見出し画像

全ての暇人に送る連想ゲーム

『薄皮アンパン』と言えば当然「こしあん」派のほうが圧倒的に多いことは言うまでもない。かくいう私もその一派である。ここで一つの疑問が生じる。果たして薄皮アンパン粒あんの存在意義はいったいなんなのかという疑問だ。思うに、これは少数派へのアピールだ。少数意見にも耳を傾ける姿勢は今の日本に実にフィットしている。そういう意味において、「粒あん」はSNS時代を先取りした戦略だと言える。

一方で、『パンジャン・ドラム』選手権、通称「P-1グランプリ」は少数意見こそが尊重される競技だ。パンジャン・ドラムとは車体大の駆動輪を持つ戦車のことで、人力車をイメージしてもらうとわかりやすい。ゲーム上ではその設計自由度の高さから数多くのユニークなパンジャンが誕生し、エンジンを爆発させなければ走行できない文字通りの「火の車」や、スタート直後に車体を爆散させる「これどうやってゴールするの?」型などユニークな機体が視聴者を熱狂させるレースが巻き起こる。最終的に優勝した機体より目立ってしまうこともあり、「試合に負けて勝負に勝つとはこういうことか」と度々驚かされることこの上ない。利害の発生しない、盛り上がりにすべてをかけたレースも「アリ」だなとついついハマってしまうのだ。視聴はぜひニコニコ動画にて。

『ラムチョップ』の本格的なグリルをいただいたのは、そういえばロードレースの盛んなフランスでのことだった。海外慣れしている両親は私をよく未知の世界に連れ出してくれたものだ。よく同級生にこのことをうらやまらしがられたものだが、私に言わせてみれば、大阪で食べ歩きしたり、沖縄のきれいな海を眺めたり、むしろ国内に旅行している同級生のほうこそをうらやましがったものだ。子供の感性では費用云々は関係なく、希少価値の高いものをうらやましがる傾向にある気がする。キン肉マンシールとか、遊戯王カードとか夢中になって集めるのはそういうことだろう。まあ、ソシャゲのガチャに夢中になる人が子供っぽいと言っているように聞こえるが。いやむしろ人間の本能的な欲求が根っこにあって、その上に人生経験が積み重なっているだけで、根っこを掘り起こすのは存外簡単なのだろうなとも解釈できる。

『チョップスティック』のように本能だけでは操作できない食器が流行ったのは少々疑問に思う。どう考えてもスプーンやフォークのほうが「すくう」「刺す」と直感できる。「二本の棒を三本の指で挟んで、さながら遠隔操作できる指のように刺したりつかんだりする」など初見で看破するのはどう考えても無理だ。そもそもなぜ箸の英訳がチョップスティック(叩き斬る棒)なのか。この疑問はすぐに解決した。中国語で箸は快子(快=速いの意味)。中国人がタンタンタンと調理する姿を見たイギリス人が「chop chop(切断する)」と口にする。中国人はそれを「chop=速い」と勘違いし、 快子=速い棒=chop stick と英訳したのが事の真相だ。というか話していて気付いたが、そもそも快子という中国語自体が箸の用途からかけ離れているのではないか?もしかしたら誰も箸の用途を理解していないのではないか?人はこういうとき、「無限の可能性」があるという言葉を使う。物は言いようとは本当によく言ったものだ。

『スティッキー・フィンガー』もまた無限の可能性があるほどに融通が利く能力である。簡単に言うと、あらゆる場所にジッパーを出現させて通り抜けたり、切断したり、中身を取り出したりできる能力である。もし、自分にスティッキー・フィンガーがあれば、胃袋にダイヤいれたり、腕に万国旗仕込んでマジックしたりとかできるのになぁ。その場合血染めの万国旗が出てきてマジシャンというより革命家になりそうだけど。

『フィンガー・ボウル』が出てきたということはそろそろメインの肉料理が出てくるころだ。つまり長かったこのコースも残すところあと一皿。ここまでお付き合いいただき誠にありがとうございました。いざ終わるとなると少々悲しい気持ちになります。最後は美しくゴールして〆たいと思います。では・・・


『ボールを相手のゴールにシュウウウウウッッ!!』

さようならー!!!!!




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?