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「序章」東京➡️オーストラリア 1年間のワーホリ ブリスベン

私が1年間ワーキングホリデーを使い、ブリスベンに渡航し、その時に何を感じ、考え、行動したのかを書きます。

はじめまして。

Pastaです。(名前の由来は単純にパスタが好きだから。特にアラビアータ。)

*この記事は「序章」「1章」「2章」「終章」でお送りします。

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「序章」

渡航1週間前。

必死で貯めた150万は保険やらホームステイ代やら語学学校代、その他スーツケース、パスポート更新などで残金50万になり、「こんなにもお金って減るは早いのか。。。」と驚きつつも、「50万あれば向こうでも働けるし充分だな」と単純に考えていた。。。

そして、友達や家族に渡航のことをいうと真っ先に止められた。「英語しゃべれるの?」「海外行って何するの?」等々。自分にとってはどれも陳腐な言葉に聞こえたので無視していた。

なぜ、行きたいから行く。のはダメなのか?行動するすべてに理由を持たなくてはいけないのか。全くもって理解できなかった。


そこから、友人の連絡先をすべて途絶えさせ、渡航することを決意し、実行するのであった。

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渡航当日。

期待と不安が50:50な感情のまま130リットルのトランクケースを引きづり、東京駅に到着。

東京駅から成田まで高速バスで向かう。その間にも色々な感情が出ていたのは言うまでもない。

人生で2回目の海外で飛行機もあまり乗ったことなかった。そわそわしながらも手続きをし、スムーズに搭乗。

飛行機の中では映画を2本見た。

だが、何を見たのかも覚えてないぐらいの期待と不安。

いよいよ、オーストラリアに着く。

オーストラリア ブリスベン 空港に到着。

ゲートをくぐると、オーストラリア人で白髪のタクシー運転手が私の名前が書かれたボードをかがげ、手招きをしている。

近づいて挨拶をするが相手が何をいっているかわからない。

とりあえずついてこい。

と言っているようだった。

空港の外に出た瞬間、頭上に広がる青い空と日本にはない乾いた空気が出迎えてくれた。

そのまま、タクシーに乗車。

早速タクシーの運転手が話しかけてきたが、またわからなかったので、ゆっくりしゃべってもらい、「これからホームステイ先に連れて行く。」とのこと。

タクシーで40分ほど走り、ようやくホームステイ先に到着。

タクシー運転手が家の方へ行き、チャイムをならす。

出てきたのは40代ぐらいのオーストラリア人。

私はそのままタクシーから荷物をおろし、玄関まで歩いていく。

近くに行くと夫婦ふたりで出迎えてくれ、手招きして、中に入ってくれと言ってくれた(ここから英語をジェスチャー等で解釈していくのが日常になっていく。。。)

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そんなこんなで次回「第1章」に続く。。。

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