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在日外国人が答える:自分らしく生きるべきでしょうか?

自分らしく生きるべきでしょうか?
先日、YOUさんのインタビューを拝見し、「自分らしく生きるべきか」という問いについて小籔千豊さんとの対話をとても興味深く見ました。 ずっと気になっていた質問です。 そこで、この議題を持ち出してお話をしたいと思います。
(主題と関係ない話ですが、声のトーンにしても、使うボキャブラリーにしても、本当にYOUさんが好きなんです。 いつもユーモアがあって、わかりやすく、そしてちょうどいい具合に考えさせられいます。 YOUさんのようにかっこよく生きられたらなと思っています)

この記事の下にリンクを貼り付けますので、興味のある方は見てみてくだいね!

自分らしく生きるべきかどうか、小籔さんと同じ意見です。「自分らしく生きる」これはメディアが作り出したセリフです。 なぜ「自分らしく生きられない」ことが悪いのか? インタビューでピックアップされた質問者は真面目に働いているのに仕事を適当にやる人に「自分らしくない」と責められたらしく、その人自身は会社のために献身的にやることをやり遂げたいタイプで、真面目にやらない人に方に対しては腹が立つことも多いようです。

一生懸命働いて、家族を養い、職場で業績を上げ、良い仕事をしたいというライフスタイルは「社畜」と定義され、「自分の人生を生きていない」ことになるのでしょうか?

私の周りの友人も(私も含めて)、白黒はっきりさせる考えに陥りがちな人が多い気がします。
例えば、職場で大きな挫折を経験すると、「自分の人生を生きよう」と考えるようになって仕事をやめてしまうケースが多いですね。これまでの挫折は「自分の人生を生きていないから、いつも他人にコントロールされている」と解釈されることが多いようです。 広告スローガンとして、あるいは成功した社会人のモットーとして始まった「live your life」は、今や社会的な潜在意識として一般的なものとなっています。 私たちは、自分の心の中にある本当の自分について、もっと客観的に考えざるを得ないのです。

話せば話すほど抽象的になってしまいそう、 自分を例えてみます。
私のアイデンティティーでは、私は日本に住む外国人、女性、OL、趣味は音楽と文章を書くことと猫と遊ぶことです。 私の理想的生活は、 毎月食べたいものが食べられない、好きな洋服を買えないという心配はなくなる(つまり経済的に余裕を持つこと)、対等の経済的能力、社会的ステータスも持つパートナーがいて、月に一度はデートすることです。 これが、今の私が認識している本当の自分です。

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             好きな朝ごはんセットを満喫


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             ネールは好きな夜空デザイン  

ただし、これは、10年前の自分とは全く別の自分です。10年前はネイルをしたこともなく、ご飯も安いものばかり選ぶ自分がいました。
そんな今の自分を鮮明に描けるようになった理由は、色々トライしてきて、自分についてよく考えてきたからです。何もしないでありのままの自分を知られることはほぼ不可能です。 女性、OL、趣味が決まっているのですが...

それでは、抽象的な「本当の自分」を明確に認識する方法を少しご紹介します。

日常生活の中で不快に感じる瞬間から、「本当の自分」を気づくのです。


例えば、私は以前、声優という夢を追いかけて頑張っていましたが、夢を追いかけて憧れの声優界に入ることができたら、「本当の自分」は幸せだろうと考えていました。 実際、声優学校に通わせてもらってみて、お金がない、一緒に食べる友達がいない(当時、クラスメートは昼食にカップ麺やパンを食べていましたが、私は牛丼派でした)、日本人のクラスメートと同じように日本語をうまく話せない、そんな中で、一番必要なのは安定した収入だと気づかされました。

次の段階の「本当の自分」は就職して安定した収入で満足すると思った時期がありましたが、しばらくしたら新人扱いされて、やりたい仕事をする時間もなく、任される仕事ばかりしたことで嫌がった自分がいて、高収入と管理職の仕事を求めていることに気づいたのです。 

