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旧門脇小で九死に一生 まち再建は命あってこそ 石巻市議 森山行輝さん

 焼けて骨組みだけとなった児童の机、むき出しの構造材。石巻市立旧門脇小学校は被災地で唯一、津波と火災の痕跡を残す遺構として整備され、4月3日から公開される。市議森山行輝さんは当時、津波に追われ校舎に逃げ込んだ一人だ。

 森山さんは市役所で地震に遭遇。稲井地区の自宅に戻ろうと駐車場を出たところで、南浜町の市立病院に行けず困っていた2人の病院職員を乗せた。防災無線は津波が来ることを告げていたが、送り届ける余裕があると思った。だが、山を越えて南浜町方面へ下る道は狭く、避難してきた車で混雑。思わぬ時間を食った。

 下りきると車はまばら。病院近くまで来た時、前方に黒い壁が見えた。「津波が来る」。慌ててUターン。門脇小に避難することを申し合わせ、一方通行路を逆走して東の校門から敷地に入った。すでに車がいっぱいで、突き進んだ玄関前に乗り捨てた。黒い津波の壁はがれきを乗せ、敷地のへりに覆いかぶさるように迫っていた。

震災の体験を語る森山さん

 3人は驚いて中央階段を駆け上がった。屋上には高齢者を中心に40人ほど。児童は津波が来る前に避難したと聞き、安心した。周辺は水没し、見えたのは文化センターの屋根と市立病院だけ。屋根につかまったまま流されていく人もおり、やがて何かにぶつかって見えなくなった。

 校舎に入らず、車に乗ったままだった人はその後、どうなったのか。「助けて」という声も聞こえたが、なすすべがなかった。頭の中が真っ白になり、「何で自分は助かった」とつぶやくと、一緒にいた職員は言った。「生きて何かしろという天のおぼしめしだ」。

 燃えたまま東へ流されていく2階建ての家があった。それが戻ってきて校舎の東にくっつくと、バリンと窓が割れる音がした。そこから校舎に燃え広がるのが分かった。

 津波避難はより遠く、より高い場所が基本だが、火災で屋上も安全でなくなった。逃げ場を探し、2階の窓から裏山に行けそうだと判断。校舎と山には少し距離があるため、居合わせた人同士で2枚の教壇を持ち出し、高齢者が滑り落ちないよう凹状に裏返して架けた。皆が渡り終えた時、校庭の方からドンと大きな音がして火が見えた。

石巻市の震災オーラルヒストリーに収められた当時の写真

 森山さんら3人は避難所に行かず、市役所へ向かった。午後5時ごろだった。数時間後、自宅へ帰ろうとすると職員に止められた。周囲が冠水していたためで、結局、4日間、泊まることになった。

 以来、命を守る政治を心掛けた。命さえ助かれば、街の再建は何とかなることは、この10年を見れば分かる。

 「門脇小を見るのは嫌だった」と森山さん。被災校舎を残すことは反対だったが、決まった以上は市に協力してきた。震災伝承や防災学習の拠点となった門脇小を内覧した森山さんは「伝え方が良く、お金を取るだけのものは作ったと思う」と評価している。

 しかし、被災校舎は傷み、風化もする。今後は厳しい財政の中での維持、活用が問われる。旧市を含め9期30年市議を務めた森山さんは、今期限りでの引退を表明しており、一般人となっても市政を見守り続けるつもりだ。【熊谷利勝】


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