心眼で見る;グローバリズムと人類のこれから

製作者の意図を量る練習を続けてきた 

人為(商品,文化,作品,言動)に対しては概ね可能だ

人はみな一定程度似通った思考回路と判断様式を持つから、
内省を広く深く推し進め、それに偶有性とゆらぎを含ませば
誰でも人に関してのことなら遍く理解できる

グローバル化によりあらゆる言語間の翻訳が進められたことで、人類の多くが今や一つに繋がっている。ゆえに、わかる人にはすべてがわかってしまう時代が間もなく当然のように訪れる。


<人類の現状>

~健全なグローバリズムに必要な4つの統~

思統:個人は1つの心(一連の感情)によって成る
伝統:家族は1つの文化(一連の知識)によって成る
信統:国家は1つの思想(一連の信仰)によって成る
儲統:世界国家は1つの体制(一連の技術)によって成る

どれか少しでも欠ければ、永久平和的な人為的地球運営は成立しない。

すべての構成員がこのような多重層的思想構造を尊重するようになるまでは、人類の悲願達成は期待できない。

グローバリズムとは人々のすべての儲けを管理し思いのままにする機構であり
資本主義社会の完成形たる地球規模共産主義社会のこと。

健全たるグローバリズムとは即ち、健全たるポピュリズムである。

木を見て森を見ずではもちろんダメで、
1人1人が細胞・葉・木・森・圏の機構すべてを理解せねばならない。

現在まででこれを試みるに至った人間を私はニーチェとカントしか知らない。

以上が、人間の繁栄段階に関する現状である。


<人以外の種の繁栄に関して>

正直、人とは違う流れにあるものの意図はどうしたってわからない。

果たして理解することが可能なのかさえわからない。

言葉を介して意思疎通の確認ができず、独り善がりな気がして、操作主義的になってしまうから、やはり気が進まない。

しかし、彼らの意図をそれぞれの状況のおける状態・傾向・方向性から判断することもできなくはない。

しかし、判断や理解といったものはあくまで個人的なものであり、人以外の生物各種に'個'という概念が通用するのかわからないため、やはりここでの言及は避けるべきだと思われる。

ただ、直接の言及は避けるとしても、私があれらに思いを馳せる時の感覚への言及であれば何の障りもないであろう。


<人以外に思いを馳せる時の感覚>

それは、寝ているときの静寂感・清涼感・喪失感・虚無感・万能感に似ている。

浸ることもなければ、乾くことも溺れることもない、'在る'と'無い'とが渾然としたような得も言えぬ恍惚感、ただただそんなかんじ

五感なんて単純なもので計り知れない、ただ全体が全体であることによる完全無欠の充足感がそこにはあり、

あれらはこのような感覚さえも自分の物とも誰の物ともせずに

分かち合っているのだとしたら、

それこそ前項で述べた地球人類の最終目的である
「健全たるグローバリズム」をすでに会得、実現しているのかもしれない。


<人という非全体的で非全般的なもの>

おそらく、人類が人以外を人類と思わないかぎり、

地球政府は大成しない。

人以外とは、文字通り、岩石から大気からウイルスから機械、地球外生命までのこの世の遍くすべてである。

だとすると、人を押し広げて森羅万象に人権を与えるよりは、

現在、人と呼ばれるものに認められている人権を剥奪し、

人権を基にした行動のすべてを

「自然による自然のための自然的行為」と認識を改め、

人種のみに宿るとされる理性や知性や良識などを

自然に由来する普遍的な物象とすることの方が遙かに健全なグローバリズム実現への真っ当な営みと言えるのではないだろうか。


人間本位な発展はどこまでも迷妄であって、

そのことを強く噛み締めるべき時代に我々はいるのかもしれない。



以上、人知という限界と真のグローバリズム・スマートシティに関する私見



追記(2020.12.04)
現世に多層的なマンダラを見たのは歴史上、プラトン、ヒンドゥー教、密教、南方熊楠など、大勢いたようです。

しかし、それを「現代風に」理解しようと試みたのが文中に記したカント、ニーチェだったということです。





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