【いまさらレビュー】映画:ドロステのはてで僕ら(日本、2020年)
今回は、SFチックなシミュレーションストーリーが最後まで飽きさせない映画『ドロステのはてで僕ら』が楽しかったので、記録に残しておこうと思います。
京都を拠点に活動する人気劇団ヨーロッパ企画の長編映画第一弾。企画・原案は上田誠、監督は山口淳太。カフェのマスター役は土佐和成、店員役で藤谷理子、マスターの憧れのお姉さん役を朝倉あきが務めています。とにかく舞台さながらのライブ感がハンパなく、同劇団らしい空気感で一気にゴールまで突っ走ります。
おはなし
「もしこうなったらあなたはどうする?」的なシミュレーションストーリーを、2分前と2分後をつなぐことでSFチックに展開させた群像劇。
舞台は1階にカフェがあるマンション。理由はさておき、カフェのテレビと2階のマスター宅のPCが突如つながる。一方は2分前の世界だ。事態把握のため2分前の自分とのコミュニケーションを図るマスター。そこにカフェ店員と先輩たち3人が加わり、ドタバタ劇がスタートする。
マスターが未来からの情報を信用し、隣の美人のお姉さんをライブに誘うが結果はNG。未来に振り回されているというパラドックスに気づき始める。合わせ鏡方式でさらに未来とつながるが、未来情報通りに拾ったお金は、実は出どころがヤバいヤツ。上の階のヤミ金業者に凸られ、一同窮地に陥る。
先輩の機転でピンチは切り抜けたが、今度はタイムパトロールからの厳しい指導が待っていた。薬を飲んで記憶を消さねば未来が変わると宣告される。だが、薬を口にした瞬間、隣のお姉さんが大きなくしゃみ。薬が吹き飛んだ結果、どうやら未来が書き換えられた。タイムパトロールが来るという未来もなくなった。
そして、マスターと隣のお姉さんはいつの間にか意気投合し、めでたく大団円。
全編ワンカット一発撮りという驚異的な手法は、おそらく今後2度と使えないと思うが(もしやれば二番煎じだ)、2分間というテーマは次回作の『リバー、流れないでよ』にバトンタッチされている。とにかく、ワンステージを一気に演じきるという劇団ならではの熱量が、とんでもないライブ感を生み出している。理屈抜きでそこが最大の魅力。
登場人物それぞれが未来はきっといいことが起こると目を輝かせていたのに対し、マスターはとても懐疑的。その理由がノストラダムスの大予言って…あんたいったい年いくつよ、と思ってしまう笑
昨日の俺は今日の敵
シミュレーションストーリーはSFの大家小松左京が得意とするところだが、タイムパラドックスという点では藤子・F・不二雄の短編「昨日の俺は今日の敵」も非常に『ドロステ』とテイストが近く面白い。
「昨日の俺」の主人公は漫画家。未来とつながった結果、俺が3人になる。自分が何人もいれば仕事量が何倍にもなりそうなもんだが、実際にはそうならないところがキモ。なにしろ漫画家はどうしようもないグダグダ男なのだ。つまりグダグダ×3…。この際、科学的なツジツマはどうでもよろしい。こんな状況になったら人間どうするか?が問われるのである。
『日本沈没』の総理大臣(1973年版映画では丹波哲郎)はカタストロフが待つ未来を知り世界各国の首脳に頭を下げたが、小市民は当然そんなことはしない。やっぱり、目先の利益が大事だよね。2分後の未来ってことになると、さてどうするか。
WIN5やJリーグtotoならドカンと一発ありそうだが、結果がわかっていてはドキドキ感はゼロ。かといって、ガチャガチャにも興味はない。2分後の自分とクイズ対決なんてやっても虚しいし、仕事を手伝ってもらっても意味ないしなぁ。結局、面白いねで終わることになるのかも。こんな想像力しかない小市民な自分を思い知る笑
いずれにせよ、未来は往々にして過去の助けにはなってくれそうにない。
ヨーロッパ企画をよくご存じの方からすると、ちょっぴりベタなキャラとストーリーかも。それでもこのエネルギー(あるいはそれ以上)でワンステージを作り上げているのかと思うと、舞台とは本当に想像を絶する作業なのだなぁと頭が下がる。
もしかすると好き嫌いががわかれるノリかなとも思うが、ライブ感覚がお好きな方なら観ておいて損はない作品だろう。