桂子。

広告会社で働いている社会人4年目です。 あなたを言葉で肯定できたなら、こんなに嬉しいこ…

桂子。

広告会社で働いている社会人4年目です。 あなたを言葉で肯定できたなら、こんなに嬉しいことはないです。

マガジン

  • 大切な家族に向けて

    家族について書いたnoteです

  • 頭の片隅。

    恋の話をしています。

  • 企画メシについて

    企画メシに関するnoteをまとめています

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私が知らない母親を、Facebookは知っていた。

この一月、私は実の母親と再会した。 その時の話は次のnoteを読んでもらえたら嬉しい。 それ以降、特別母親とは連絡を取っていない。もともと、新年と誕生日くらいしか連絡は取らないだろうとは思っていたからそんなものだとは思っていた。だから、特別思い出すことなんて何もなかった。 そんな中、六月から始まった企画メシに合わせて作成したFacebookのアカウントで「知り合いかも」に母親の名前があった。赤の他人かと思ったけれども、違うことはどこかでわかっていた。 Facebookで

    • 減点方式でも、生きていく。

      「自分に自信がないんだね」 自分に昔から自信がなかった。心の中にはいつも『自分なんて』があった。100点満点をいつでも取らないといけないと思っていたから、少しでも欠けると「自分はダメなんだ」と思っていた。 自分自身への評価の仕方に気がついたのは、いつだったろう。よくは覚えてないけど、ふと周りは加点方式の人が多いのに、自分は減点方式で生きているんだなと気がついた。少しでも欠点があるとそこにスポットライトを当てて減点していってしまう。誰も得なんてしない、そんなことはわかってい

      • 夏の昼下がりとクリームソーダ。

        「おーい。クリームソーダにしようよー。」 夏のお昼すぎ、3階の子供部屋で過ごしていると、よく父親の声が階下にあるキッチンから聞こえた。父親は、いつも少し嬉しそうな声で私たちを呼んだ。 決まって、食べるのは土曜日だった。土曜日は、だいたい午前中のうちに一週間分の買い出しに出かけ、その後は家でお昼ごはん。夏のお昼ごはんは、チャーハンか焼きそばか冷やし中華か素麺だった気がする。夏のお昼ごはん、結構好きだった。 クリームソーダは、そんな土曜日のお昼ごはんのあと、少し食休みをして

        • 私は、60分間で何ができるだろう。

          「60分、だとは思えなかったね。」 60分間の映画を観たあと、声が漏れた。ストーリーは知っていた。数年前にSNSで見ていたから知っていたが、それでも、私はあの暗い映画館の中で微笑んで泣いて、感情を揺らされていた。 高校時代の先輩の演劇もそうだった。「パーフェクト・ドライブ」と題された60分間の演劇。60分。舞台の上には、たった4人。着替えもない一つの舞台。 たった60分なのに引き込まれていた。高校の同級生との再会をきっかけに描かれる様々の中で、私は、今さら言うこと、今だ

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        私が知らない母親を、Facebookは知っていた。

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          6本
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        • 企画メシについて
          8本

        記事

          鶴岡が、私の肩の力を抜いてくれた。

          「たーくさん、休んで癒されていってください。山形は美味しいものとお酒と、いい景色がありますから。」 そう話してくれたのは、鶴岡市にある丙申堂の方。私はなんだか心がほぐれてしまって、少しだけ泣きそうになった。 鶴岡の旅行は、特段計画されたものではなかった。決めていたのは、行きの飛行機と帰りの新幹線、泊まるホテル。そして、加茂水族館に行くことだけだった。行き先の決定も適当なもので、BRUTUSの水族館特集を見ながら行きたい水族館をもとに探して、その中でも梅雨の影響を大きく受け

          鶴岡が、私の肩の力を抜いてくれた。

          自分の感情を、抱きしめる。

          「もっとさ、素直になれたらいいのにね」 旅行中、たまたま電話をした相手から言われた。「あぁ、そうか、そうだな、私はいつも強がってばかりだな」と思って、「そうだね」って笑ってしまった。 高校生くらいまでだろうか、よく「お前は素直だなぁ」と言われていた。挨拶して相手に返してもらえたのが嬉しくてにこにこしている私を見て、家の方向が同じだった二個上の先輩はよくそう言っていた。だから、私は素直、そう思っていた。 ただ、年齢を重ねていってあれから10年。自分でも「変わったな」と思う

          自分の感情を、抱きしめる。

          親に会いに行くのは、いつも強がれるとき。

          「おお、おかえり」 そう言って玄関の扉を開けてくれたのは、半年ぶりに会った父親だった。もう長い間聴いていなかった「おかえり」にびっくりして、ただいまとはうまく言えず「やぁやぁ、久しぶりだね」と言った。照れ隠しだった。久しぶりの「おかえり」はなんだかやさしくて、少し泣きそうになった。 生まれ育った街にある私の家は、今は他の誰かに貸している。だから、私にとっての「帰省」は父方の実家か母方の実家のどちらか。今回は、父と兄が住んでいる父方の実家。母は認知症の祖母と一緒に暮らしてい

          親に会いに行くのは、いつも強がれるとき。

          未来のことが、考えられない。

          家に帰ってくると、涙がとめどなく溢れた。小さな子どものように大声をあげて泣き、「もう無理だよ、しんどいよ、帰りたい」と泣きながら口にした。子どもの頃は何時間も泣いていたような気がするのに、大人になって ずっと泣くなんてことはなくなった。一通り泣いて、目元が真っ赤な鏡の中の自分見て、限界が近いことを悟った。 何ヶ月前からだろうか、未来のことを考えることができなくなった。 はじめのきっかけは、会社に来ている保険の営業さんと話したときだった。よく話す彼女がある日、私のためにとプ

