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人が作った定義に合うかどうかという議論は一体どういう意味があるのだろうか?という話

こんばんは。しばらく何も書かずに放っておいたら、1ヶ月以上経ってしまっていたようです。何かしら思い付いた時に書き殴ってしまう方がいいのかもしれないなどという気がしてきました。

コロナの影響もあり、StayHomeでのんびりといろいろなことに思いを巡らしているところでもあるのですが、写真って何だろう?ってちょこっと考えることがあったので、その話を書き殴ってみようかなと思った次第です。

SNSとか見てるといろんな意見があるんですよね。写真はこう撮りなさい!こう撮るのはNGだ!いや、それは違う。これが正しい!みたいなやつ。それが一定のサイクルでグルグルと繰り返されていて一向に進化しないのですが、結局のところは何がしたいのだろう?というところを考えると、その意見が是が非かということではなくて、それを発信している人間が肯定されるか否かというところが論点なんだろうなぁ、というところに行き着くわけで。

普段、いわゆる風景写真っていうのを撮ってたりするんですけど、

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この写真って一体何だと思いますか?

これは山の中で、カメラを斜め下に向けて、思いっ切りブラして撮った何でもない写真で、写っているものは土と草と積もった枯葉とそこに落ちてた木漏れ日です。決して、CGとかそういう類でもありませんし、ブラシで描いた絵画の類でもありません。RAWで撮影しているので現像はしていますが、切り貼り、合成、何かしらのエフェクトなどは何もしていません。

もしこれを「風景写真」です!と言った場合に、それは違うだろ?!という人も出てくるのではないかと感じていますが、では何で違うのか?というところで、ハッキリとしたものが思い付きません。ブレていたら風景写真とは言えないか?見た目と違うと風景写真と言えないか?などと考えてみたのですが、等倍で見た時にわずかに手ブレしてるね!って写真はダメになるの?長時間露光で水の流れが絹のようになってたり、星グルグルはダメなの?みたいになってきて、ではこれは風景写真と言えるのではないのか?などと思えるようにもなってきます。けれども、いわゆる風景写真のイメージは全く無いんですよねぇ。

ハッキリと言うと、これが風景写真かどうかということはどうでも良くて、これはこういう写真です、以上。っていうところなんですが、世の中的にはこういうところを争ってみたりするようなことがあるようで。

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その写真どうするの?っていうときには、その目的にはその写真は相応しく無いのではないか?などという議論は、まぁ有って然るべきとは思いますが、何かしらの定義に当てはまるかどうかというところは不毛でしかないのではないかと思うんですよね。さらにいうと、その定義誰が決めたの?その定義の意味するところは?などとツッコミたくなるところでもあります。

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こんな屁理屈を言っていると相手にされなくなるというのは何となくわかるし、どちらかというとそれで構いませんってくらいなんですが、そのような不毛な議論をグダグダとやってマウントを取り合っているのを見かけると、元気だなぁ!と生暖かい目で眺めています。

さて、ここで問題です。ここまでの文章を書いたのは誰でしょうか?
1. 人間
2. AI
3. 人間でもAIでもない
4. 人間ともAIとも区別がつかない

続いての問題です。前の問題は意味があるでしょうか?
1. ある
2. ない

いろいろな認識は時代の流れとともに大きく変わっているのではないでしょうか。それにしても、写真は面白い!

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