欲張りに気づくとき
ありのままに書いていいんだ、と自分に許した途端、書きたいことが次から次へと思い浮かんで、早くも渋滞しています。
わたしは文章を書くことに限らず、興味のあるもの全般においてそういう傾向にあります。
手を付け始めた方面のすべてを網羅したくなって、もちろん時間が足りなくて、やりたい気持ちだけが膨らんで、そのうちパンクしたように無気力になってしまうのです。
つまるところ、わたしはかなりの欲張りであるようです。
診断結果を聞いたときのこと
わたしが積極的に文章を書き始めたそもそもの契機は、ADHD(もう少し複雑ですが今は割愛します)と診断されたことです。
診断を受けた経緯や内容、そして何よりそのとき感じたことは、なるべく記憶が鮮明なうちに残しておきたいと思い、今回主題に据えました。
遡って12月26日、診断結果を聞きに行った当日。
あなたはADHDです、と先生に言われて、わたしが一番に感じたのは深い安堵でした。
わたしは絶対にどこかおかしい。
そのはずなのに、なんで誰もわたしのことをおかしいって言ってくれないんだろう。
おかしいと思ってしまうわたしがおかしいのか。
人生の半分以上を費やしてきたこの悩みが、初めて客観的に肯定されたのです。
思い込みでない明らかな根拠を手に入れたことが本当に嬉しくて、結果の書かれたA4の紙切れを何度も何度も見返しました。
やっと、“これから”どうするのか、を考え始めることができるようになった気がしました。
結果を聞くまでのあいだ
わたしは、不確定要素がひとつあるだけで、思考がまとまらずそこで止まってしまいます。
結果を知るまでは、その先の未来についてほとんど考えられませんでした。
検査を受けてから結果が出るまでのあいだ、わたしが常に悩んでいたのは、わたしにとっての“最悪”は何か、ということです。自分の望む結果が得られなかったとき、自分はどうなるのだろう、という思考に心を潰されていました。
1ヶ月あまりの期間、夫に何度もその不安をこぼしました。
そういうわたしを見る夫もきっと、とても不安だったと思います。
診断内容がどうなのか、ではなくて、それを聞いたことでわたしがどうなってしまうのかという点について。
“そのあと”はまた別の話
結果として、ある意味期待した以上の答えが得らたかたちになりました。
そして、わたしはそのときになるまで不自然なくらい思い至らなかったことですが、当然、結果を聞いてそれでおしまいではありませんでした。
診断されたからこその新しい悩みは、いまも滾々と湧き続けています。
たとえば、夫以外にカミングアウトすべきか?誰に?どこまで?だとか、
子に遺伝しているのではないか?だとか、
家族との付き合い方が変わったら?夫に甘えすぎてしまうのでは?だとか、
提案された投薬を受けるべきなのか?などなど。
同時に、診断されたからには、すぐにでも良い方に変わらなくちゃという、ひどい焦りも生まれました。
きっと、これが5日のあの日につながったのでしょう。
いつも遅れて気付く
焦燥がピークに達したあの日。
せっかくたくさんの労力をかけて、やっとひとつ前に進んだはずなのに、なんで自分はちっとも変わっていないんだろうと絶望しました。
そのときの拗れた心境を文字にすることで、ただ、自分は自分である、それだけのことと気づきました。
よくもなく、わるくもなく、只の事実として、わたしはわたしのままということです。
たいていの人にとってはわざわざ書くほどでもないような、当たり前なことです。
このことを、わたしはいつも見失ってしまいます。
またきっと忘れてしまうでしょう。
それも、わたしです。
思い出してみれば、夫がちゃんと教えてくれていました。
わたしが不安を吐露するたびに、
「夫がいて、娘がいて、犬がいて、わたしがいる。それだけでいい。だから大丈夫。」
と、繰り返し言ってくれました。
多くを望まなくていい、すぐに変わらなくていいと、ずっと言ってくれていたんだと、これを書いていてやっと思い至りました。
欲しかったことばを、わたしはすでに受け取っていました。
それに気付くのに、とても時間がかかってしまいました。
そういうところもまた、わたしです。
それでも、急いで変わろうとする自分は相変わらず消えてくれません。
充足を自覚しているくせにこれ以上を求めてばかりのわたしは、本当に欲張りでうんざりしてしまいます。
だけど、それも、これも、ぜんぶ“わたし“なのです。
おしまい。