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オタク生活55年が語る、若きクリエイターを”AWAKING"=覚醒させるヒント

第一回 語りたいことあるのに、”ウィルス”なんぞに負けてられるか!

皆さん、こんにちは。

2020年2月21日に、ゲームやアニメーションのクリエイターの人材育成や、開発環境のサポートを行う会社、株式会社アウェイキングを設立した 小宮英武です。

会社の設立前は、20年にわたり、ゲームクリエイター、CGクリエイター、アニメーションクリエイターを育てる教育機関・アミューズメントメディア総合学院で、教育責任者、就職指導責任者、ゲーム制作の管理講師、ゲームプランナー学科の講師をしていました。その経験を活かしての独立起業です。

それで、ゲーム開発会社の新人研修(4日間、この状況下でも行いましたが)を手始めに、またトーク能力満載でガンガン仕事をしようと思っていたわけですが…はい、コロナウィルス対策で、リアル会話はしばらくの間は厳しくなりました。正直、人と話すことが好きな自分にとっては、かなり厳しい状態です。(教え子による会社設立おめでとうパーティは、いつの開催かなぁ?悲しい、哀しい、寂しい…)

だけど、悔しがっても時間の無駄だな と、思い直して、もともと行おうと思っている、noteでの記事 クリエイティブスキルを”覚醒させる”(会社名アウエイキングですな)意見を記載することにしました。このコロナシフトの間は、できるだけ毎日、記載していきます。

さて、今日はタイトルにも書いた”オタク生活55年”について、自己紹介を兼ねて書くことにします。

僕は、1963年12月6日生まれ。本日において、56歳と4か月の人生です。

歴史的な事実で言えばアメリカの大統領、J・F・ケネディが狙撃、暗殺されて2週間。1964の東京オリンピックに向けて、首都高速、新幹線が整備されている時代です。でも、1963年は、日本のアニメーション業界、コンピューターゲーム業界にとって、すごく重要な年と言っても過言ではないんです。

なぜなら、TVアニメーション『鉄腕アトム』がスタートしたのは1963年1月1日だから。(首都高速や東海道新幹線より古いってことだよな…)

”待て、56歳と4か月で55年のオタク生活って、1歳からかよ?”って突っ込みがあると思ったので、なぜ55年と書いたのかを説明します。これ、自分のクリエイティブにおけるマーケットの捉え方の基本でもあります。

僕は、人間の生き方って、赤ん坊の頃から聞いたり、見たり、触ったりした情報から性格形成は始まっていると思っています。で、僕が生まれた時には”アトムの歌”が近所の子供の声で毎日のように聞こえてきたわけですよ。生後4か月後には怪獣映画「モスラ対ゴジラ」も封切られている。これって、子供向けではあるけど”日本でも空想の産物が(茶の間のテレビを通じたりして)市民権を得た時代”に育ち始めたってことですよね。だから、55年と書きました。僕より若い方は、同様に人生分”オタク”の因子が入っていても不思議ではないと思います。(例えば、初期プレステの国内発売日は1994年12月3日。現在25歳以下の方は、生まれた時から3Dゲームが身近に存在していたってことですよね。この世代は、保護者がコンピューターゲームに嫌悪感を持っていないかもしれないですね。)

僕の場合、実際にオボロゲに記憶があるのは52年じゃないかな?って気がします。(幼稚園児で『ウルトラセブン』のウルトラ警備隊ごっこをしていた記憶がある。当然、太っちょなのでフルハシ隊員であった)なお、この記憶がある幼稚園児から24歳まで、僕は 東京都 練馬区 大泉学園 と言う自転車で東映の撮影所、東映動画のスタジオに行ける場所、数多くのマンガ家が暮らしていた場所で過ごした事は、オタク人生にとって大きなポイントだと思っています。そして、TVの吹替での海外映画鑑賞が家族全体の趣味だったことも、映像制作、ゲーム制作の道に、僕を導いた原因だと思っています。

そんなわけで、オタク生活55年。幸いにして、僕は単なる評論者ではなく、クリエイティブ業界、クリエイター育成業界に身に置くことで、好きなものを分析、体系化して、その魅力を伝える機会を長い時間を得てきました。このnoteでも、スゴイと思った作品群を題材にして、2020年で成長を望む、若手クリエイター(学生も含みます)の好奇心のフックになる事を語っていこうと思います。

本腰入れて記載するのは、明日からです。まずは、ご挨拶まで!




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