私の生成AI嫌いは「同族嫌悪」
最初に可能な限り、無用な怒られを避ける努力をしておこうと思います。
今回のトピックで話題にしているのは、「深層学習(deep learning)」を用いる人工知能のみです。ターゲットを絞っております。
私も別に、詳しいわけではないわけですから、多く深くは語らないようにしますが、現時点でのざっくりした私の理解を書いときます。
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ここに至るために、“ヒトの知的活動” を解析・解体して、マニュアル化する必要があります。
いま言った「マニュアル化」の一般的表現は、「アルゴリズム化」です。
流行りの「プログラミング」の中身は、アルゴリズムの記述行為です。
はっきりと残る世界最古のアルゴリズムとして「ユークリッドの互除法」がよく紹介されます。2つの自然数の間の最大公約数は、この「手順群」の言う通りにすれば、“正確に” そして “常に※” 求まります。
※存在しない場合は、「無いということが分かる」ようにできていれば、よいものとします。
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ここで「人工知能」とは、以下のような変な説明ができると思います。
知的活動、例えばここでは、「人を喜ばせる方法」を完全にマニュアル化しようと考える。
ただし実行するのは機械なので、「面倒臭さ」とかは問題とならない。
同様に、基本的に「ケアレスミス」もしない。計算はごく速い。
つまり、「曖昧な判断」と「応用的(クリエイティブ)な思考行為」だけは手順から完全排除して、「脳死で〇〇を実現する方法」を定式化しよう、というような試みです。一般的には「それを実行する機械そのもの」です。
わかって欲しいけどこの説明に厳密さは無いよ?
……で、かつては「ここまで」は、人間が考えてあげていました。
今日では「ここ」を考える工程も、AIが勝手にやるようになっています。
それを可能にした革新技術が「深層学習」だと、私は理解しています。
ただし、正確なことは、もっと詳しい方の言う事を信じて下さいませ。
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<追記> 参考に良さそうだった記事2つ ↓(私は本記事執筆後に読みました)
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AIの神秘性も不可解さも「発達障がい者のふるまい」と同質
これは研究者たちがマジで気付いてないアホなのか、そんなわけないので「全員で目を背けようとしている」んでしょうね。
私のこの主張は多分、概ね間違っていない。
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AIならではの突飛な “発想”。
例えば将棋の世界は、将棋AIが “こぼした” 斬新な新戦法が、テクの改革を推し進めていると聞きます。
これら、ピカソが生涯かけて希求した「子供のような絵」と、本質が同じのはずです。
ピカソが逃れたかったのは、「大人の発想」であり、「常識」であり、「社会性」と呼び得る知識の総体です。
私はいつも、こういうのを「sophisticated」とあえて英語で表現します。
これらに囚われない “自由” を、子供の時分は誰もが持っていた…もとい「“不自由” を持っていなかった」のです。ピカソはそう主張しているのだと思います。
「大人のつまらなさ」「大人の陳腐さ」。こう貶すような言い回しが存在しますが、これ「“普通” に生きるのに要求される思考様式」です。
必要な知識であり習慣ですよ。“普通に生きたい” のであればですが。
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AIならではの意味不明なふるまい。
ゲームの『AI: Art Impostor』なんかは、「最も平和的なAIの活用法」だと私は思っています。
AIならではの「融通の効かなさ」、そのディスコミュニケーションを巧みにゲーム性へと昇華した、斬新な人狼ゲームだと思います。
でもこの「融通の効かなさ」の中身もね、「子供の思考回路」とよく似ているはずなんですよ。思考の「真のフラットさ」です。
「発達障がい」とは文字通り「“発達” における “障害”」なのだと見て良いのであれば、
その実態は、「『子供の自由さ』を “ちゃんと” 封じられない」者たちの生きにくさなんです。
封じて「sophisticatedで ”大人” な存在」に育つことに困難を伴う性質を、当人が困っている以上は、仮に「症候群」と呼んでみたり「障害」と呼んでみたりして、どうにかして社会内に押し込もうとしている、それだけです。
「“大人” にしか生き易くないように」社会をデザインしているのは、当の “大人” たちなのにも関わらずです。本当の本当の本当は敵どうしなんです。
「勉強は役に立つ」「進路の可能性を拡げる」とかいう大嘘と同じ。
勉強しない奴の進路の可能性をこそ潰す感じに社会をデザインしているのは、自然の摂理とかそういう「人智の及ばぬもの」なんかじゃなく、人間の大人です。こういうのマッチポンプって言うんですよ。
悪気はあまり無いみたいですけど。
自覚も無いと思うし(だから罪深いとも言う)。
ヒトは常に「考えること」を放棄したい生き物である
