見出し画像

親に会いに行くのは、いつも強がれるとき。


「おお、おかえり」

そう言って玄関の扉を開けてくれたのは、半年ぶりに会った父親だった。もう長い間聴いていなかった「おかえり」にびっくりして、ただいまとはうまく言えず「やぁやぁ、久しぶりだね」と言った。照れ隠しだった。久しぶりの「おかえり」はなんだかやさしくて、少し泣きそうになった。

生まれ育った街にある私の家は、今は他の誰かに貸している。だから、私にとっての「帰省」は父方の実家か母方の実家のどちらか。今回は、父と兄が住んでいる父方の実家。母は認知症の祖母と一緒に暮らしているから、また今度会いに行く。

久しぶりに会った父は相変わらずで、少し前よりも元気そうで安心した。「仕事はどうなの」「ちゃんと食べているの」「お昼はどうしているの」とめどなく溢れる父の質問に「ちゃんとお弁当とか作ってお昼も食べてるよ」「仕事は忙しいこともあるけど、大丈夫だよ」と答えた。少しだけ、無理をして答えていた。

先週、本当にしんどくてもう全部を投げ出したくなった。誰かに抱きしめてほしくなった。両親の顔が浮かんだ。「いつでも帰っておいで」と言っていた両親の顔が浮かんだが、心配かけるなぁと思ってやめた。本当にしんどいとき、本当に心配かけたくない人たちに人は甘えられないのかもしれない。

週末、山形に旅行に行った。別に何をしたいわけでもなかったけど、東京から離れるように、逃げるようにして、飛行機で向かった。山形はよかった。海があって、山があって、みんなどの人も優しくて、本当に泣きそうだった。この話はまた別で書きたいけど、少しだけ、元気が出た。そんな旅行だった。

だから、鶴岡の駅でお土産を選んでいるとき、会社への他に「父親たちにも買っていくか」と思えた。今なら、少し元気が出た今なら、会ってもそれなりの元気で振る舞えると思った。父や兄、みんなが好きそうな和菓子を買った。

父は、お土産と少し前に買ったプレゼントを渡すと嬉しそうな顔をしてくれた。家族の嬉しそうな顔を見て、それがなんだかとても嬉しかった。

きっと父は、私がどこで何をしていても心配をしてくれている。それなりにしっかりやっていると思ってくれていながらも、どこかで無理してないかな元気でやってるかなと心配してくれている。

けど、便りがないのも元気でやってる証拠だと思って、過保護にならずたまにLINEをくれるくらいにしてくれている。それがとても嬉しく、ありがたく、こうして書いていると泣きたくなるほどに、私はやっぱりいつまで経っても父にとっては子供なのだと気付かされる。

また父や母に会ったら、たくさん元気で頑張っている私でいたい。だから、またもう少しだけ頑張って頑張って、頑張れるだけはやってみます。いってきます。

この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,996件

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?