当時、周囲から「早くいい人を見つけて結婚しなさい」とアドバイスされ、その度に怒っていました。 母が父の収入に頼らず定年まで働いていたため、「いい男は頼りない」「自分だけが頼り」という認識があったからです。


社会人になって、住む家をタダで提供し、高価なデザイナーズバッグをプレゼントするから愛人になってほしい某社長から誘いがありました。 私には違和感を覚え、お断りしました。その時、「本当の自分」はセックスと引き換えにではなく、職場の実力でお金を稼ぎ、望ましい社会的地位を得たいと気づくのです。
ちなみに、若さゆえの美しさとセックスと引き換えに、欲しいものをすべて手に入れた女性を知っています。私は「本当の自分」がそれはしないだからと言って、それをしている人たちを否定的に思えないです。なぜならこれは個人的な価値観の問題ではなく、社会にはこのような価値観が存在していて、この価値観を持つ人同士は一般的な意味での成功を収める人がいるという事実は変わらないのです。

ただ、できる人とできない人がいるということです。 私はできない一人です。

最近、ある心理学者の論考を目にしたのですが、これがとても気に入っていて、私の周囲の人々や私自身に対する観察によく合っているのです。


他人の本当の価値観を考えるとき(もちろん自分を観察するときも)、その人が何に感情的になるかを見ることです。「 特に嬉しい」でも「特に腹が立つ」でも「特に悲しい」でも。


例えば、自分の仕事が上司やお客さまに認められ、昇進したときは、特にうれしいと感じます。
しかし、仕事を適当にしている別の同僚は、夫がボーナスをもらうと特に喜びます。
ここで、私は本業や仕事の能力を認めてもらうことを最優先に人生の優先順位をつける人間ですが、同僚は夫から欲しいものを手に入れることができ、最終的に手に入れるお金や他人から羨ましがられることを最優先にする人間であることがわかります。

優劣つけることではありません。

職場での平凡な事務職は、もしかしたら夫をよくサポートできるスーパー良いママかもしれません。

ただし、価値観の違う人から非難されることが多く、自分を守るために、人を非難することがあるため、そのような傾向があると言わざるを得ません。人と人との付き合いでは、ちょっとした感覚のずれで相手を不快にさせてしまうことがあるからです。
人間関係の奥深いところですね。

ここで論じたいのは、「自分」というのは変化する概念だということです。 考えすぎ、悩みすぎに陥りがちな方は、「自分を生きる」から「自分のニーズを明確にする」に変えてはどうでしょうか。 その時々に必要なものを明確にすることが、突然の挫折をうまくマネジメントする鍵になると思います。 職場の人間関係でも、恋愛でも、友人関係でも、などなど。

自分にとって必要だからこの職場にいる、自分にとって必要だからこの関係を保っている、ということをはっきりさせること。 受け身で、社畜や奴隷になっていると思わずに、違う価値観の人とは「対立」ではなく、「なぜだ」と考えることが「本当の自分の望むこと」でもっと答えが出やすいのではないでしょうか。


应不应该活出自己?
最近看了一期YOU的访谈,讨论了关于“该不该活出自己”的问题。这是一个一直困扰我的问题。所以也想拿出来跟大家聊一聊。
我真的非常喜欢YOU。不论是她说话的语气,还是使用的词汇。总能让人感觉幽默,浅显易懂,又恰到好处地引人深思。我希望未来的自己能活得像YOU这样帅气。

关于该不该活出自己。YOU和小籔千豊有一样的观点。这是媒体造出来的议题。为什么”不活出自己“就是不好的呢?想努力工作,想赡养家人,在职场提升业绩,想把工作做好,这样就是”社畜“,就是”没有活出自己“吗 ?

