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私の人生を変えた言葉たち

はじめに

今日、5月18日は「ことばの日」。
ということで、今日は、「私の人生を変えた言葉たち」を皆さんにシェアしたいと思います。

いわゆる”名言”とは少し違うのですが、この言葉と出会っていなかったら、自分の人生は今とは違うものになっていたかもしれない。そんな言葉たちを集めました。

基本的には、実際に私が言われた言葉を集めましたが、相手は忘れている言葉もあるでしょう。でも、確かに今日まで、私の人生の変わる瞬間には、この言葉たちの存在があったのです。

本記事は5,000字を超えております。まずは気になる言葉からお読みになるのもおすすめです。今のあなたに響く言葉が、ありますように。



”書く”を好きでいさせ続けてくれている言葉

元町さんの文章、好きだよ

これは、高校の時の担任の先生の言葉です。

まだ書いたものを外に出したことがなかった頃に受け取ったこの言葉が、どれほど自分にとって大きいものだったか。時間が経つほどに私は実感するようになりました。

でも、この先生と文章について話したのは、在学中はこの時だけ。卒業する時に感謝を伝えればよかったと卒業して何年か経ってから思いましたが、コロナ禍もあり、母校に帰る機会すらありません。そうこうするうちに、この先生が退職されたことを知りました。

もう二度と会えなくなってしまったかも。そう思っていましたが、何年かぶりに母校の文化祭に行った時に、この先生と再会することができました。もう教員をお辞めになっていたのに、文化祭には訪れていて、ばったりお会いすることができたのです。

メールアドレスを聞き出した私は、後日、先生にメールを書きました。

高校の頃の面談の時に、私の文章が好きだと伝えてくださったことが嬉しかったこと、その言葉のおかげで「書くことが好き」という気持ちを変わらずに持ち続けて、今ではnoteでエッセイを書いていること……。

すると何と、その時のことを覚えていらっしゃったばかりか、「実はね」とこんなことを教えてくださったのです。

実は、先生が私の文章を好きになってくださったのは、私が中学生の時。中学1年の時の副担任だった時に、担任の先生から、私の書く日誌をおすすめされたのだそうです。

その時から好きだった、と、高校どころか大学を卒業してから言われて、さらにこの言葉は、私にとって大切なものとなりました。

今も、文章にそれほど自信があるわけではありません。常に、どうしたらもっとうまく表現できるんだろう、と悩み考えているくらいなのです。

でも、それでも好きと言ってくれる人がいること。今よりよっぽど上手くはなかった時に、好きだと言ってくれた人がいること。

そのことが、新たに言葉を生み出すことを、文章を綴ることを、後押しし続けてくれるのです。


自分の現状を受け入れるきっかけをくれた言葉

あなたは、座ってできることを頑張りなさい

高校生の時、両膝を悪くしたことがありました。長ったらしい症名を告げられ、いつになったら痛みが治まるのかと尋ねると、何と10年という答えが返ってきました。10年もすれば、痛くなくなるでしょうね、と。

高校生にとっての10年は、あまりにも長く感じられました。

当時は、スカートが膝に当たるのすら痛く、階段を下りることなどほとんど不可能だったので、私は軽く絶望していました。この痛みに耐えて生きていけるだろうか、と暗い10年間を想像してさえいました。

その時、先生に言われたのがこの言葉でした。

「他の人と同じように跳んだり跳ねたり走ったりはできないけど、あなたは、座ってできることを頑張りなさい。自分にできることをやったらいいんだから」

もちろん、言われたその瞬間は、希望が胸に広がる、なんてことにはなりませんでした。当分治らないのだという事実の方が、重くのしかかってきていました。

でも、母の運転する車で家に帰りながら、私は思いました。確かに先生の言う通りだと。他の人が普通にできて、自分にできないことを羨んでも仕方がない。歩けないなら、座ってできることを頑張ればいいのだ、と。

この言葉がきっかけで、私は勉強に本腰を入れるようになりました。「大学なんて行かない」という宣言を取り下げ、苦手なりに勉強に励み、第一志望の大学に入学することができたのです。
もし、この言葉がなかったら、私の人生は、今とはかなり違ったものになっていたと思います。