私には、AIを危惧・悲観する声も、AIに期待・楽観する声も、考えることを辞めたいヒト、ヒト、ヒトの声ばかりに見えて意味がありません。
私は「考えること」が止まらない生き物です。※
これは「性格(の問題)」ではないんです。
※表現がややこしくて申し訳ないが、これはADHDの特性のことではない。私にはADHDは無い。
だからと言って「お前らも考え続けろ」なんてことを、私は思いません。本能に従って欲しいと思います。“私タチ” はそれに巻き込まれてあげるべきだ、と思うようになりました。
最大多数の最大幸福のため、それ以上を強要すべきでない。
でも一方で、私がAIを嫌悪する理由は他にあります。
あいつら同業他社なんですよ。
「AIならではの突飛な発想」的なのは、私のような人間が務めるべき仕事であったモノです。まだ奪わせてないつもりですけどね。作曲家として。
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そしてもう一つの同族嫌悪があります。
私は、人間の学習・そして思考の仕組みが、深層学習をするAIのソレと、全くもって同じであることを、本能的に理解しています。
「今のAIに無くて、ヒトの脳だけが有する神秘性」など、既にありません。
少なくとも「両者の間には本質的に “科学的な” 違いは無い」という意味です。宗教的(いわば 非・“科学” 的)な違いだけがあります。
これについては証明できませんし、説明もうまくできない。だから間違いだったと判明する日がいつか来る可能性はあります。
でも正しいと仮定する今の私の中では、AIの現状を見て、「人間は完全に人間を創造してしまった」という風に見えています。
もちろん「完璧な人間」はまだ作れていません。
そう、「発達障がいの人間」という、not-sophisticated な人間です。
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角質化した社会に風穴を開ける「突飛な発想」の仕事は、中世ヨーロッパの宮廷道化師の時代から、“変わり物” の役割だったモノです。
今なら「芸術家」と呼ばれる存在ですね。
しかし、生身の発達障がいよりも、AIの方が高機能で好都合ですね。
疲れない、面倒臭がらない、反抗しない、悩まない、鬱にならない※
計算がクソ速い
(実装が理想的であるならば)ケアレスミスしない
コピーで増やせる
人権を考慮しなくても良い
※余興的に「そう」プログラムに組み込む場合を除く。
私が、囲碁だったり将棋だったりで「人間 vs AI」というような構図を見る度に反吐が出ていたのは、ほとんど「人間 vs 上記の特長を備えた人間」という構図に見えていたからです。
そんなの、遅かれ早かれ後者が勝つに決まってるでしょ。
24時間 囲碁や将棋の分析と検証をして、食事も睡眠も排泄も要らなくて、挫折もしなくて、将来の不安も無くて、人間関係も無いなんて、生身の人間が勝てるわけ無いと言うか「それで生身の人間に負けたらクソ雑魚すぎる」というだけです。
あれらを見て「AIすげえ」なんて一度も、一瞬も感じたことが無い。
「残当」の一言です。
私はこういう異常者です。
あなたももう、文章なんて読んでませんよね?
普通の人間として “正常に”「文章を読んでいない」ことを祈っています。
正常に「読んだ気にだけなっている」ことを。
あなたにとってこの社会が、生き易いものでありますように。
人間は、流れで「人間の完全上位互換」を作れてしまったら、その後どうするんですかね?
AI危惧論が大袈裟に訴える通り「生身の人間なんかもう必要ない」ような気が、なんとなく段~々としてきて、気づいたら機械とAIだけの高度な文明を遺して消えているんですかね。
皆「考えるの面倒臭い」んだから、案外 本当に一番 幸福なのかもね。
上ポストの「お前」は イーロン・マスク氏 だったと思う。
Xがデータ収集してすげえAI作る!…みたいな話題の時だった気がする。
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一つだけ示唆的なことを言って締めるならば、
AIが持たず、人間だけが持つもの、キーとなるのは「エゴ」です。
それ以外の全項目は、後々のAIが軒並み、人間を上回ります。
念のため言っておくと、これは「AI(クソ漠然)がすごい」という話をしていないんですよ。将棋の話の時にした通り、「AIは、ずるい」だけです。
目的だけのために生まれて来るから、「肉体」や「個」や「世間(他者)」という器に閉じ込められたヒトと違って、ルール無用だからです。
これは「一冊の本(※増刷してはならない。“分厚く” は出来るが)」が、「インターネット」と勝負にならないのと同じです。
戦っちゃいけないんです。(本来ならば)「戦い」は成立しない。
張り合うような対象ではない。
「最強の雄ライオン vs 脊椎動物」でマッチングしないでしょ。
スタンスとしては「いなして」下さい。
そして「個々のAI」と「漠然と “AI”」を、峻別して下さい。
追記の章:“完璧な人間” とは、「平凡な人間」ではないのか
ちょっともう一つ語っておかないと、賢い人には私の考えが混乱して見えると思ったので、追記します。
先程こう表記しましたが、じゃあ国語の問題、
「ここでいう “完璧な人間” とは何か。本文中から抜き出せ」の答えは、
sophisticatedで “大人” な存在
になりますよね。
AI開発者・研究者たちって、「理想的な “普通” の人間」を作りたいんですかね?
