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松本あめ市の魅力

 しばらく更新が滞っていましたが、今年もよろしくお願いいたします。

 今回は個人的な松本あめ市の魅力を書いていきます。
 今年はすでに終了してしまい、記事のアップのタイミングを完全に逃してしまいましたが(笑)、参考になれば幸いです。

松本あめ市の由来

 松本あめ市は毎年正月明けの成人の日に近い土日に開催されるイベントです。今年(2022年)は1月8日、9日に開催される予定でしたが、コロナの影響で中止となりました。

 通常であれば、露店に縁起物の飴やだるまが並び、お神輿や七福神行列が巡るなど、大変賑やかなイベントです。
 中でも一番盛り上がるのは、あめ市と関係の深い故事に由来する、武田軍と上杉軍に分かれての大綱引き「塩取合戦」です。

 戦国時代、武田信玄が松本を領有していた頃、駿河の今川氏は武田領へ塩を送ることを止めてしまい、この辺りの領民は塩不足で困ったそうです。塩は海水から作るしかなかったので、山国では塩が大変貴重だったためです。
 それを聞いた越後の上杉謙信は「兵をもって戦いを決する。塩で困窮させる事はしない。」と言って、武田領民へ塩を送ったのです。
 その塩が正月明けに松本へ到着し、塩不足で困っていた領民はこれに感謝して『塩市』というお祭りを始め、そのうち塩が飴に変わり、今も続く松本あめ市になりました。

 この話は義塩伝説とも呼ばれ、これが『敵に塩を送る』ということわざになったとか。
 また、あめ市は松本だけでなく、『塩の道』として有名な千国街道沿線の、穂高や池田町、大町でも開催されます。機会を見つけてそちらのあめ市にも行ってみたいと思っています。

牛つなぎ石

 上杉謙信が送った塩は牛が運んだといわれます。それは、越後から松本へは『塩の道』として有名な千国街道が使われるのですが、千国街道は山道が険しく、馬では運べないからです。牛は馬よりも遅いものの、傾斜のきつい山道に強いんですね。
 その塩を運んだ牛が松本に到着した時につながれた石が、牛つなぎ石として残っています。それも街なかの交差点に。
 注連縄が巻かれ、紙垂がつけられた石が、街のど真ん中の交差点にあるなんて、興味津々です。

牛つなぎ石

だるまの販売

 松本では『松本だるま』という特徴的なだるまがあります。一般的なだるまより眉が太く、ヒゲがふさふさしていて、体には「大當(おおあたり)」と書かれます。
 養蚕が盛んな頃に生まれ、フサフサの眉も「大當」の文字も、蚕がよく取れるようにという願いが込められています。

 そんな地場のだるまを小学生が可愛い声で呼び込みして販売します。子どもの時から商売を覚える機会として、あめ市でのだるま売りは子どもたちが担うんです。
 もちろん親御さんがついて見ているんですが、子どもに「だるまいりませんか~」と声をかけられたら、ついつい財布の紐も緩んでしまいますね。

2020年1月撮影 だるま販売の様子

神事

 松本あめ市で一番興味深いと思うのは、期間中の街なかに神様を祀る拝殿が姿を表すことです。
 例えば、神社やお寺の縁日では、あくまでメイン会場は寺社で、その境内や近所で露店が出るなどするのが普通だと思いますが、松本あめ市の場合は歩道や広場などに特設の拝殿(御旅所)がお目見えします。それも1箇所ではなく、各町会ごとに立派なものがあるのです。

 これらの拝殿は御神輿になっているものもあり、コロナ禍以前はこれを担いで街なかを巡っていました。あめ市の期間中は人だけでなく、神様もたくさん来られるんです(笑)。
 また、拝殿ではちゃんと神職さんを呼んで神事が行われます。もちろん年頭初売りの祭礼ですから、一年の商売繁盛や取引の無事を祈って行われるのですが、神事が行われるのには、あめ市の歴史に絡んだ深い理由もあるのです。

2021年1月撮影 拝殿(御旅所)での神事の様子

まとめ

 松本あめ市はイベントとしてはもちろんですが、色々な見所があって色んな切り口から楽しめます。
 記事内のトピックは掘り下げれば掘り下げるほど興味が湧く内容なので、少しずつ記事にしていこうと思いますので、お付き合いください。

 コロナの情勢がどうなっているか分かりませんが、次回、2023年1月は松本あめ市が例年通り開催されますように。

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