自分を奮い立たせてくれる言葉

進めば、道が開けるよ

長いこと私のnoteを読んでくださっている皆様は、見覚えがあるかもしれません。これは、私自身が、見知らぬ人に贈った言葉です。

これを発した当時より、この記事を書いた時よりも、「道がなくても、道しるべは沢山ある」と、今の方が自信をもって言うことができます。

道しるべは、誰かの言葉や、偶然目にした情報かもしれません。それが道しるべだとすぐには分からない、小さなサインかもしれません。でも、ふと自分の前に現れた言葉や情報を頼りに進んでいくと、案外、求めていた場所にたどり着けるのかもしれない、と今は思います。

どうしよう、道がない。
この道は、どこにも繋がっていないかもしれない。

そんな不安を抱いた時には、ぜひこの言葉を思い出して、まずは進んでみてください。私も、そうやって進んできました。


勇気を与え続けてくれる言葉

結局、最後は幸せになるよ、君は

これは、中高時代からの友人が何年にも渡って、繰り返し伝えてくれている言葉です。

私と人生の半分近くの時間を共にしている彼女は、おそらく誰よりも私が悩み苦しむ姿を知っていると思います。お互いに、「他の人には理解されないと思うんだけど」「君にだから話すけど」と言って、どれだけの悩みを共有してきたか分かりません。

けれど、そんな彼女とも連絡をとらなくなった時期が私にはありました。

それは、学生時代、メニエールで苦しんでいた頃。

普通に大学生活を楽しむ彼女に、自分が苦しんでいることを伝えるなんて、やってみようとも思えませんでした。苦しんでいることを伝えることで、彼女も苦しい思いをすることになる。そう思ったら、何も言えなくなったのです。

私は、ただただ孤立を深めていきました。

でも、「もう終わりだ」と思っているその時でさえ、かすかに光の道を見せてくれたのは、10代のころからいつも彼女が伝えてくれていた、この言葉でした。

苦しんでいる最中に、自分が立っている道の先に”幸せ”が待っていると信じるなんて、到底な無理なことです。自分のことも、自分の人生も、神様のことも信じられない、と私は思っていました。

でも、彼女の言葉を嘘にはしたくない。
私と私の人生を信じている彼女の言葉は、信じたい。

なぜか、そんな風に思わせてくれる力が、この言葉にはありました。

結局、最後は幸せになるんだよ」と、ちょっと突き放したような、何もかもを見透かしたような、何かを祈るような、言い聞かせるような、不思議な言葉。

この先も、痛いことや悲しいことが沢山待っていると思います。「絶対、もう幸せになんてなれない」と肩を落とす日がまた来るでしょう。

でも、そんな時も、この言葉だけは、変わらずに私の体内に残ってくれている気がします。そして、この言葉がある限り、私の心が完全に折れることはない、と思うのです。


周りの人との関わり方に変化をもたらした言葉

いい? 周りの人たちは絶対優しいんだから、困ったことがあったら、ちゃんと助けを求めるんだよ

これは、私が社会人になる直前、研修のため空港に向かう車のなかで、母から言われた言葉です。こちらも、すでに記事にしているので、見覚えがあるという方もいらっしゃるかもしれません。

それまでの私は、自分が困った状況に陥っていると気づくこともできず、当然、誰かに助けを求めるなんてことができませんでした。

結果的に、私が困っていることを”察した”家族に救われることもありましたが、見知らぬ土地でのホテル暮らしを案じた母が、この言葉を贈ってくれました。

これからの3ヶ月は、"察してくれる"家族はいない。そのことを怖いと思うと同時に、味方が沢山いるという気持ちで人と関わろうと思えたのです。

そのおかげで、私は同期たちとありのままの姿で付き合うことができました。分からなかったら分からないと、説明についていけていなかったら助けてと素直に言えるようになったのです。

