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歌詞で紡ぐ地域の未来 ラッパー「楽団ひとり」 渡部敏哉さん

 高校時代から音楽の楽しさに目覚め、言葉で韻(いん)を踏んでいく「ラップ」にのめり込んできた。これまで数々の楽曲を手掛け、石巻への思いなどを込めてきた。東日本大震災で大きく変化してきた地域を見つめながら、きょうもペンを走らせ、記憶をつなぎながら文字とメロディの世界に深く潜っていく。

 渡部さんは東松島市赤井出身。高校時代に音楽の楽しさに触れ、卒業後も働きながら、特に「ラップ」というジャンルに興味を持ち独学で曲の作り方を学んできた。当時は参考にする書籍がほとんどなく、少ない資料を読み込みながら経験を積んできたという。

復興の階段 渡部敏哉さん (1)

「地域の未来像をつむいでいきたい」と話す渡部さん 

 震災が発生した平成23年3月11日は、石巻市中央に住み、仙台市で仕事の研修を受けていた。ビルの中で激しい揺れに耐えた後、帰宅指示が出たのでとりあえず仙台に住む知人の家に泊まった。

 その後別の知人と利府街道を通って石巻市に戻ろうとしたが、市内はいたるところで水没し、自宅には戻れない状態。一度、赤井の実家に泊まり、水が引いてから津波をかぶった自宅に戻った。「すぐ近くの寺が避難所になっていたので、そこに身を寄せることにした」と振り返る。その後、仮設住宅に移り住んで2年ほど暮らしたという。

 仮設暮らしの中でも仕事をしながら音楽活動を続け、ラッパー「楽団ひとり」として震災で経験したさまざまなことを基に作り上げた曲をインターネットで配信した。それが国内のダンサーやラッパーの間で話題となり、渡部さんは東京の代々木公園で開かれた日本最大のヒップホップイベント「ビーボーイパーク」に出演者の一人として招かれ、パフォーマンスを披露した。

復興の階段 渡部敏哉さん (3)

石巻への思いをラップに込め、ステージから聴衆に届けている

 渡部さんは「震災前は地域を出て仙台、東京へと乗り込むつもりだった。でも津波で自分の記憶にあった地域の姿がほぼ全て壊されたことで、それを曲として残しておきたいと思った」と話す。とあるプロラッパーが残した「ラッパーは、そのまちの書記官であるべき」の言葉が胸に刺さり、渡部さんもその役目を全うしようと地域への愛着がさらに強くなった。

インフラ整わず 7段目

 震災から10年半が過ぎ、復興に最高10段の階段があるとし、今の段数を尋ねた。少し考えて「7段目かな。まだまだインフラ整備は完遂しておらず、古くなったものは容赦なく壊されて記憶にある地域の姿は戻ってこなくなった」と語る。用途が決まらず更地の土地も多く「震災後に進化した部分もあれば、退化した部分も多い」という。

 その中で「地域の未来を言葉にし、伝え続けていきたい」と思いを込める。これまでは過去の記憶に目を向けてそれを形にしてきたが、これからは未来の姿を提示するような言葉をつなぎ、曲を聞く人たちに希望を届けたいという。

 石巻で唯一無二の音楽家であり、ラッパー「楽団ひとり」は、これからも地元に寄り添いながら、歌詞を紡いでいく。【渡邊裕紀】


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