親の扶養から抜けたい話

私は精神障害者手帳を持っている。等級は2級。日常生活も援助は必要。特に買い物など金銭感覚の狂いが激しい。借金抱えて自殺未遂などもして入院もした。今生きる金もない。

実は働いてはいる。でもまともに働けない。適応障害でまず職場に適応できない。その他にも双極性障害、パニック障害、社交不安障害を持っているのだ。そして境界領域知能である。10月中旬からうつ状態が酷くなり、11月末まで休職していた。入社したのは今年の10月。なのにまともに出勤できず、終いには休職。

休職明け、パニック障害のパニック発作で救急車沙汰。そしてまた休職を促される。本当に通院するお金すらないのに休職はしんどい。会社にお願いして週3の4時間出勤にしてもらった。それからまだ出社はしていない。出来るかどうかは全くわからない。働くことが怖い。働けるかも分からない。

物欲があれほどあったのに、今はない。欲しいものを聞かれても、何が欲しいか分からない。それほどうつ状態が酷いと自分でも自覚している。だがしかし飲んでる薬が多すぎてこれ以上は出せないと医者から言われ、薬を増やしてもらうのを諦めた。お金もないから仕方ないけど。

そんな私の悩みの種は母親。すぐ怒る。私が1日でも休めば「見栄張って普通の人と同じように働こうとするから」と言ってくる。すぐお金の話になる。お金のことになると人が変わったように執着してくる。正社員として働いてる姉に「今月分まだですか?」などとお金に対してとにかく執着が激しい。祖父の遺産で一人だけ少なかったことに文句言っていたくらいだから、余程お金に執着しているのだろう。

なぜ悩みの種なのかと言うと、私が扶養者だから保険料が安いので定年までの5年間扶養者でいろ、と言われたのだ。「ひなのはアニメグッズと服が買えればいいんだもんね?だから月10万とか稼がないでも平気でしょ?」などと言ってくる。私もバイトでもパートでもいいから月10万近くは稼ぎたい。今は無理だが。それなのに勝手に私の人生を決めてくる。

私には私の人生がある。なのにそれすら決めることが出来ない。私と姉は昔から両親の言う通りにしてきた。父親と母親の世間体のためにやりたくないジュニアリーダーもやらされた。ジュニアリーダーになるための研修も行かされた。怪我を理由に途中で辞めたが。高校は私立に行きたかったが「ひなのは公立しか行ってはいけない」と言われて偏差値をものすごく下げて、始業式や終業式になるとパトカーが来るような公立に行った。案の定いじめられて不登校になった。

高校生になったときに両親が離婚した。私の親権は母親になった。そうしてリスカをするようになった。そこから自殺願望を抱くようになった。煙草もお酒もやった。姉が高校で弓道部だったので、私も自分の高校で弓道部に入りたいといえば「姉の真似事ばかりするな」とやらせてもらえなかった。だから何も出来なかった。

大学はお金が掛かると遠回しに言われた。姉は保育士になるという夢があったので大学に行っていた。姉に聞いたところ奨学金を借りて行っていたそうだが、私はそれすら許されなかった。私は臨床心理士になりたかったが、お金がない、と言う理由で諦めた。なので高校の時に借りていた奨学金は全て返した。そうして18歳の冬、やりたいことがなくなった。小学生の頃にやりたかった職業は「お前には無理」と言われて諦めさせられた。何もないのでアルバイトに明け暮れた。小さな頃から欲しいものを買ってもらえない、小学2年生の誕生日にいきなり怒られ殴られて、それから誕生日プレゼントをもらったことがない私は、自分のお金で何でも買えることを知った。嬉しかった。だがしかしその喜びもすぐに終わった。

「今月のバイト代いくらだったの?」母親がそう聞いてきたのだ。答えれば「いくら家に入れてくれるの?」と聞かれる。多分家にお金を入れるのが普通なのだろう。私は嫌だった。搾取されるのかと思って、入れなかった。搾取されると言えば絶対に姉は搾取子だろう。姉の人生を考えてしまった。辛くないのかと。私だったら辛すぎる。