それはもちろん、同期たちが優しかったからこそではあります。

でも、まずは、相手の優しさを信じようと思ったこと。そのことが、彼らとの距離を縮めてくれたように思います。


自分も他人も同じように大切にできるようにしてくれた言葉

I'm OK, You're OK. の感覚でいきましょう

これは、会社の新人研修で、人事の方に言われた言葉です。こちらも、かなり印象に残った言葉だったので、すでに記事としてあげております。

文脈としては、会社の一員としてのコミュニケーションのあり方の説明だった気がするのですが、私には、人生全体の自分の考え方を振り返るきっかけになりました。

自己肯定、他者肯定の姿勢でいきましょうね、と言われた時に、「あれ、今まで自分は自己否定をしていたな」と気がついたのです。

これからは、自分も相手も認めていこう。
そう心を決めてから、生きるのが随分楽になった気がします。

最近、誰と会っても話しても、「どうして自分はこの人みたいに○○じゃないんだろう?」とか理不尽なことを言われた時に「私が悪いんだよね……」などとなることはなくなりました。

むしろ、私にはいいところがある、相手にもいいところがある、だから協力しようとか、高め合おうとか、そんな気持ちになれるようになったのです。

この言葉が、自分も他人も受け入れ、大切にできる心を、私に与えてくれたように思います。

そして、それだけストレートに私の心に響いたのは、これを伝えてくれた人事の方が、この考えを体現するように社員全員のことを大切にしていたからこそだと思うのです。


自分がカゴの中にいることを気づかせてくれた言葉

カゴから出たあなたを見てみたい

この言葉は、何度も(元)恋人に言われた言葉でした。そして、言われるたびに気分を害された言葉でもありました。

こちらも、私にとって非常に大切な言葉で、すでに外部サイト(かがみよかがみ)に記事としてあげております。

この言葉を聞くと、私がカゴの中にいると決めつけ、いつか自分が出してあげるんだと思われているようで、心底嫌な気持ちになったものでした。

でも同時に、心のどこかでは分かってもいました。自分の周りにはカゴが確かにあって、その中でもがいていることは、本当は自分がよく知っていたのです。過保護で厳しい家族、治らない病気、自分にできる仕事なんてないという思い込み……。カゴは、いくつも重なって存在していました。

「家族にダメって言われたら、あなたはやらないの?」
「好きなことを仕事にしたらいいのに」

自分が自分自身に言えずにいることをズカズカ言ってくるので、私はよく恋人に腹を立てていました。そして、彼自身も囚われているカゴを指摘しては、彼を落ち込ませていました。

でも、だんだん分かり始めてきたのです。
カゴから出るかどうかを決めるのは自分で、カゴから出るのに必要なのは自分の力なのだと。

社会人になって2年近くが経ち、私は恋人に別れを切り出しました。その数か月後、仕事を辞めました。恋人とは縁を切ったわけではなかったので、仕事を辞めることを伝えました。退職の日、彼から、こんなメッセージが届きました。

空は自由だ。
地上に存在するのは、あなたは勿体無いよ。
空高く飛んで、たくさんの人にあなたの文章を届けて欲しい

彼が私のnoteを読んだことはありません。この先も、おそらくないでしょう。でも、会話やLINEのやり取りから分かるのだと、いつも彼は言っていました。「あなたの書く文章は、本当に素敵だろうね」と。

もう、カゴから出たね、とすら言われませんでした。だからなのか、初めて素直に、彼の言葉を私は受け取ることができました。そして思ったのです。どこまで飛んでみよう、と。

私を鳥になぞらえたこの言葉は、普通に生きる私自身(本名の自分)に対してだけでなく、表現者としての自分(ペンネームの自分)に対しても刺さるものでした。


さいごに

この先、どんな経験が自分を待っているのかは分かりません。もっといいことが起きるとも思いますし、もっとひどい目に遭う、とも思います。たぶん、どちらも、実際にあり得ることでしょう。

でも、この先も、人生の変化の時には、必ず誰かが私に言葉を贈ってくれる。そんな気がするのです。これからも、誰かの何気ない一言さえも、”人生を変える”言葉として受け取れるように、周りの人の言葉に注意深く耳を傾けようと思います。

そして、これからは、自分が誰かに言葉を贈れるようになりたい、とも思います。




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