読む価値を覚えています。

引用した労働観のようにフランシスのものの見方は、死生観をはじめ、物語のあらゆる場面にちりばめられています。しかし物語の筋は四角関係、「恋愛」なのです。フランシスとニックの情熱的な不倫関係は、双方のそばにいるメリッサやボビーに対する承認欲求やそれぞれとの力関係を反映し、揺れ動きます。複雑ながらも普遍的な人間関係が、まさに恋愛そのもののように浮き沈みしながら語られます。理性と感情がページをめくるごとに入れ替わり、読者を襲うようなその語り口に翻弄されながらも没入していく。現代的な価値観のクールな表現は、サリー・ルーニーが評価されるポイントの一部でしかありません。

私たちも「〇〇観」と呼ぶ様々な価値観を持ち、日々を生きているわけですが、それらは恋愛や仕事、子育てと「いろいろある」人生におけるものの見方の一部分でしかない。価値観=その人というわけではないですよね。小説を読むときも同じように、ひとつひとつの価値観を特徴的に捉えて扱うだけではなく、それらを抱えた人物の物語を通じて、必ずしも価値観と行動が一致しない、アイデンティティの複雑さを知ることができる。そこにこそ価値があるし、その複雑さが与えてくれる読後感が「面白かった」という感想につながるのではないかと思います。

「わかった気にさせない」無軌道性の意味

もうひとつ、私は物語における登場人物の無軌道な行動に惹かれてしまうところがあり、読後にもそうした部分の印象が強く残ります。「なんでそんなことを……!」とイライラさせられるのですが、それが物語にギャップを生み、展開を変えたり、ドライブさせたりと構成の面でも重要な役割を持つことが多いです。

この無軌道性も、小説というフォーマットが持つ独特の価値のうちのひとつだと考えています。フランシスたちはそれぞれ大学や職場での社会的立場があり、洗練された教育や文化に触れてきた現実的な価値観と分別を備えた人間たちなのに、本人たちも激しく後悔し、痛みすら伴う無軌道な行動をしばしば起こします。日頃掲げている信条が破られ、理屈を超えた行動には読み手の感情も大きく揺さぶられます。

物語の機能としての重要性もさることながら本稿の文脈に沿えば、こうした読者を揺さぶる無軌道性から、確固たる価値観の持ち主も時には無軌道な行動を取るという、「アイデンティティの不安定さ」のようなものを理解する。これははじまりと終わりがある小説の時間軸があるからこそ実感できるのではないでしょうか。その出来事のみを切り取れば不可解、理解不能な行動ですが、後悔の念を語るモノローグやそのあとの行動と出来事、読み進めるごとに「ああ、こういうこともあるよな……」と納得してしまう。この感覚はリサーチやインタビューではあまり味わうことがないように思います。

小説やフィクションを通じた「人と違うからこそできる「共感」

作家の柴崎友香さんが『働くことの人類学【活字版】』の巻頭対談にて下記のようにおっしゃっています。共感をキーワードに小説を書く姿勢について語られていますが、とても大事に感じた部分を引用します。

自分の小説に限らず、フィクションへの感想として「この登場人物が友だちだったらイヤだ」とか「身近な人だったら付き合えない」と書いてあったりするのですが、そうであるからこそ、小説を読む意味があるはずなんです。現実なら難しくても、小説のなかなら少なくとも読んでいる時間はその登場人物に付き合える。

『働くことの人類学【活字版】』

わたしが思う「共感」は、人と違うからこそ「共感」できるというか、わたしはこの人じゃないし、全然違う立場でわからないんだけど、その小説とかフィクションのなかである一定時間その人の横にいることで、この場面でこうやっちゃったのはわかるな、こう思うこともあるのかもしれない、そういう人もいるんだろうな、ということも含めた「共感」なんです。

『働くことの人類学【活字版】』

つらつらと書きましたが、こういうことなのです(笑)。『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』の読書会をしたとき、はじめはみんな「こんな不完全さのなかでは生きていけない」とわからなさへの戸惑いから対話を始めました。しかし登場人物の無軌道な振る舞いに「自分はしないけど、憧れはある」と歩み寄りながら、終盤では「言行不一致って当たり前なんだな」と、フランシスたちとの距離がだいぶ近づいた気がしました。

自然とつながった小説を読む趣味と、デザインの仕事

あらためて書き出してみると、私の思考や行動には間違いなく小説から得た感覚が現れているなと実感します。もちろん、デザインの仕事でも。兼ねてからプロジェクトのインプット、スループットに読書会を採り入れたいなと考えていた気持ちをより強くしました。

とはいえ、小説を読むのに「仕事に役立てよう」と臨むのは、ちょっと違う気がします。優れた作品はいつまでも心に残り、ふとしたときに思い出されます。ただ真剣に読書を楽しむ。それだけでいいのだと思います。「仕事のために」などど構えなくても、自分ひとりでは得られない視点と問いを与えてくれるよい小説と出会え、没入することができれば、ここに書いたような効果を得られるはず。それが私が言いたかったことかもしれません。

そして私は今夜も、小説を読む。



おまけ

作家・金原ひとみさんによる書評。私のエッセイは素材として同書を引き合いに出しましたが、『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』に興味が少しでも出た人はこちらを読んでみてください。当然ですが、私の駄文とは段違いで「読みたくさせる」書評です。なんというか、かっこいい。

エミー賞総なめのお化けドラマ『サクセッション』で、華麗なる一族の才女・シヴがビーチで手に取る本は……『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』だった回。サリー・ルーニーの著作はショービズ界でもアイコン化していて、最新作の"Beautiful World, Where Are You"(未邦訳)は俳優やモデルたちのインスタグラムで見かけることも多かった。
出版社によるインフルエンサー・マーケティングでもあったみたいです。

『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』は先日、BBC制作・huluをプラットフォームにドラマがスタート……したのですが、本邦ではまだ観られません。私は先に小説を読んだクチですが、ほぼイメージ通りのキャスティングで、早く観たくてしかたない……

(おしまい)


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