実家暮らしなのだから家にお金入れるのは当たり前なのかもしれない。だがしかし私は嫌だった。私のことを嫌って殺そうとした女になぜ私が働いて稼いだお金を渡さなければいけないのか、と。私は中学3年の夏、自分の県だけやっているテストの点数が悪く、滑り止めの姉が通っていた私立高校の推薦枠に入れないくらい成績が悪かったことを責められ、馬乗りになられ首を思いっきり絞められて「お前なんか生まなければよかった」と思いっきり言われ、殺されかけたことがある。それ以外にも「お姉ちゃんは凄いのにお前は」と姉は贔屓で私は貶される。小学、中学といじめられていた私には親にも邪険にされ、生きる理由なんてなかった。小さな頃から殴られる蹴られるは当たり前、鼻血が出ても、どこかに頭や身体をぶつけても心配もされない。階段から蹴られて落とされても心配はされなかった。殴られた時にこめかみにミミズ腫れが出来た。その時、仲良くはないがクラスメイトだったと思う人に心配された。それは嬉しかった記憶がある。真冬に裸足で外に出されたこともあった。その日は雪が積もっていたと思う。

話が脱線したがとにかく私は母親が嫌いだ。保険金目的で殺したいくらいには憎んでいる。糖尿病で熱が下がらず席も止まらなかった頃に死んでくれればよかったのに、と思ったこともあった。今元気なのが腹立たしい。
とにかく私は母親の扶養から抜け出したい。だがしかし働けない。長続きしない。結局頼るしかない。そうするとあの女はいくら貸した、とメモ紙をわざと見える場所に置くようになった。金に意地汚いと思い始めた。私が払おうと思って置いておいた請求書も勝手に払って、メモ紙に書いてあった。働けなくて国民年金や国保が払えなかった時も「国民年金いくら」「国保いくら」と書いてある。もちろん残金いくら、とも。
クレジットカードでしか買えない買い物もクレジットカードを作らせてもらえないので、買えない。カードを貸してもらうしかないので借りると「○○代、いくら」と書く。もう全てがめんどくさいから放置した。

そう言えば昔、初任給でカメラを買ったら怒られた。「初任給は親に感謝の気持ちを込めてご飯に連れて行くのが当たり前だ」と。そんなの知らない。世間の当たり前を押し付けられても私は無視をした。私は限界だった。

ひなのという人間は、何のために生きているのだろう。人生を否定され続けるために生きているのだろうか。
そんな私は親の扶養から抜け出したい。母親の定年の後5年間の間、ずっと扶養でいる理由が私にはない。もう抜け出して、一人の立派な大人として生きていきたい。障害者だから私が何とかしてあげないと、と思い込んでいるのか知らないが、そろそろ私の意思で生きてもいいと思っている。それに今更母親面されても困る。生まなきゃよかったと思っているくせに何を今更言っているのだろう。

それ以外にも私は姉が搾取子なのではないかと思って、ずっと心配なのである。もちろん姉は多分自分がそうだと気付いている。母親は私より姉をとても可愛がるが、搾取をしている。自分の定年が近いのにマンションを買って、姉を共同名義人にしていた。将来自分の両親のためと言っていたが、結局祖父は亡くなり、祖母は母親の一番下の妹と住むことになった。買ったマンションは無駄だと思っている。自分一人の自室もないようなマンションなんて買わなくてもよかったのではないのだろうか。

かなり話が脱線したが、私はまともに働けないため親の扶養から抜け出すことは無理だろう。だがしかし、自分のやりたいことすら親に決められる20歳過ぎはどうなのだろう。やりたいことは自分で決めたい。働き場所も自分で決めたい。適応できれば良いのだが。5年の間にいい職場を見つけたい。

大人になった今は殴られることはないが、言葉で殴られている。私には生きる価値もないのかもしれない。


小さな頃に親にされた話はまた書きます。

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