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DISTANT DRUMS ZINE / RED

写真集『DISTANT DRUMS』(2019・私家版)の出版に合わせて2種のZINEを製作し配布しました。テキストは日頃お世話になっている仲間たちに寄稿してもらいました。写真集自体にはステートメントをはじめ、その趣旨を説明するテキストは一切掲載されていません。ZINEでは、寄稿者それぞれの目線に触れてもらうことで、読者自身に写真集のイメージを立ち上げてもらえるようなものを目指しました。ここでは4人に寄稿していただいたRED版のZINEを転載します。

魔法的静寂を聴け

はまちゃんの写真は、澄んでいる。まるで、撮影する寸前、とつぜん雨が通り過ぎ、あらゆる塵を洗い流していったかのようだ。そこには、あなたにだけそっと教えるとくべつな風景だと告げるような、親密な静寂がある。

でも、それらの写真は驚くほど撮影者の存在を感じさせない。写真に写るひとはみんな、撮られていることに気づいていないように見える。はまちゃんは森に潜む草食動物のように気配を消している。

いつだったか、ある有名な女優さんが原宿ではまちゃんに撮影されたとき、「いつもの街がいつもと違って見えた」と語っていた。僕は(そう! それこそがはまちゃんの魅力なんだ)と思った。何度も何度も通い、とくべつな感情を呼ぶことがなくなったいつもの街が、なぜか輝いて見える。「世界はこんなふうにも見えるんだよ」と教えてもらったような気がして、嬉しくなる。

はまちゃんは、写真を撮り、それを見せることで、世界を見る「視点」を差し出し続けているのだ。視点を大切に思っているから、じぶんは控えめでいい、 ひょっとするとはまちゃんは、そんなふうに考えているのかもしれない。

『DISTANT DRUMS』のページをめくると、次々と美しい風景が目のまえに差し出される。じっと眺め続けるうちにまなざしだけの存在になって世界を漂っているような気持ちになる。重力がなくなって、ぼんやりと宙に浮かび、まばたきするたび、違う場所にたどりつく。

それは、そこに暮らすひとびとの「いつもの街」だ。ひとびとはその魔法のように美しい瞬間に気づいていないように思える。そんな風景を、はまちゃんは静かにとらえ、わたしたちの目のまえに置いていってくれる......

いつからだろう...... 気がつくと遠くから、太鼓の音が聞こえていた。やさしく鼓膜を打つ、降りやむ間際の雨音のようなリズム。じっと耳をすませば、それは世界をとらえる魔法の音、はまちゃんが切り続けているシャッターの音なのだった。

Tonakai
会社員

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濱田さんの軽やかさと

ある仕事で、奈良の古刹で仏像の撮影をする機会があった。「うーん、僕、仏像は撮ったことないなぁ」と最初はちょっと戸惑いながらも、仏様を見てぐるりと一周した濱田さんは、 「ああ、人と一緒や。ポートレートと思ったらええんやな」と腑に落ちたようにつぶやいて、“彼女”のとても美しい横顔を切り撮ってくれた。

古今東西の名だたる写真家たちがカメラに収めてきた国宝だ。威厳たっぷりにとか、神々しさが際立つようにとか、ある種の特別な感情を抱いてシャッターを切る人が多いかもしれない。でも、濱田さんは女優を撮るように仏像と対峙したのだと思う。ただ美しいだけじゃなくて、恋愛相談に耳を傾けてくれそうな親近感もある。私はその軽やかさが、ああ濱田さんだ、と思う。

濱田さんは実際の撮影時もとても軽快だ。あるときは木によじ登り、石垣に駆け上がり、またあるときは芝生に寝転んでいたりする。(さすがに空は飛べないから、ドローンを導入したのでしょう!)。 撮影の現場で、被写体をいかに魅力的に捉えられるかを一瞬のうちに判断して、そのための最善を尽くしているのだ。

きっと、濱田さんの撮影者としてのスタンスは、被写体が著名人でも旅先ですれ違った少女だろうと、ファッションカタログだろうと友人に頼まれた撮影だろうと、撮影地が瀬戸内だろうとエジプトだろうと、一緒だ。同じように自分の眼で見て、美しいと思う瞬間を切り撮ることのみ、なのだと思う。また、その軽やかさは濱田さんの人柄そのものでもある。

