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石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部英吉と達④昭和14 年【文展での作品の競演】

 私の手元に石巻市の市制施行50周年記念で作られた高橋英吉作品「潮音」のレプリカ像があります。英吉と出会ったご縁で私のところにやって来ました。

 第1話で紹介した潮音をテーマにした曲、石巻市総合体育館と大門崎公園、ガダルカナル島にあるブロンズの潮音像等、昭和14年の文展(文部省美術展覧会)で特選となった潮音が英吉の彫刻家人生における代表作となったことは、石巻の方なら誰もが知っていることだと思います。

①潮音

第3回文展で特選を受賞した「潮音」(石巻市教育委員会所蔵、「青春の遺作」より)

 昭和14年の小室達の日記にも、潮音のことが記されていました。10月18日には主な出来事の「高橋英吉君来訪」から始まり「正午過今文展木彫の特選になった石巻の高橋英吉君挨拶に見えた。立派な青年である。昨年捕鯨船日新丸に乗り込み七ヶ月間太洋の真只中捕鯨の事に従事した由。中々立派なスポーツだと申してた」と書かれています。

 英吉は、お世話になった人に挨拶回りをしたと思いますが、達もその中の一人でした。

 達は同郷で美校の後輩が偉業を達成し、わざわざ訪問してくれたことがうれしかったのでしょう。そして、作品作りのために南氷洋まで行き、黒潮閑日と潮音を作ったと聞き「立派な青年である」と素直な気持ちを書き残したのだと思います。

 捕鯨をスポーツに例えたのは、肉体を駆使した作業が筋トレのようだったからではないかと考えました。しかし、「高橋英吉小伝 海の三部作への序章」(鈴木多利雄著、幸工房)に捕鯨船日新丸では、南氷洋に着くまでの間ラジオ体操や娯楽としての集団競技が何度も行われていたと知り、このことがスポーツなのではないかと考えるようになりました。

2文展号

昭和14年の「文展号」。「潮音」の右上の髪に手をあてている裸婦像が達の「髪」

 この時の文展には達も「髪」(裸婦)という作品を出品しています。彫刻家としての力量が認められていたので「無鑑査」という立場でした。日記にはありませんが、それぞれが文展の会場に足を運びお互いの作品を鑑賞したのではないかと思います。

 しばたの郷土館には、達が所有していた「文展号」(11月1日発行)という作品集があります。目次の28ページに達、29ページに英吉の名前があります。開いてみると、不思議なことに見開きの中央を境に2人の作品が並ぶように写っていました。達はこの本を見て、英吉の顔を思い浮かべながら微笑んだのではないでしょうか。

 2か月後の12月、すぐに英吉のことが出てきました。これが、生前の英吉に関する最後の記述でした。


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