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街は、きっと自分を選んでくれる。

「どんなところに住みたい?」そう聞かれたら、思い浮かべる特定の場所がある人は多いのだろうか。就職を機に上京したけど実は地元に住みたい。と感じている人もいれば、自分の地元は田舎だからもっと都会に住んでみたいと”憧れ”を胸に抱く人もいるはず。

私は、どうだろう。

生まれも育ちも大阪で、ほぼ23年間の全てを地元で生きる私は、あまり地元に愛着を持たないで生きてきた。何にもないわけではない中途半端な田舎。最寄り駅から結構自転車をこがないといけない場所にある実家。

地域の祭り文化や、方言が苦手で、「ここに染まりたくない」と思ったこともある。標準語だって練習した。高校入学を機に地元を飛び出し県外の高校に入学できた時はすごく嬉しくて仕方なかった。田舎の高校だったけど、「地元じゃない場所に住む自分」に誇りすら持っていた。

色々とあって学校を辞めることになり、転校先を決めるとき、大阪市内の高校に即決。バイト先も市内で決めた。アルバイトをしている時に言われて一番嬉しかった言葉が「市内に住んでそうなのに!意外だね」という言葉だった。

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あれから5,6年が経とうとしている今は、2019年の4月。
平成がもうすぐ終わろうとしているこの時期に私は引っ越しを決めた。

場所は石川県の金沢市、観光地としても有名な金沢は芸術に溢れる街。でも、一歩足を踏み出すと良い意味で何もなくなる。独特な街と町の雰囲気が好き。日本で一番雨と曇りが多いなんて言われる場所は、雨も金沢の魅力と謳いイベントを行う。そんな名前のホテルだってある。

金沢に引っ越しを決めた理由はとっても簡単なものだった。学生時代に金沢エイトホール(ライブハウス)を訪れたとき、初めて降り立った金沢という土地にすごく居心地の良さを覚えた。都市部なのにそこまで人がいなくて、観光バスに並ぶ人を横目に少し歩けば、あっという間に人はいなくなる。だけど、駅前には大型ショッピングモールがあり、なんとも「暮らしやすそう」だった。

人混み嫌いの都会好きの私からするとうってつけの場所は、生まれた場所の何倍も歩きやすくて息がしやすかった。いつもは速足で歩く街中も「今日はちょっとゆっくり歩こう」なんて意識し歩きたくなるほど。

とはいえ、引っ越しがすぐに形になることはなかった。20代になりたての頃はフリーターで、飲食店でアルバイトをしたり、アパレルで働いていて、「金沢」という場所は物理的距離も、心の距離も遠く、時たま旅行で行く程度。「今住んでいる場所と違う場所で暮らすこと」なんて夢のまた夢の話だった。

いや、もしかすると20代になったばかりの私は叶える気もなかったのかもしれない。このままなんとなく、この街にいて、なんとなくフリーターとして働いていたらどこかのお店で就職できるかも…そんな人生を「夢見ていた」ぐらいだったから、地方に引っ越しなんて未来は考えることもしなかった。

「人生を変えるキッカケを手に入れたのなら、行動すべし」わが身を持って体験をしたことを話せる機会が来たら、必ず伝えたいのが、この言葉だ。

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22歳の夏、発達障害の診断を受け「自分ができること」を考え始めた。秋には甲状腺に腫瘍が見つかり、自律神経が乱れアルバイトを辞めることになった。ふと頭に浮かんだのは「自分ができること」ではなく「いつか死ぬならやりたいことをしよう」そんな思いだった。

もう立ち止まっている時間はない。そう思った私は、思い切ってアパレルや飲食といったサービス業のアルバイトを辞め(それが一番向いていると思っていた)、小学生の頃に夢見た「作家」という「書く仕事」を始めた。最初はクラウドワークスで安い文字単価の記事を書くところから始め、2年近くたった今は、一人で生活ができるお給料をもらっている。

そして24歳になる前に、金沢への引っ越しを決めた。

何が正解か分からない世の中で、移住や2拠点活動、兼業をしたいという人は多くなっているように思える。それでも、私たちはいつまでたっても”少数派にすぎない”のだろう。


世間では大々的に取り上げられる「兼業」の話も、実際にしている人を見ることは少なく、移住や2拠点活動なんて夢のまた夢と思っている人もいるかもしれない。

それでも、「後悔したくない」と考えた時、その夢は本当に自分の手で叶えられないのだろうか?20代になったばかりの何十連勤も夜勤をしていた私に会えたら「朝の5時に退勤してその後すぐにお酒を飲みに行くことだけが楽しみの日々を送っているあなたは、23歳になると、自分に合った仕事と生活リズムを見つけて22時就寝7時起床が一番幸せだと思っているよ」と声をかけてあげたい。

行動をすれば、憧れだった「生活」は案外手に入れることができるものだ。

ふと脳内に

寂しく佇む僕の影が 色を付けてと語ってきます 

と、サンボマスターの「可能性」の歌詞が流れてきた。

3年前に見ていた自分の影はきっと無色だった。でも今は違う。「やりたいこと」を見つけ、考えることで、あらゆる彩がついた影は、前を向いている。

暮らしについて考える中で、もしかすると「住みたい場所」を見つけるということは「街に選んでもらえる」ということじゃないかと思うようになった。あの時ふと感じた「ここで暮らしたい」という直感は、きっと私に「いらっしゃい」と告げてくれていたはず。選んでもらった場所で生きよう。そう思えた私の人生は幸せだ。

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(追記 2020年10月16日)
このnoteを書いて約1年半年が経過し、本当に多くの方に目を通していただいていることを嬉しく思います。

あれから1年半の間に、私は金沢に引っ越しをして、コロナ禍の影響や、新しく携わり始めた「バースデーランウェイ」という素敵なプロジェクトへの参加を機に大阪の実家に戻ってきました。

慌ただしい半年間でしたが、暮らすなかで感じた日々を大切に、今は改めて「暮らすこと」と向き合おうと感じています。

最後になりましたが、引っ越してからの日々をまとめたマガジンがありますので、もしよろしければ目を通していただけると嬉しいです。

そして、いつかまた金沢で暮らすことを目標に、がんばります。

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響あづ妙
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