自分で自分を縛らない、不自由な思い込みについて
成長するに従って、一般常識だとか誰かが言ったことだとか、自分自身で作ったしがらみでがんじがらめになっていく。子どもたちには自分で自分を縛りつけるような生き方はしてほしくない。それに自分自身もそんな生き方はしたくない。
「バラエティサンドのジレンマ」という名前をつけたもののたいしたものではない話がある。パックにサンドイッチが並んでいて、普通の人は端から食べていくと思うのだけど、そこで急に真ん中のサンドイッチを食べたくなったとする。それでも何となく端から順に食べてしまう。自分で作ったルールに縛られてしまっている状態だ。やはり、たいした話ではなかった。けれども、誰から強制されたわけでもないルールに自分で縛りつけられてしまうことは多いんじゃないだろうか。
まずは「~しなければならない」「~でなければならない」という思い込みを捨てることからはじめたい。とくに子育てをしていると、子どもの将来が不安になってついつい根拠の無い思い込みに支配されてしまう。けれども子育てに正解はない。厳しく育ててうまくいった例もあれば、放任主義でうまくいった例もあって、結局は結果論でしかないのだと思う。自分自身の人生も同じで、地道に努力して成功する例もあれば、やりたい放題やって成功する例もあるだろう。そもそも成功の定義というのがよくわからないし「成功しなければならない」という思考でさえも思い込みに過ぎない。
人は思い込みに支配されやすいから、そんなときは疑ってかかることが重要なのだと思う。「~しなければならない」という気がしたら、それは本当だろうかと疑ってみる。僕の経験では「~しなければならない」というのが本当だったことはほとんどない。「~は常識だ」というのも「それは誰にとっての常識か」と問いかけてみる。大抵の場合、それは誰かが根拠もなく常識だと言っているだけで、自分にとっての常識である必要はない。とは言え、なかには世の中の常識を片っ端から疑ってかかる人もいて、それはそれでおもしろいのだけど、僕は少ないストレスで自由に生きていたいだけなのでそこまでは追求しない。従うのにストレスのかかる常識や思い込みやルールにぶつかったときにだけ、一瞬の間をとって疑ってみる。
僕は人と比べるとブレーキを踏まないことが多いかもしれない。思いついたら歩き始めている。ブレーキを踏まないと、巻き込まれて迷惑をこうむる人がいるかもしれない。でも「他人に迷惑をかけるな」というのは嘘だと思っている。ただ生きているだけでも誰かに迷惑をかけている。それを見て見ぬふりをしているだけだ。もちろん明らかに嫌な思いをさせるとわかっているときにはやらない。なんとなく迷惑がかかるんじゃないかという漠然とした不安ならやる。迷惑をかけないようにとブレーキを踏むことは、それをやることでメリットを得られる人にとっては機会損失になってしまう。それは、もったいない。
子どもたちはまずは親の常識で縛りつけないように気をつけている。基本的にダメだとは言わない。それでも常識的な子に育っているのは学校教育の賜物なのだろうか。子育ては結果論でしかないので、この子たちがしあわせに生きていければそれでいい。
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