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お弁当は、きっと私のためだから。

「今日もお弁当作ってきたの?毎日えらいね」

会社でお弁当を食べているとかけられる言葉で最も多いのが、この一言。そんなことないですよ、気晴らしなんです と答えて笑う日々を過ごしている。

私がお弁当を作るようになったのは、一人暮らしをして一年が経った頃だったように思う。作ろうと思ったきっかけは単純で、それは私が「ランチに行く」という行為が苦手だったことがきっかけだ。

私は、ランチに出かけるのが苦手だった。私が勤務している駅の最寄り駅にはたくさんの飲食店がある。ビジネス街だから、ランチにも困らない。ありがたい街だと思う。ただ、私はそんな数多くある飲食店の中から”今食べたいもの”を見つけるのが苦手だった。誰かとランチに出かけるのは好きなのに、一人はてんでだめだった。自分の食べたいものが見つからず、”今食べたいもの”を考えながら歩いているうちに、疲れてしまう。そうしているうちに、なんだか食べることがどうでもよくなり、近くのエクセルシオールやプロントに入店してコーヒーと軽食で済ませる日が多かった。私は、その瞬間その瞬間で自分の欲しているものを判断するのが苦手な人間だった。

けど、頑張って働いているなかで、そんな軽食で済ませるのは自分を軽視しているような気がしていた。本当に食べたいわけではないのに食べられるカフェの軽食にも、なんだか失礼な気がした。そもそも朝もしっかり食べているわけではない私に、適当な昼食。健康的によくないのは、明らかだった。

お弁当箱は、実家から持ってきていた。高校から大学にかけて私が使っていたお弁当箱と全く同じデザインのもの。母が姉と私にお揃いで買ってきて、姉が使っていなかった新品を私は一人暮らしの家に持ってきた。

初めてつくったお弁当は、焼きうどん弁当だった。昔、実家に住んでいた頃、両親が不在だった日に作ったお弁当を再現した。我ながらおいしかった。それから、お弁当を作るようになった。無理はせず、作りたいと思った日に作る。それが、私のモットーになった。

私にとってのお弁当は、明日の自分を生かすための、明日の自分への贈り物である。かつては両親がしてくれていたその贈り物を思い出すと、たまに泣きたくなる。たくさん詰められていたおかず、適度な量のご飯。冷めてもおいしいし、レンジで温め直してもおいしかった。たまに味が混ざっていたお弁当が好きじゃなかったけど、作る側になるとお弁当は思っているよりも難しいということに気がつき、あの頃の親に頭が上がらなくなった。

実家にいた頃、母が仕事の繁忙期で寝不足でしんどそうだった日に「明日、お父さんとお母さんの分もお弁当作るから、お母さんゆっくり寝なよ」と提案をしたことがあった。次の朝、お弁当を作っていると、母はスマホ片手に「わ~おいしそう~」と言い、私に「お昼の楽しみがなくなるよ」と言われながら写真を撮っていた。結局朝ゆっくり寝てくれなかったが、帰ってくると美味しかったと嬉しそうに言ってくれた。

今なら、わかる気がする。誰かにお弁当を作ってもらえる喜び。うれしさ。そして、そのありがたさ。

明日の自分のことを思い、おかずを作り詰めていく。私のお弁当は、卵焼きとお肉系のおかずと、野菜と、トマトやパプリカのピクルスと、それから雑穀米。ご飯の上には、いつも梅干しを添える。理由は、実家の頃から父が作るお弁当にも、母がつくるお弁当にも入っていたから。栄養のバランスを考えて、野菜と炭水化物とタンパク質をほどよく摂れるようにする。量は眠くならないように、ほどよい程度にして、蓋をする。これを食べる自分が少しでも嬉しくなるように、午後から頑張ろうと思えるように、そんなことを考えながら蓋をする。

父も母も、同じ気持ちだったのだろうか。朝早く起きて、ご飯を詰めて、おかずを作っていた。ふと父と母のお弁当を食べたいなぁと思うけど、一人暮らしをしている今の私を支えられるのは私のお弁当でしかない。だから、今日も私は作っている。

料理は好きだ。キッチンに立つと、心が落ち着く。それでも、決して無理はせず、作りたい日に明日の自分に向けてお弁当を作る。それが私がお弁当作りを続けるために、唯一自分と約束していること。

私は、私の食べたものでできている。父と母のごはんにはいつだって愛情があった。今の私のごはんには、愛情はあるだろうか。明日の私が、このお弁当を食べて少しでも穏やかな気持ちになれたらいいと心から思う。


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