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いつまでも3番手じゃない。ジョージハリスンという漢

やっとお盆休みですね。
続きまして、ジョージハリスンの話に行きましょう。

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これをお読みの諸兄は「ジョージハリスン」について、どんなイメージをお持ちでしょうか。

その前にビートルズメンバーに対する知名度を想像してみます。

ジョンレノン、あぁ、ビートルズのね。あの『イマジン』の人ね。

ポールマッカートニー、ビートルズの人ね。今も時々コンサートやってるよね。

リンゴスター、名前がカッコいいね。

と来てジョージハリスン。

むむむ…印象が弱い。

そんな声を想像してしまいます。



まず名前が渋い。「ジョージ」に「ハリスン」。

ジョージなんて「所ジョージ」くらいしか思い浮かばない方もいらっしゃるのではないでしょうか。「年末ジャンボ、たからっくじ」というフレーズが巡った方もいらっしゃるでしょう。

「ハリスン」なんて聞いても、「ハリソン・フォード」くらいしか浮かばない、という方もいらっしゃるかもしれません。

さらに、彼の写真を観てみると、他の3人に比べてどうもインパクトに欠けます。

顔面のインパクトで言えば、どこか日本人顔のジョン、ベビーフェイスのポール、デッカイ鼻のリンゴに押されてしまいます。

後年は渋みが出て、個人的にはかなりカッコいいおじ様になったと思うのですが、インパクトというか、率直に言えば華に欠ける部分があります。

そんなジョージの話をしていこうと思います。

乗っけからネタっぽく書いてしまって気分を害されたらすみません。

これからちゃんと褒めます。



ビートルズ時代のジョージ。

知っている方は、やはりジョンとポールに押されていた第3の漢というイメージがおありだと思います。

確かに初期で単独名義の楽曲が生まれるまで3枚のアルバムを要しているのです。

その後も1作に1曲程度の提供に留まっている。

しかも、中期のジョージはインド思想にハマり、シタールを取り入れたインド音楽に傾倒していったので、この辺で頭を抱えた古いファンの方もいらっしゃったと思います。

俺も聴き進めていって、この頃のジョージはインド音楽ど真ん中だったことからあまり受け付けず、迷走(そして、インドで瞑想)してしまっていると思ったものです。

そんなジョージの楽曲のクオリティが格段に上がったのは、皮肉にもビートルズが瓦解寸前の後期でした。

4人のソロ作を取りまとめたような通称「ホワイトアルバム」において、アルバムのハイライトになるような曲を作り出すようになります。

言わずと知れた『While My Guitar Gently Weeps』『Savoy Truffle』もカッコよかった。

そして、解散前の4人が最後のチームワークを発揮した『Abbey Road』でようやく一世一代の名曲『Here comes the Sun』を生み出すに至ります。


ジョージハリスンという漢は、大器晩成型だったのかもしれない、とここで多くのビートルズファンは思ったことでしょう。

というか、インド音楽なんてさっさと忘れてこっちの路線でやってりゃ、もっと華のあるキャリアになっただろうに、個人的にはそんなことも思ったり。

乗っけからネタっぽくしてしまいましたが、そんなジョージがけっこう好きでもあります。

そして、ビートルズ解散後、ソロになったジョージは、目の上のたん瘤と呼ぶにはあまりにも巨大だったジョン、ポールと同じグループという肩書きから解放され、ようやく自由に、かつ深い作品世界に突入していったのです。



そんな中で生み出されたのが『All Thing Must Pass』です。

一切は過ぎていく。「諸行無常」ともとれる思慮深いタイトル。仏教的な言い回しです。そういう意味では、インド時代も無駄ではなかったな、とも言えますが、楽曲には影響しておりません。セーフです。

並んだ曲群もクオリティが高く、ジョージの切なげな歌声と深淵な歌詞そしてジョージの曲を強烈にバックアップするフィル・スペクターのプロデュースによる「ウォール・オブ・サウンド」によって、広がりのある独特な作品世界が構築されています。

牧歌的ながら印象的なアルバムジャケットといい、収録曲といい、「ジョージ・ハリスン」という大きな旗印がようやく立った、そんな印象を受けました。

これを聴いた時、俺は「やったね、ジョージ」と肩を叩いてやりたい気持ちになりました。

「フルアルバムでもクオリティ維持できてるやんけ!」と寡作だったビートルズ時代から変わった彼を讃えたくなりました。

もう、第3の漢なんて呼ぶのは失礼だ。ジョージはジョージで立派にやっている、と親のような気持ちで応援してやりたくなったのです。

正直、他の作品を追えておらず、それくらいしかエピソードがないのが恐縮なのですが、俺はそんな大器晩成型のジョージが好きになったのです。

そんなジョージが好きなのは俺だけではなかったようで、後にクラプトンをはじめとする素晴らしいミュージシャンたちによるトリビュートコンサートが大々的に行われたのは有名な話。みんなジョージを陰ながら応援していたんです。



そして。

リアルでビートルズメンバーの死に直面した最初がジョージハリスンでした。

2001年、朝のニュースでジョージが亡くなったことを知りました。

当時、俺はまだ小学生時代。

ビートルズメンバーの顔と名前がやっと一致した時期で、皮肉にもこのニュースによって初めて動いている晩年のジョージハリスンを観たのでした。渋くてカッコよかった。

あの時、我が家の朝のテレビは『めざましテレビ』だったので、芸能担当の軽部さんが神妙な面持ちでニュースを読み上げていたことを記憶しています。

普段、聴いているミュージシャンが亡くなってしまった、その最初のインパクトをもたらしたのも、またジョージハリスンだったのです。

だから、ある意味では敬愛するミュージシャンを失う悲しみを教えてくれた最初の漢ともいえます。



例え本人は亡くなっても、遺したものは永遠に残る。

彼の生み出した『All Thing Must Pass』の理念には反するようですが、ジョージが遺したきらめきはこれからも愛されていくでしょうね。

座りがいいので、この辺にしておきます。

それでは。

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