編集者をしていることもあって、年間で膨大な量の写真を見ている。実際に対面して、いわゆる売り込みの写真家さんのブックを目にすることもあれば、 WEB や SNS などで国内外の有名無名を問わない写真家さんの写真に出合うこともある。そのなかには、濱田さんから「この人の写真いいですよ。TRANSIT によくないですか?」と教えてもらった人もいる。写真家が、自分以外の写真家を薦めたり称賛することは経験上ほぼない。心の中でいい写真撮るなぁと思っていても、たいてい口にしない。

写真家の情報しかり、自分が使用しているカメラやフィルムの種類なんかも、惜しげもなく共有してくれる濱田さん。論理的思考によって導かれる構図や彩度なんかに加え、誠実でぎすぎすじめじめしていない性格もまた、濱田さんの写真を構成する要素だと思っている。

立派な一眼レフカメラやフィルムカメラを持っていなくても、誰もが(ある程度)思いのままに写真を撮れて、誰もが写真家になれる時代。軽やかでありながら、絶対的な自分の眼(これはとてつもなく重い)をもつ濱田さんに出会えたことは、ともに作品をつくることのできる編集者として幸せだ。これからも世界中の人びとに新しい景色を見せてほしいと願っている。

Sayoka Hayashi
TRANSIT 編集長

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呼ばれる旅

写真家・濱田英明さんによる写真集『DISTANT DRUMS』が、ついに完成した。2018年7月にお話をいただいてからおよそ1年。 国内外を飛びまわる多忙な写真家と、ふと思い立って旅に出かけてしまう僕の共同作業は、思いのほか月日を要した。

鶏を丸ごと使った本格的な手づくりスパイスチキンカレーをふたりで囲み、華々しく決起会を執り行ったまでは良かったけれど、まるではるか遠くに揺らぐ蜃気楼を眺めるかのように、僕らはその完成の日を渇望しながらも、なかなか歩を進めることができなかった。

1000点を越す膨大な写真群を前に、逃げ出しはしなかったものの、僕らは並んで腕組みをし、唸り声をあげた。パルミジャーノを贅沢に使ったアマトリチャーナ、人参とキャベツの甘みが溶けこんだチーズタッカルビ、春キャベツとトマトのじんわり沁みるミネストローネ。

いつも大荷物を抱え、頰をつたう汗もそのままに事務所へやってくる濱田さんに、僕は手料理で応えた。作業は進まなくてもお腹は減るのだ。濱田さんは、ひとくち食べて、いつも大きな声で美味しいと声をあげた。そしてもりもりと食べた。食後は決まってミルク濃いめのカフェラテを欲した。

濱田さんは、どんなに忙しくても相手の話をじっくり聞いた。発言に責任と主義を持っていた。ゆえに厳しくもあり、しかし誰に対しても公平だった。共にご飯を食べ、眠い目をこすり、印刷機に張りついた。そんなふうに作家本人と過ごした時間は意味深く、この写真集に特別な味わいを添えた。

写真家である前に、ひとりの人間であること。世界をどう捉え、何を嫌い、何を慈しみ、何に悲しみ、何を愛し、何を選び、そして選ばなかったか。ひとつの何でもない言葉や生きる態度に、僕はまだ見ぬ写真集の美しい佇まいを見た気がした。

写真集『DISTANT DRUMS』は、濱田さんが写真家として活動を始めた2012年以降に海外で撮影した写真群で構成されている。当時35歳だった濱田さんは、台湾・高雄市にあるギャラリーに個展開催のため招待され、生まれて初めて海を渡った。それから7年のあいだ、彼のパスポートには世界中の入出国スタンプが押され、その刻印が増えるごとに彼の写真は多くの人の心を打った。

「自分から旅をしようと思ったことはないねんな。いつも呼ばれて行くねん」濱田さんはキウイをスプーンで器用にすくいながら話してくれた。フルガダの路上で夏の光に目を細め、シカゴの寒風吹きすさぶ堤防に立ち、ホイアンの混みあう食堂で麺をすすり、春が匂いたつヴィリニュスの草原を走る。