我周围很多朋友(包括我有时候也是)也容易陷入非黑即白的思维。
比如职场上遇到了很大的挫折,于是开始思考”活出自己“,至今为止遭到的挫折好像可以被解读成”因为没有活出自己,一直被别人所控制“。”活出自己“从一开始作为广告词,或者是成功的社会名流推崇的人生格言,到现在成为普遍的社会潜意识。我门不得不辩证地思考到底我们心中的“自己”是什么?

越说越抽象。我还是拿我自己打比方。
我对我自己的认知是,在日本的外国人,女性,OL,兴趣爱好是音乐,写文章,和陪猫玩。我的理想是实现经济自由。不用每个月再为吃不起想吃的饭而烦恼,有个和自己实力相当的男朋友,一个月一次约会。这就是我认知里的我自己。
我之所以能这么清晰地描绘出我自己。并不是因为我本来就懂我自己是这样子的。除了外国人,女性,OL和兴趣爱好是确定的(也是大部分人自我介绍里都能确定的),我对自己的理想为什么有清楚的认知呢?
是从我日常生活中感到不愉快的时刻慢慢发现的。
比如,我曾经努力追求我的声优梦想,我曾经以为”我自己”只要能追求梦想,进入自己梦想的声优圈子就会快乐。而实际上,我得到了上声优专门学校这个机会后,我发现,我没有足够的钱,也没有可以一起吃饭的朋友(那时候同学中午都只吃泡面和面包,我一定要吃肉和米饭),语言能力也比不上日本同学,那时候我才发现我最需要的是稳定的收入。

然后我以为我有稳定的收入就会满足了,这时候我发现我在追求更高的收入。那时候周围有人劝早点找个好男人嫁了,我每次都很反感。因为我妈妈工作到退休一直没有依靠我爸爸的收入,所以在我的认知里“好男人”是不可靠的,只有自己可靠。
开始工作后,曾经有一些公司老板级的人物想要我做他们的情人,他们愿意给我提供免费的房子,或者高额的名牌包。我拒绝了,因为我感觉这种邀约让我很不适。我还是享受自己赚钱,和喜欢的人谈恋爱。
这时候,我意识到,我自己是想要通过自己的能力赚到钱,得到理想的社会地位,而不是通过性来交换。
我也认识一些通过年轻美貌和性交换得到想要的一切的女生。我并不反感,毕竟我反感也没什么用,即使我反感也改变不了这个社会始终存在这样的价值观和这样取得一般意义上的成功的人。
只是有人能做得到,有人做不到。我就是做不到的那种。

最近看到一个心理学家的论点,我非常喜欢,也非常贴合我对周围人和对自己的观察。
你观察一个人(当然你观察自己也适用),就要看,他对于什么事情有很大的情绪反应。不管是“特别开心”还是“特别愤怒”或者“特别难过”。
比如,我感到特别开心的时刻是,我的工作成果被领导或者顾客所认可了,我升职了。
但是另一个人工作表现一般,感到特别开心的时刻是,老公加奖金了。
这里我们就能看到,我是一个以主职工作和工作能力被认可为导向来做人生选择,但是另一个同事可以从老公那里得到她想要的,她是以最终获得的钱和被别人羡慕为导向做选择的人。

我讲到这里大家是不是也忍不住开始回想自己感到特别开心和特别难过的时刻?

我写这篇文章不是引导大家过度剖析自己和他人。
因为在人际交往中,稍微把握不好分寸感都容易触犯到别人。
人际交往的分寸感也是博大精深的。

我这里想跟大家讨论的是,“自己”是一个变化的概念。我们不如把活出自己,改成“清楚自己的需求”,帮助容易陷入过度思考和烦恼的朋友。我认为清楚当下的自己需要什么,是把握好人际关系分寸的关键。不管是职场关系,还是恋爱,友情,等等。

清楚自己是因为需要,所以才在这个位置,所以才保持这段关系。而不被动的认为自己被社会裹挟。对于和自己不同的价值观,不是去批判或者产生对立,而是去思考“为什么不同”,这样才能探索真正的自己吧。

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