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とっても嬉しい愉気の感想。

すでに何度も整体指導を受けていただいている方から

相次いでぼくの愉気を受けている時の感想をいただいた。


愉気を行っているぼくの在り方と

愉気を受けていただいている方の感受性によって

どう感じるかは人それぞれ。


ぼくの整体指導室では眩しくないように

天井にある蛍光灯6本のうち、2本は点かないようにしてある。



この記事に愉気を受けた方が

目を閉じているのに、まるで目を開けているかのように明るいって記事を書いた。

記事を読んで、私も体験してみたいって思っていたんだそう。


整体指導を受けてホメオスタシスが動いてカラダの変動を体験されたあと。

愉気を受けていたら

目を閉じているのに、まぶたの裏が明るく感じられる様になった。

不思議なことに、ぼくが手を動かしていないのに明るさは変動していたんだそう。

目を閉じて太陽を見上げた時に、まぶたの裏が赤く染まるみたいに。


面白いよね。

室内の輝度は変わっていないので

感応した彼女のカラダの中の気の動きによって

明るさの濃淡が変わったんだと思われた。

記事に書いてあったことを私も体験できましたと喜んでおられた。



別の方もカラダの変動を体験して活元運動も出るようになったあと。

今まで何度もぼくの愉気を受けていただいていたのに

活元運動のあとに目に愉気をしていたら

愉気をしているのはおじさんの手なのに

4,5歳の男の子の手って感じたんだそう。

とっても不思議な感覚でしたって。


聴かせていただいた感想はぼくにとっては嬉しいものだった。

物理的なぼくの手は変わっていない。

変わったと感じられたのなら愉気の質が変わっていたのだと思われた。

自分の愉気の性質って、自分じゃ分からないからね。


思考がざわざわしている人には

敏感な人ならばそもそも触れられたくないって感じてしまう。

本来ならばカラダを感じて愉気を行っていれば思考は静まっている。

日常でも自動思考が静まったことで更に静けさが深化した可能性がある。

静けさが深まったことで愉気を受けた方が

ぼくの手を幼稚園の男の子として感じたんじゃないだろうか。

と、自分が嬉しいように勝手に解釈しています。


愉気において大切なことは

気が澄んでいるってこと。

師匠・田総先生の愉気を受けていて心地よさ、幸せを感じたときって

温かさ

穏やかさ

そして静けさを感じているときだった。


自分の手が師匠の手に少しでも近づけていたら嬉しいなって思うのでした。



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