          未来のことが、考えられない。

          お弁当は、きっと私のためだから。

          「今日もお弁当作ってきたの?毎日えらいね」 会社でお弁当を食べているとかけられる言葉で最も多いのが、この一言。そんなことないですよ、気晴らしなんです と答えて笑う日々を過ごしている。 私がお弁当を作るようになったのは、一人暮らしをして一年が経った頃だったように思う。作ろうと思ったきっかけは単純で、それは私が「ランチに行く」という行為が苦手だったことがきっかけだ。 私は、ランチに出かけるのが苦手だった。私が勤務している駅の最寄り駅にはたくさんの飲食店がある。ビジネス街だか

          お弁当は、きっと私のためだから。

          影がある世界でよかった。

          悲しくなったり、消えたいなぁと考えたとき、自分の足元や人の足元を見て安心することがある。 影。この世の誰の足元にもできるそれが、私はとても好きだ。いつから好きなのかはよくわからないけれど、きっかけは、おそらくある一冊の本。 それは、「影をなくした男」という本で、詩人であり植物学者のアーデルベルト・フォン・シャミッソーが書いた小説。実家の父親の何千とあったであろう本の中の一冊がこれで、私は小学生の頃にたまたま手に取って開いていた。自由課題で読書感想文の題材にまで選んだその本

          影がある世界でよかった。

          心のなかでも、殺したくない。

          「それで、あいつが心中したりしたらウケるよな」 取り留めもない会話のなかで、知人から出てきた発言にゾッとした。それまで楽しく話していて笑っていたのにビックリしてしまい、暖色で彩度が高い色だった私の笑い声は、いつの間にか乾いて褪せた色になっていた。みんなが遠くで笑っているみたいだった。 以前はよく、誰かのことを恨めしく思ったり憎むように思うことがあった。口に出すことはしなくても、それなりの罵詈雑言を心の中で放っていた。そんなときの自分はどこか汚いもののように思えて、好きじゃ

          心のなかでも、殺したくない。

          呼ばれ方が、すこし変わっただけ。

          桂子、桂子ちゃん、桂ちゃん、けいさん。 名字のあだ名も合わせれば、10個くらいはあるだろうか。私のあだ名はわりと多くて、それらそれぞれが私は好きだったりする。 私の仲のいいその人は、私を名字にさん付けして呼ぶ人だった。年齢は同い年だし、本当なら呼び捨てでも構わないのだろうが、私と彼が知り合ったのはお店で、私はあくまでお客さんだった。お互い名前こそ会話の中で知っていたが、どこまで行ってもお客さんと店員の関係。だからこそ、どれだけ仲がよくなろうとも私たちの間でさん付けが廃止され

          呼ばれ方が、すこし変わっただけ。

          10年近く続いた夢が終わった日の話

          大号泣をしながら起きる朝が、年に数回あった。そんなふうにして起きた日は、必ずと言っていいほど夢を見ていた。小学生から高校生にかけて定期的に見る夢だった。 いつも何か人間っぽいものに追われていて、必死に逃げる夢だった。逃げても逃げても最終的に銃とかで殺される夢で、小学校高学年になった頃には殺されないと夢から覚められないことに気がついてわざと殺されるように夢の中で仕向けたりしていたし、中学に上がると死んだふりを夢の中でするようになった。 私が見るこの手の夢は夢の中での意識がわ

          10年近く続いた夢が終わった日の話

          0411_心の柔らかいところの話

          日々の中で、泣くことはあまりない。怒ることもなければ、嬉しくて仕方がなくて笑顔いっぱいになることもあまりない。 いつからか、落ち着いていて大人っぽいよねと言われるようになって、それをまたにこにこと受け入れるようになった。いつでもスンとしているように見られるようになったのは、いつからだろう。 昔は、よく泣いてよく笑う子だった。「笑う門には福来るって言うけれど、桂子ちゃんが笑う我が家には福来るね」と小学生になる前に父親に言われたことを覚えている。本当に嬉しければよく笑う子だっ

          0411_心の柔らかいところの話

          傷つける力を知らないほうが、よっぽど怖い。

          「ボクシングやってるの…?怖いね…」 大学4年間をボクシング部のマネージャーとして過ごし、社会人2年目の冬の初めからジムに通ってボクシングをやり始めた私は、たびたびこういった言葉をかけられることがある。 言われるのももう慣れたもので、一瞬は嫌な気持ちにもなるが「殴ったりなんてしないですよ」と笑顔で受け流すようになった。 たまに「なんのためにやっているの?」と聞かれることもある。別に、なんのためでもない、というのが正直なところだ。社会人になって意識的にじゃないと身体を動か

          傷つける力を知らないほうが、よっぽど怖い。

          関係性をつづける努力。

          「すごくよかった」「綺麗だった」「楽しかった」 簡単に綴られた言葉と写真たちに、なんと返すのが正しいのかわからず、わたしは「よかったね」と送った。 メッセージを送ってきたのは、知り合って8年目になろうとしている友人。同じコミュニティに数年属していたが、友人がコミュニティを抜けたことで頻繁に会うことは無くなったが、それでも月に一度くらいの頻度で会う仲だ。 学生の頃は、大学の話やそれぞれの友人の話、恋愛の話をしてそれなりに楽しく過ごしていた。元々タイプが違うし、彼女は一歳上で

          関係性をつづける努力。