できる限りみんな(家族)のやりたいを叶えることを優先にする、そういうおうちになるように毎日意識していること
家族みんなが心地よく過ごせたらそれでいい。
自分はどうしたい?
・・・自分で自分に聞いた時、
こうしたい!!
が、あるならそれをやればいい。
そうやってすぐに叶えるスポットのひとつにおうちがある。
お父さんが行く必要があるのか。
私の車で行きたい人たちていけばいいじゃないか。
お父さんがどうしてもいくというなら私は私の車でいくよと伝える。別々の車で行きたいことを伝える。
私はこうしたいを親に伝えたら
親は冗談でしょうと笑った。
(・・・そう受け止めたんだなって今は、イライラもしないしモヤモヤもしない。なにも思わなくなった。)
私はもう一度こうしたいを親に伝えた。
親は話を逸らした。
(・・・なるほどそうくるのか、それをただ受け止めて)
私はこうしたいを伝えたけれど、結局は親のレールに乗せられ乗りたくも無い親の車に乗って目的地を目指した。
子どもたちの目の前で涙を堪えて。
泣くのは負けじゃない。
感情が溢れてるだけ。溢れそうになったけどまた何か言われたらいやだから、必死で堪えて。車に乗り込む。
冬休み以来、7か月振りの再会を楽しみにしていたけれど、ちょいちょい話が伝わらなくて歯車がかみ合わないことに気づいた。
これまでの夏休みの帰省は、夏休みに突入してすぐに帰省するのが当たり前でした。私もそれがいいと思っていた。(あの頃は)
それが、今回1週間の滞在の中で帰省して3日目に素直に受け止められず自分の気持ちを切り替えることがしばらくできませんでした。
私はこうしたいということを親に伝えましたが・・・。冗談でしょうとはぐらかされ、再度こうしたいを伝えたら、今度は何も返事がありませんでした。(そうか、そうなんだなーと受け止めた。けれど今までもそうだったなぁと思い出した途端自分の場所に戻れなくなっていた)。
『どこに座りたい?』と聞かれたので、
「運転席」と答えたが、
やっぱり結果は同じ。
聞こえなかったんだろうと解釈。
結局は席は決まってて、後部座席。
出かける前夜、実母にどうしたい?を聞いてみる。実母はこうしたいの気持ちを話してはくれなかった。
なぜか、おとうさんがこうだからあぁだからこれはできないし、お昼の時間をずらすこともできないし、早く早くの人だからこっちの気持ちは汲んでくれないから・・・と、なぜか実母は私はこうしたいを一向に言わない。
お母さんがしたいことをしたらいいんだよと付け加えても、黙ってしまった。
こうしたいを伝えてもどうせ伝わらないから言わないの、と話を切られてしまいました。
(自分がこうしたいを伝えても聞いてもらえないから言わないと、決めつけているまたは思い込んでいることがわかります。)
親の車に乗りたくない理由
すれすれで車線変更。
余裕のなさ。
思いやり運転はどこに?
後部座席に座りながらもブレーキの位置に足を置いて踏ん張っていた。
どれくらい見えてる?
ほとんど見えていないもしくはなんとなく見えているのかもしれない。
むしろどこを見ているのかは本人も意識していないのか。
停車するたびにシートベルトで身体が締め付けられる。
運転だけに限らず常に「早く」がモットーだから。
目的地まで早く行きたい。
おうちに早く帰りたい。
乗ってるこっちは、怖くてたまらない。
年に一度かそれより少ない頻度の再会で、短時間のひと時を思う存分楽しんでーという気持ちがなく、こちらの気持ちに反抗してくる。
自分はどうしたいか
常に自分の胸に手をあてて、自分で自分に聞いてみよう!
どんなことでもいいよ。
こんなこと言ったらだめかなって自分に自分でブレーキをかけずに。
勇気をだして、
声に出して言ってみよう。
きっと新しい自分を知るきっかけに繋がるから。
自分では気がつかないあんなことやこんなことについて、口にすることで頭の中で悩んでいた要素が弾けだしたり、モヤモヤがなくなっていったり。
やりたいことがあるなら、今すぐやっちゃいましょう。
やりたことがわからないなら、好きな事ややってみたいことを書いたり口に出して言ってみましょう。本心、自分の思いをぶちまけることで楽にその夢をかなえることに繋がっていきます。
結局今日は実母のお墓参りに行ってきました。
むしゃくしゃした私は、帰宅後ちょっとだけ休んで買いものに出かけて。
往復150キロの道のりを、たったの150キロだと表現する実父。早いことはいいことだの人にとってみんなに楽しんでもらいたいとか車に乗っているこの時間も愉しみたいというキモチは全くなくて。
こういう人だから私は・・・っていうことではなくてね。
こういう人もいるね。しかし私はこうしたいでいいの。
こういう人もいるよ、だけど私はこうしたいよと発言することで自分の気持ちに正直に生きていけるんだと思います。
空は高くて雄大で一段と美しく見えた今日の空。
できる限りみんな(家族)のやりたいを叶えることを優先にして、そういうおうちになるように毎日意識している事。
それは、大人の私たちがこうしたい!と思うことをお喋りの中に組み込んだり。やりたいことを見せることが手本となり、子どもたちもやらなければならない事をやりたいことに変えられるようになってきました。
やりたい事の連続
好きな事の連続
最後までノリノリで
早くなくていい。
道中をたのしみたい。
成り行きも愉しみたい。
時間に左右されずに楽しみたい。
自分たちが思っている・考えていることをそっくりそのままやりたい。
自分の胸に手をあてながら、常にどうしたいかを考える意識をむけるだけで今よりもっと楽しい毎日にワープできます。
相手ありきだとしても自分はどうしたいか。
相手ではなく自分に焦点をあてて。
きっと新しい自分に出会えるから。
きっともっと楽しい時間がながれ始めるから。
何に見えるか、も大事な視点に繋がります。
何をみているか、何をみようとしているのか。
そして何を見ないようにしているのかちょっとずつ明確になっていく。
自分と向き合うことは自分を知ること。
面白おかしく解釈してくれる人がいるからわたしは自分のことを知るきっかけに繋がっている。
他人は変えられない。
しかし、自分は如何したいかを伝えると意外とわかってもらえるケースが多い。自分はどうしたかの意見も言わずにいたら、どんな風に思っているのかが相手に伝わらず自分だけがもどかしい気持ちになるでしょう。もどかしくなっていることなんて、知る余地もないだろう。
どんなちいさなことでも
些細な事でも
あなた(自分)が自分にブレーキを踏まない限り。
叶えたいことが叶うおうち。
それを毎日意識しながら。
自分が過ごすHOMEで
やりたいことが言えて
やりたいことができて
やりたいことを応援する場として
自分はどうしたいの?について
言っていいんだよーって自分に許可を出す。
そして
言っていいんだよーって寄り添ってくれる家族がいるのは、本当に心強い。
自分のこうしたいを伝える。
うんうん、って受け止めて。
YOU、やっちゃいなよ❣️って応援する。
そういうおうちになるように毎日意識していること。
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