Re:Cycle
母方の祖父が生前、自転車店を営んでいた。
庭先にある個人経営の小さな店だ。
遊びに行くといつも、埃と油の匂いに満ちた店舗兼工房で、祖父は工具を握りしめてパーツに命を吹き込んでいた。そこは、まさしく魔法の工房だった。ラチェットが刻むチリチリという小気味好い音。ペダルの動きに合わせて勢いよく空気を切り裂くスポーク。ダイナモを倒すと小さく輝き始める前照灯。工房内の全てのオブジェクトに魂が宿っているみたいで、油で爪の奥まで真っ黒く染まった祖父の指から繰り出される煌めきの魔法に、僕は飽きることなく魅せられ続けた。故障で持ち込まれた自転車を瞬く間に蘇らせてピカピカに磨き上げ、笑顔で立ち去る客を優しく見送る祖父が誇らしかった。
幼稚園の時、なりたい職業について絵を描く課題があった。祖父と同じ魔法使いになりたいと思ってはいたけど、僕はそれを「職業」として認識していなかった。加えて僕は比較的冷めた子供で、同級生が語るようなプロ野球選手だとかガンダムのパイロットだとかいう如何にもありがちな夢を持つことができず、無理矢理アイディアを捻り出して、大してなりたいわけでもない「バスの運転手」と答えた。それは年少の時で、年長の時は「学校の先生」と答えた。理由を問われた時には、密かに同級生の作を盗み見て、猿真似で説明した記憶がある。
内気で恥ずかしがりで考え過ぎてしまう子供だった僕は、将来の夢を訊かれて「大好きなおじいちゃんと同じ自転車屋さんになりたい」と口に出したことは、ただの一度もない。母の話では、祖父は戦時中は軍の工廠で技師として働いていたらしい。終戦後、手先の器用さを生かして自転車店を開業したものの、生活は楽ではなかったようだ(それでいて、パンク修理では絶対に金を取らないお人好し具合だった)。
そんな話も聞いていたし、大型サイクルショップが幅を利かせている近頃では、個人経営は厳しいだろう。祖父が亡くなった後、大学進学を真剣に検討する時期に差し掛かり、そういったことを踏まえて「自転車を組む人」ではなく「乗り物を設計する人」になろうと考え、それを自分の夢と呼ぶことにした。
そして大学では機械系の工学を学び、ある設計外注の会社に就職した。そこは大手自動車メーカーや航空宇宙機器メーカーを顧客に抱え、今後の伸びが期待される会社だった。しかし、折りも折り、自動車業界に大不況の波が押し寄せ(ゴーン氏が日本にやってきてニュースを席巻していたのもこの頃だ)、社は自動車メーカーからの取引を打ち切られ、乗り物を設計したいという僕の夢へのファーストステップは実に呆気なく潰えた。
某電機メーカーの開発部門に派遣されることとなったのだが、そこが現在では考えられないようなブラック企業で、体を壊して3年を待たずに退職した。その後、なんとか某自動車メーカーに入り込むことができたが、そこでは人間関係に悩まされ、やはり長続きしなかった。
ただその時に強く感じたのが、自分は設計の仕事に向いていないんだな、ということ。思考体系が設計開発者向きではなかったように思う。状況に合わせた柔軟な発想力が圧倒的に欠けていた。簡単に言うなら、数式を解くことはできるけど数式を立てるのは苦手、といった感じ。
「やりたい仕事」と「向いてる仕事」は同じではない。もっと早く見切るべきだったのに、そんな簡単な結論を出すまでに7年も費やしてしまった。
設計の仕事に向いていないと自覚したあの日、自分の中の何かが破けた。身も心も徹底的に磨り減らした僕はその後、仕事は生活費を稼ぐ手段と割り切り、夢とは全く関係ない職に就いた。
最近は乃木坂46の追っかけを通じて知り合った大学生や新卒社会人ぐらいの子らと交流することが多く、一緒に飲む時などに就活や仕事の悩みを聞くこともある。でも仕事は金を稼ぐ手段だとしか思わなくなった僕では、彼らに有用なアドバイスをしてあげられない。せいぜい、「就職は確かに人生のビッグイベントだけど、命捧げるわけじゃないからね。ダメなら他の道があるし。入れ込み過ぎないように、程々にね。体を一番大切にしてね」という、なんだか親心にも似た心配と労りの気持ちを抱いて、彼らの心が折れないことを願うばかりだ。
仕事に大きな野望や不安を持つ彼らの姿に、かつて同じであった自分の姿を見て、眩しさと寂しさで居たたまれなくなる。そうやって若い子たちの相談に乗りながら、苛立ちとは異なる燻りを自分の胸の奥に感じて苦笑いしてしまう。
でも、仕事で挫折したからこそ、「どんな仕事をしたいか」と「どう生きたいか」は全く別の命題なのだと気付くことができた。僕の夢は、偉大な祖父のような魔法使いになることだったはず。それなのに、仕事と夢を強引に重ねて同一視して、適当な理由で塗り固め、ハナから夢を諦めていた。「やりたい仕事」と「向いてる仕事」が同じではないように、「仕事」と「夢」が同じである必要はどこにも無かったのに。
これがやりたい事なんだと言い聞かせながら自分に鞭打って働いていた頃より、割り切って働いている今の方が楽しい。仕事は仕事、夢は夢だ。
あの日、ようやく自分の歪みに気付いて原点に立ち返ることができたのだと思う。破れても終わらず。夢に年齢制限なんて無いのだから、諦めが悪いと笑われても構わない。
今も胸の奥に感じる燻りは、夢の残滓ではない。幼き日の僕に祖父が掛けた魔法は、まだ生きている。いつか、庭先に小さな工房を建てて、あの煌めきを誰かに届けたい。
この投稿は、友人の誘いで「子供の頃の夢が破れた日」をテーマに、複数ユーザーによるアンソロジーとして書いたものです。他の投稿もマガジンにまとめてあるので、良かったら読んでみて下さい。
https://note.com/hide_7semaru/m/ma85e50a24837
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