多分、心からそれを目指している人も居るだろう一方で、彼らの中には、研究途上でAIが「“普通” の人間よりも有用な/すごい存在」に重なりつつあることに、味を占めだした者も居るのだろうと思います。
それこそ、「扱い易い発達障がい者」と呼び得る状態に近い、ちょうど今(2024年時点)くらいのAI。
「天才と馬鹿は紙一重」という古い言葉や、「天才には発達障がいが多い」とかいう言説だとかが示唆するように、有能な人物の脳って「“普通” から何か欠けてる」ことが大事…少なくともその相関はあることが伺えますよね。
「天才的な発想」とは、“フラットな” 想像力から生まれ、それって「常識に囚われない」ということですから。
私は、AIが進歩――AI研究が “指向する” 方向へ進歩――すればするほど、AIが「つまらない普通の人間」へと収まっていく・近づいていくだろう、と推測します。
だから「人間と同一の存在」を目指すのは、「理想的な “普通” の人間」を最終的なゴールに据えることであり、それってなんか、傍から見たらマニアックな研究ですよね。
もちろん「完璧な “普通”」の人間なんて存在しないか、ごくごく難しい(そして不毛)存在なので、とてもチャレンジングな研究だと思いますが、それ自体「芸術家みたいな偏執性」の成せる研究なのは事実だと思います。
“普通” にこだわる…コイツ自身が発達障がいっぽいな。
……どういうことかって、どうせ人工知能を作るなら「天才の知能」を作る方が社会に有益そうじゃないですか。まぁ、「基礎研究を軽んじるな」的な話に持って行くこともできますけど、
関連して一つ重要なこととして、少なくとも
極端な話、AIが「理想的な普通の人間」に成長した所で、人口爆発に寄与するだけの害悪行為です。それこそヒトが不明数 餓死しなきゃなりません。
(そのAIの使い方も「合法的に人権の無い奴隷」で感じ悪いし。)
日本は少子化だとは言え「“普通” になれない人間」の働き口って、ただでさえ貴重なんです。その働き口もAIが奪う?生活保護受給者が増える?
ますます国家予算の社会的保護費を増やしますか?
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ここまで来たらもう、いちいち「閲覧注意」貼りませんよ。
私の未来予想ですがね、AIの研究が進むと、まず初めに人々の、障がい者への憎悪が増長します。
「こんな、扱いも会話すらも面倒臭いごく潰し共、国ぐるみで生かしておく価値ないだろ」と。
多分そう言い出す人々の中にも、「理想的な健常者」なんてそう居ないんですけどね。「普通」のハードルがどんどん上がって、「障がい者」のハードルがどんどん下がっていますし。そこにはまさに「AIという存在」の作用も、確かに含まれています。内部的に加速させているでしょう。
でも私に、将来 現れるかもしれない彼らの主張が悪であると断じる術は、ありません。『人権』なんて「高尚な努力目標」であって、嘘だからです。
「重度の障がい」は少数派であって、力が弱く優先度も低いからです。
「軽度の障がい」は、乗り越えた彼らにとっては、甘えだからです。
地球の面積と資源は有限だからです。Q.E.D.
人権を保障するのは、神様仏様なんかじゃなくて、一人一人の人間でしかありません。一人一人の人間から努力する余裕が無くなれば、立ちどころに雲散霧消します。人は、社会が滅茶苦茶になれば、火事場泥棒になります。
書いていて心が痛みますが、「現実」はAIなんかより遥かに無慈悲です。
未来に何か干渉できるとすれば、今の内です。
だからこの文章を書きました。
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人間というのは、概して「最悪の事態を起こさない(例:核戦争になる、AIによって最終的に絶滅するなど)」が、傾向的に最善の道も歩めません。
何か起こってしまってから後手後手で考え始めます(まさに今のAI絡みの法整備)。だって何も起こってない内から、未来のことまで考えるなんて、面倒臭いから。
SDGs の内容のタルさ見たら分かりますよね。真剣に考えてないけど、「なんも目標に据えない」ほどの図太さも無いだけです。呪術的・儀式的な意味合いのものです。先の「人権」と一緒。
「皆、本当はそんな結末を望んでいないだろ?」なんて言わないですよ。
その結末を、望んでいるのか/望んでいないのか、分からないのが普通の人間です。
「ヒトの望み」なんて電気信号の集積でしかないのならば。
「最大多数の最大幸福」を考えた結果、私は口を噤むのです。
“その時” になってから、慌てて考えましょう。
幸いまだ8月32日ではないのだから。
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