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昭和27年 謎が残る最後の日記

 私の手元に昨年3月からしばたの郷土館(柴田町)で開催された「小室達生誕120年展」のリーフレットがあります。展示作品には、開催の半年ほど前に発見された6点が含まれていました。

 そのうちの木彫3作品「白拍子」、「一條一平壽像」(白石市の鎌先温泉一條旅館17代目)、「野田眞一翁像」(南郷村の篤志家)は昭和27年の代表作です。それぞれが、どのように制作されたのか日記で調べていると、6月8日に「石巻渡辺忠右ヱ門氏に故石母田市長胸像の値段書の手紙書く」という記述が出てきました。

⑰1 リーフレット

小室達生誕120年展のリーフレット

 この頃の達は自宅に窯を作り10年程前に始めた陶彫(土を焼いて作る彫刻)制作に取り組んでいました。日記には8月12日「手作りの壺2ケを始め石母田翁首(胸像)、裸体2個、湯呑など次々に窯詰めした」、14日「石母田翁の首も全然故障なく良く焼けていた。兎も角最初の窯としては大成功である。実に愉快だ」とあります。その後釉薬をかけ仕上げたと思いますが、これが6月の胸像だったのか詳細は記されていませんでした。

 9月には陶彫作品3点を持って石巻を訪問し、気心の知れた仲間に会い懐かしい場所を訪れました。日記には5日「南鰐山十数年振りなので住宅地と変り渡辺邸が探し当てられず二度程度道を聞いてやうやく判った。治平君が目ざとく余を見つけ大歓迎さる。忠右ヱ門氏も治平君も極めて元気だった。夜は石巻市の市街を見物し、小室眼科を訪ねた。十時過ぎ辞去し渡辺邸にお世話になる事にした」

⑰2 発見された木彫作品

新たに発見された木彫作品

 6日「(浅野氏から)石母田翁像は商工会では満場一致可決、ただし市が中心となり市会が可決して建てるのが本筋と思われるのでその方へ尽力してみると。兎も角何とか必ず実現するやう努力するからとの話であった。石巻日日の佐藤露江氏を訪ねた。露江氏も側面から応援してくれると。小室眼科に行き陶彫3点を見せる。入浴後仲間を集めて飲み始めた。大いに飲み、大いに食いご馳走になった。陶彫を買ってくれる人は現れなかった。小室十郎邸に一泊した」

 7日「朝食後十郎君夫妻と合議、何とか世話してあげると。内金五千円受取った。辞去後、山へ向い忠右ヱ門氏と二人で久し振りに日和山見物に出掛ける。日和山も十何年振りだが何時来ても良い。市の発展振りも大したものだ」と記しています。

⑰3 陶彫裸婦

昭和17年制作の陶彫裸婦

 いとこの十郎が預かった陶彫3点がその後どうなったのかは分かりませんが、もしかしたら石巻の誰かの家に残っているかもしれません。帰宅後の14日「石巻渡辺忠、小室十郎両氏に手紙書く」が石巻に関する最後の記述でした。

 この年の日記は11月6日の「今日は野田翁胸像木彫最後の仕上げを急ぐ。眼や額、口の周辺、羽織紐等、全般に渡り最後の総仕上げである。精も魂もつきる程の努力だった。午後、養殖場からウナギ6尾もらいむつみ(次女)の調理でカバヤキした」が最後でした。

 達は半年後の28年5月6日に53歳でこの世を去りました。石母田正輔像がどのような作品だったのか、写真のアルバムと新聞記事のスクラップ帳も調べましたが、手掛かりはなく諦めるしかありませんでした。


筆者プロフィール-01



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