成長は必要ない、手段と目的について

はたして成長は必要なのだろうか。多くの人が考える成長とは「成長のための成長」だ。僕にはそれが必要だとは思えない。手段と目的ということで言えば、成長はなにかを成し遂げるための手段であるはずだ。「成長しなければならない」そんなプレッシャーを感じている人は少なくないと思う。けれどもそれは成長すること自体が目的になってしまってはいないだろうか。

僕も成長を目的としていた時期があった。例えば、英語や数学。時間をとって勉強をしていた。けれども、仕事でもそれ以外でもそれらを使う機会はまだない。基礎だけおさえておいて、将来使うときになってあらためて勉強すればいいのだと気がついた。資格ハンターをしていた時期もあったのだけど、これも完全に趣味でしかなく、資格を使ってなにかをしようというわけではなかった。

考え方が変わるきっかけは、やはり、ひとり親になったことだろう。共働き夫婦に比べて、使える時間は半分、収入も半分。生きていくだけで精一杯の生活。成長のための成長をする余裕などない。当初は焦りも感じた。しかし、やるべきことの取捨選択を求められ、考えた。成長は必要なのだろうか。成長は手段だ。やりたいことができるようになること。それが目的なんじゃないだろうか。

もちろん、目的としての成長にはよい面もある。成長すること自体で満足感を得ることができる。人には成長したいという欲求がある。それを満たすのはよいことだと思う。欲求であるとうことに注意すれば、であるけども。欲求なのだから他人に押し付けるものではない。「私はおいしいものが食べたいから、あなたもおいしいものを食べたいと思え」と同じく「成長したいと思え」というのは成立しない。他人からだけではなく自分自身でもプレッシャーをかけてしまいがちだけれど、そんなプレッシャーは必要ない。いまは成長は必要ないと感じるのなら、無理に成長する必要はないと思う。

この世界はすばらしい。けれども、生きていくだけでも大変だ。生きているだけで人は成長しているのではないだろうか。それ以上の成長が必要かどうかは、じっくりと考える必要がある。なにかやりたいことがあって、それに足りないものを埋める。それが手段のための成長で、目的のための成長よりも速度が大きいように思う。やりたいことができるようになるのが本質だ。「成長しなければならない」というルールは存在しない。つらい思いをして生きている人たちが、成長のプレッシャーに押しつぶされることがなければいいなと思う。

サポートしていただくと更新頻度が上がるかもしれません。