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【短編小説】蜘蛛の糸

 一匹の小さな蝶が蜘蛛の巣に引っ掛かり微動だにしない。主人の蜘蛛の姿は無く、木の枝と枝の間にできた大きな蜘蛛の巣が朝露に濡れ、糸に連続した水滴を作っている。それらは陽の光を反射させ蝶の死とは対照的な煌びやかなものであり、私はしばらくそれに見惚れていた。おそらくこの作品を創った本人であろう蜘蛛が戻り、まるで私に見せつけるように蝶を貪りはじめた。この美しき生と死の始末を私はただただ見ていた。
 この蜘蛛は遺伝子に設計された本能のまま生きている。母親から蜘蛛の巣の作り方を教わったことがなければ、糸の防水加工技術を学んだこともない。何が食べられて何が食べられないかすら知らない。それは生まれる前から決められたことであった。
 私は蜘蛛が蝶を食べ終えると、落ちていた木の枝で蜘蛛の巣を崩壊した。蜘蛛は予想外の出来事に驚愕しただろう。その蜘蛛の遺伝子の中に、人間に自分の巣を崩壊されるという絶望的な未来はプログラミングされていない。蜘蛛はそそくさと私から逃げ、健気に一から蜘蛛の巣の最初の糸の一本を吐き出した。
 私は母の罪を許すことができなかった。そして私がこれから起こすかもしれない罪について怯えていた。仮に母が本能的に犯した罪だとしたら、それは私に遺伝しているのかもしれない。だとすれば、私はただ母に理由があったことを望むしかなかった。
 私は蜘蛛の一本の糸を、手に触れた。今にも切れそうな糸を切ってしまおうと思ったが、触ると意外にも丈夫に感じて、私は切るのをやめておいた。蜘蛛は糸を垂らした。糸が天から地について、二つを繋いだ。ここから始まるのだと思って、私は朝日の方向を見上げた。

#創作大賞2024

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