呼ばれる旅─。コーヒーに牛乳を注ぎながら、世界のあちこちへ、まるで導かれるように知らない街を訪れ、カメラを構える彼の姿に僕は思いを馳せた。こうして出来上がった写真集を眺めていると、何だかそれは不思議なことのように思えたが、とても自然なことのようにも思えた。

それは僕らがきっと知っているからなのではないだろうか。他のどこでもない僕らの日々の中にも、美しく忘れがたいものが存在することを。僕らもまた、呼ばれ、導かれるようにして、そうした自分だけの特別な瞬間に立ち会ってきたことを。ここに綴じられた写真たちは、そんな僕らの記憶の風景をそっと思い出させてくれる、世界のどこかの日常なのだ。

Isao Nishiyama
写真集『DISTANT DRUMS』デザイナー
Studio Journal Knock 著者

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歳月と太鼓のはじまり

今から7年前、偶然にも三鷹駅前の通りで濱田さんと遭遇した。当時からflickrを通じて互いに存在こそ知っていたが、濱田さんは写真家に転身したかしないか、私もまだ20歳になったばかりの学生だった。

それから1年半ほど経ち、二人で木に登り、九十九里に行き、KINFOLKでは使われなかったけれど一緒に撮影させてもらうこともあった。そうやって私は都合がいい日だけ、東京での撮影をお手伝いさせてもらっていた。

たった半年ほどのとても短い時間だったけれど、ロケアシと言うにはおこがましく、ただフィルムの詰め替えと道案内、後はずっと写真や編集についてお喋りするという贅沢な時間だった。ユーモラスだけれど繊細で、喜びにも哀しみにも敏感な濱田さんの少年のような眼差しを、今でもよく思い出す。

濱田さんの写真は、どんなに好きで愛おしい被写体にも実は結構ドライで、そこに私情が見えてこないからいい写真なのだと思う。その代わり、撮る側の想いよりもっと普遍的な、人間が生まれつき覚えている感情や大人になると忘れがちな意識の奥底に、すっと入ってくる。

それは、文字に起こせば淡白にも受け取れるが、様々な苦難と心ない体験を乗り越えた者にしか辿り着けない、独特で難解な写真との向き合い方なのかもしれない。デザイナーを経て転身するまでの苦労や、もっと幼い頃に味わった想いや記憶、そしてこの業界に漂う独特な空気としきたりの中で感じたことに基づき、模索し続け、ようやく会得した姿勢なのではないだろうか。

私情を抑制する様子は、ロケアシをしていた5〜6年前から少しづつ見受けられるようになり、はじめは妙に素っ気ない写真にどこか居心地の悪さを感じたこともあったけれど、なにかを掴もうと必死にもがいているようにも見えた。

あれから歳月を経て、ドライ化は更に進み、そして多くの人が濱田さんの写真に魅了されている。私がこんな偉そうに書くことは不相応かもしれないけれど、言葉にするより難解なその修練を、多くに受け入れられる必然を、絶妙な距離感で、紆余曲折と合わせて見続けてきたことは、私の写真家としての人生においても幸運なことだったと思う。

SNSが普及した今、誰もが手をあげればphotographerを名乗れる時代がやってきた。師弟関係もスタジオ経験も積まない作家もいる。私も濱田さんもその一人だ。新しい時代のスタンスとして素晴らしいが、テクニカルな面を除いて、写真家になるハードルが下がったとは全く思わない。

それ以上に、作家の眼差しや社会との関わり方、これまでの写真史やデザイン・音楽・映画・ファッションなど関連多方面に対しても造詣深く、それらを文脈的に読み解く能力は、以前にも増して必要とされている。写真が内抱する本質は、これからも変わらないのではないだろうか。

『DISTANT DRUMS』がこれから先の時代も、懐かしさではなく、人が持つ普遍的な感情に触れる一冊として、生き続けるといいなと思う。

Kazumasa Harada
写真家

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DISTANT DRUMS ZINE / RED(2019)
Typography : Masako Mutsuro
Design : Isao Nishiyama

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