風景写真との出会いと魅力
おはようございます、元町ひばりです。
以前から写真の話をしたいと言っていたと思うのですが、今日は、
①写真を始めたきっかけ
②風景写真との出会い
③私が考える風景写真の魅力
についてお話ししたいと思います。
1.リハビリのために写真を始める
私は、大学では写真部に入る、と意気込んでいました。
理由は、両膝のリハビリにちょうどいいと思っていたからでした。
怪我をしたのは高校1年の時でしたが、高校を卒業する頃になっても、膝は完治していませんでした。そのため、階段は手すりなしでは降りられないし、しゃがむこともできないままでした。
日によっては、長時間歩いたり、速く歩くことも難しい状態だったのです。
でも、膝を動かさないと筋肉が衰え、さらに歩けなくなると聞かされていた私は、何か体を動かす部活に入りたいと考えました。とはいえ、スポーツはドクターストップがかかっているものばかりなうえ、スポーツのできる体でないことは私自身がよく分かっていました。
そこで私が白羽の矢を立てたのが、写真部でした。
写真部なら、撮影のために出かけるでしょうし、スポーツのような体の動かし方はしなくて済みます。私は、もともとカメラに憧れを抱いていたこともあって、すっかり写真部に入る気になっていました。
しかし、家族は猛反対。
「カメラを持って歩くなんて、できないでしょう」というのが、理由でした。
確かに、家族の言うことも一理ありました。自分の体重を支えるのでやっとの人が、重たい機材をもって撮影のために歩き回るというのは、現実的ではありません。
でも、私は、どうしても写真がやりたかったのです。
私は、渋る家族を説得しました。
軽いカメラなら、負担にならないから。
きっと、歩けば膝も良くなるはずだから。
絶対、人に迷惑はかけないから。
結局、私の熱心さに押され、両親は小さくて軽い、ミラーレスカメラを買ってくれました。
あの時、なぜ引き下がらなかったのかは、分かりません。
でも、「確かに、私には無理だね」と諦めなかった私には、心から感謝したいと思います。
あの時諦めていたら、きっと、今と全く違う世界を生きていたと思うからです。
2.風景写真と出会う
念願の写真部で、私は、ある写真好きの先輩と出会うことになります。
ものすごい熱量をもって写真と向き合うその方から、私は本当に多くのことを学ばせてもらいました。
彼は風景写真絶対主義者と呼んでも差し支えないくらい、風景写真に傾倒なさっていたのですが、最初の頃の私は「風景写真って何?」くらいの状態でした。
正直なところ、何を・どう撮ればいいのかが分からず、「風景写真って難しいなぁ」としか思えなかったのです。
そんな私が、「風景写真、すごい。好きかも」と思うようになった決定的な瞬間は、彼と撮影に行っている時に訪れました。
撮影地は大きな公園だったのですが、私はやはり、何を撮ればいいか分からずにいました。
先輩が次々に被写体を見つけてファインダーを覗き込むのを羨ましく思い、同じ場所で撮ろうとしながらも「この風景のどこにそんなに惹かれたのかな……」と考え込んでばかりいました。
そんな時、先輩が、とある木の下で立ち止まり、レンズの交換を始めました。
「ここ、絶対にすごいのが撮れる」と言うのです。
私は内心、「はぁ」と半信半疑のような心持ちでいました。
だって、ただの木なのです。
本当に、なんの変哲もない、ただの木なのです。
「それを撮って、面白いの?」というのが最初の感想でした。
でも、実に楽しそうにファインダーを覗く先輩に、そんなことは言えません。
そのうちに、彼は「これで撮っていいよ」と私にカメラを渡してくれました。
初めて持った一眼レフの重みに、少し押し潰されそうになりながら、私はファインダーを覗き込みました。
世界がひっくり返るような衝撃、とはまさにこのことです。
私は、ファインダーの向こうに、自分が見落としてきた美しい風景を見つけたのです。
怪我のせいで、私は俯いて歩くことが多くなっていました。
特に高校の頃は、膝が痛くて痛くて、歩くこと自体、大嫌いになっていました。
どうしようもない痛みと、ほんの数メートル先にも自由にいけないくやしさに心が折れ、「歩けるようになりたい」と言いながらも、どこかに、歩くことを避けようとする気持ちが残っていたようなのです。
だから、周りを見ながら歩くなんてこと、したことがなかったのです。
木を見上げるなんて、本当に久しぶりだったのです。
その時、ファインダー越しに見た木の、美しいこと!
私は膝が痛いのも忘れて、夢中で、写真を撮りました。
構図が分からないもどかしさはありましたが、何枚も、何枚も撮るうちに、あの、被写体と話す感覚を体得していきました。
公園を出る時には、別世界を見てしまったような、不思議な感動に包まれていました。
家に帰る頃には膝がひどく痛んでいましたが、全く気になりませんでした。
カメラを通して見る世界の美しさを知った衝撃の方が、大きかったのです。
もっと、自然のなかに隠れた美しいものを見つけたい。
もっと、写真が撮りたい。
もっと、歩けるようになりたい。
こうして、私は、歩くことへの前向きな気持ちと、風景写真への強い憧れを抱くようになったのです。
3.私が思う風景写真の魅力
結局、風景風景が大好きになった私は、「私の撮るジャンルは、風景写真です」と言い続けています。
残念ながらプロではないので、風景写真に精通しているとはいえません。だから、風景写真の定義も、完璧には理解していません。
しかし、目の前の風景を撮れば、一応はそれが風景写真になるので、だいたい、私の撮る写真は風景写真ということになると思っています。
被写体は、山奥の美しい桜や、秘境の滝でなくていいのです。
私が思う風景写真の魅力も、まさにそこです。
風景写真は、被写体がどんなものでもいいのです。
でも、写真家でも何でもない、アマチュアと呼ぶのすらおこがましい私のような”写真好き”が風景写真を撮る意味とは、何でしょう。
何でも撮っていい、懐の広いジャンルだからこそ、私はそんなことを考えてしまいます。
ですが、これに対して、私は1つの考えをもっています。
私のような"写真好き"が写真を撮る意味は、身の回りの風景の美しさに気がつく目と心が養われるところにあると思うのです。
風景写真を始めてから、私は空を見上げるようにして歩くことが多くなりました。
虫を見たら、逃げるのではなく、彼らの生活を観察するようになりました。
雨上がりの緑の鮮明さに目がいくようになりました。
朝や夕方の日の光の美しさが、より際立って見えるようになりました。
写真を始めてから、風景写真と出会ってから、急に世界が美しくなったのです。
いえ、正しくは、写真を通して世界の美しいところを見つける目と心が養われたのです。
私は、風景写真の魅力は、まさにここにあると思います。
時々、「カメラ、持ってるんだけど使わないんだよね」と言う人を見かけます。
私は、「もったいない!」と心から思います。
普段、素通りしている道や、せかせか通りすぎてしまう駅や、ふと目に入りながらもいつも無視してしまう花の前に、ぜひ、カメラを持って、立ってみてください。
しゃがめるならしゃがんで、とことん、被写体と会話をしてみてください。
きっと、次に同じ道を通るときには、より一層、当たり前の風景が美しく見えるようになっているはずです。
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