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ご飯を美味しくたべること

私がnoteになにか投稿するとき、頻繁に使うタグがあります。それがこの #ご飯を美味しくたべること です。自作のタグというか、人の言葉を借りて作ったものです。

社会人になる前の今年の春。大学を卒業する時に、ゼミの先生が言っていた言葉をまんまお借りしたのです。

卒業時のゼミの謝恩会の席で、一言求められた先生。普段の先生らしい素敵なお話を頂いたのですが、その中で話に出た

「ご飯を美味しくたべること」

この言葉がずーっと頭に残っています。何よりもまず大事にしないといけないこと。逆にこれさえ満たせていれば大丈夫。そんな感じでお話してもらったと思います。これがタグのきっかけ。

別に、ズガンと衝撃を受けたわけでも、感動で震え上がったわけでもありません。ただ、私たちに向かっていちばんふさわしいアドバイスというか、助言をいただいたんだと、じんわりじんわりお腹に広がりました。

そう、まずはご飯を美味しくたべること。これだけは抑えておきたい。

勉強したことを活かして世界に羽ばたく子、全く関係のない分野に飛び込む子、よく分からないままに社会に踏み出さないといけない子、それぞれの道を向く私たちが、共通して大切にしないといけないこと。それがこの言葉だったんじゃないかなぁと、約一年たった今、そう思います。

単純に言うと、このフレーズがとても気に入っているのです。

私はこのタグを乱用しています。ほんとにいろんな投稿につけています。
単純においしいものを食べた時、それを紹介したいとき、文章や写真でまとめたものにつけています。

それだけではなく、生き方や悩み、考え事のnoteにも、よくこのタグをつけています。一緒に #ご飯を美味しくたべるには というタグをつけているときもあります。

社会人になってから、ご飯をたべることに対してわくわくできなくなることが増えました。シンプルに言うと、ストレスやら疲れから、それまで大好きだった「たべること」への興味が弱まる経験をしたのです。私にとってはこれがなかなか衝撃でした。食べることがとても好きなので。

ご飯が楽しく感じられなくなるたびに、先生のこの言葉を思い出しました。
「ご飯を美味しくたべる」を実現するのって、実はなかなか難しいことだったんです。

それから、「ご飯を美味しくたべること」ができるかどうかは、私の一つの判断基準になりました。ご飯を美味しく感じられる、食べることにわくわくできるときは、大変な時でもまだ大丈夫、しっかりやれている。一方でご飯を楽しみにできない、興味を持てないときは黄色信号。こうなると、私は「あ、今楽しめないから少し無理しすぎてるんだな」と、自分のコンディションを判断します。

大好きな美味しいもの、素敵なカフェやレストランを紹介したいとき。それだけでなく、「ご飯を美味しくたべること」に躓いてしまったとき、じゃあ「ご飯を美味しく」食べられるようになるために、どうしたらいいのか。考察するnoteにも、このタグをつけて投稿していきたいと思います。

先生の授業、もっかいうけたいなぁ。

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