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○○が人生から消えていく

正社員を辞めたとき

スーツを着てネクタイをするという習慣がぼくの人生から消えた。

暑がりで汗っかきなぼくにとっては

ネクタイというのは不快なだけの代物だった。

今じゃあ冠婚葬祭にしか着用しない。

ぼくの人生から消えてくれてありがとう。


カレンダー通りの仕事を辞めて

365日稼働している職場で希望シフトで働き出したとき

曜日という感覚がぼくの人生の中で薄まった。

そしてTVを見る習慣が少なくなったことで

ぼくの人生においてあるんだかないんだか分からないくらい

曜日の存在が希薄になっていった。


そして今は

大好きな愉気を職業として行っていく

整体指導者として活動していることで

かつてはやらされている仕事って概念だった「働く」がなくなりつつある。


働く時間を自分で決めることが出来るようになって

中学校のころから乗っていた満員電車が

東京にいるままなのに

ぼくの人生からほとんど姿を消してしまった。


学生の頃に言葉がキツイと友人から指摘されたことがあった。

批判だけは一流だったぼくが就職した東京海上で配属されたのは

皮肉なことに交通事故の示談交渉業務を主とするクレーム対応部門だった。

言葉がキツイ人たちを相手にするという仕事だった。

現実創造恐るべし。


脱サラして役者活動、そして整体修行の道を歩んでいても

最初の経歴の影響でどの会社で働いていてもすぐにクレーム対応を任されてしまう。


そんな内なる世界を持っているもんだから

在り方の波動がとっても低い。

だから容易には現実創造ができない。


批判的ということは

世界の「ない」にフォーカスしていて

脳内では常に文句を言っているってこと。

ノートに本音を書きだすようになって

「ある」にフォーカスしていくこと

感謝していくことを学ぶことで

ようやく現実が変化をしてきた。


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結果として

「ない」にフォーカスしていた自分と同じ内なる世界を持っている友人とは

自然と関係が消えていった。


これからは何がぼくの人生から消えていくのか楽しみ。


今生で手放していきたいのは

人との比較、競争

自分へのジャッジ

お金という制限

出来ればぼくの人生から無くしていきたい。

そんな現実を描いていきたい。



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