『真新世』ペット・奴隷・宮殿・ピラミッド

なぜ、太古の建造物はあんなにも荘厳巨大なのか。

それは、荘厳巨大なもののみが残ったからだ。

崩せそうなものから素材として転用された。


太古ではセルフ天変地異くらいしか娯楽がなかった。

大地の移動はものすごく遅い。

大地は移動の土台であるからだ。

ならば、大地に偉業を刻むのが最も合理的だ。


現代でも建築業の労働環境は過酷だ。

夏は死ぬほど暑いし、冬は死ぬほど寒い。

その過酷さはピラミッド建築時と大差ないだろう。

しかし、歴史的建造物は崩されず、ビルは崩される。

その違いは、大地を大地のままにしているか否かだ。

つまり、土着性の違いである。


人々は人々の努力を尊重する。

これは他でもない、自己肯定のためである。


太古から続く「富裕層の最も崇高な遊び」それは、

攻略の証を原住民に自ら刻ませること。


(直近で言えば「Vキャンペーン」、並行して「核武装」、
並行して「アヘン」、並行して「金融」、並行して「土木事業」)

そうすることで理不尽な主従関係は解消され、

対等な「共犯者」となる。


その意味で、

残存する巨大建造物は以下の4点を保証する。

1)そこに大いなる主従関係があったこと
2)主従関係が解消され、一時的に対等になったこと
3)その地が繁栄し、後に犯罪が横行したこと
4)その地自体が文化の墓標であること


「人新世」なる言葉があるが笑いものである。

死を理解できずに、ママ(言葉)の墓標にすがる童子のようだ。

【人間活動により生じた新しい地質学的時代区分】を意味するのであれば、

あらゆる時代区分は人類が独自の解釈で名付けた「人新世」にすぎない。


「真の人新世」とは、各地に残存する文化の墓標を

すべてぶち壊してから「始まる」


数多の虐殺からなる残虐非道な歴史からの「隔離」なくして、

人類の「自立」はありえない。


観光資源とか言ってないで、開拓しようぜ。

人間の開拓をよ。


神秘や自然崇拝に未来はなく、

未来にこそ、神秘の可能性がある。




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