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25歳を終える前に、外出自粛の今だからこそ、もう一度自己分析してみた⑤

おはようございます。
これで本当に終わる予定です。書くことが好きとはいえ、久々にこんなに書いたなあ。何文字だろ。
①~④は以下からお読みくださいな。

①は、私の一番の敵、高校生の頃の自分について
②は、私の軸、人生のテーマみたいな。
③は、嫌いなこと、苦手なこと
④は、書くことと向上心

さて、ここでは高校生の自分に打ち勝とうと奮闘した大学生から前職にかけての話になるかなと思います。



18)大学生の時の仕事論

大学生のときは、教育学部で学ぶ傍ら、塾講師のアルバイト、被災地へのボランティア、学校へのボランティア、吹奏楽もいろんな形でやっていたので、それはもう忙しかったです。毎日何かがありました。予定が3つ入る日もありました。

中でも、塾講師のアルバイトは私の中でも大きくて。教員を目指していた私にとって、教える練習をしたい、という目的で始めたんだけど、目的はやはりそこじゃなかったな。と。リーダー講師も務め、生徒のため、教室のために奮闘した4年間でした。


⓪基本的に高校時代の焼きまわし
 高校の時に、ある程度仕事をしていたので、そのつもりでやっていました。違いはお給料が出ること。最初は、こんなことでお金もらえるの!?っていう感じでした。
基本的に、自分たちで自主的に作る。の感覚でした。

①記憶ではなく、記録で仕事する
 ノートをつけていたので、何でも記録していました。覚えられないしね。

②1年前と1年後、3か月後を意識して、今日を位置づける
 指導するときに意識していた点でもあるのですが、どちらかというと、リーダー講師として教室運営に携わる時に意識していたかなと。

③視野の広さと思いやりと提案力
 これで仕事を探して、整理して、展開していたそうです。確かに、情報収集はしていましたし、思いやりは講師や室長に対してだと思います。働きやすくするために。提案力は研修や特訓の企画や日々の教室運営に落とし込めるかという視点ですね。

ここでもビジネス書は読んでません。
これだけのこと、いやもっと、考えてアルバイトしてたんですよね。なぜそれができたのか。私を突き動かしていたものは何かっていうのが次です。



19)塾に通っていなかったのに、塾で働くのは好きだったわけ

①生徒一人一人の目標達成に関与できる
まずはこれ。なにより。自分が頑張って関わることによって、応えてくれる生徒が沢山いました。それが成果として現れると自分のことのようにうれしかったなあと。
でも一番うれしいのは、生徒たちが主体的に動いたときです。

②仲間が好きだった
向上心のある良き先輩と同輩と後輩に恵まれました。馬鹿なこともたくさんしました。飲みすぎたり。月9作れそうなくらいの恋愛沙汰も(笑)オンもオフも楽しかったんです。

③つながりを作るのが楽しい
子どもたちに対しても、そんな切磋琢磨できる仲間をつくってあげることは意識していました。個別指導だからこそ。ほんとに個別指導が良いんだろうなっていう子は強制はしませんが。みんなで頑張ろうっていう雰囲気作りが好きでした。
時には、良い友情関係をを目にすることもありました。

④特訓・研修の企画が楽しい
教室にとって+であること、何でもやらせていただけたこと。これは大きい。それまで文化祭とかやってきた身とすると、たまらなく楽しかったです。

でも、たぶんこれだけじゃない。



20)一先ず、わたしと森絵都と塾と

以下は、卒論を書くときに思っていたことをメモとして残していたことを文章化したものです。
というか、やはり文章を書く時。学びには強い思いが必要だなと今改めて思った。

「自分の雪だるまは自分で転がす」
これは森絵都が著した『DIVE!』の中でスランプに悩む要一が発する言葉である。私がこの本に出会ったのは、中学2年生の時で、いわゆる中2病という病にかかったみたいで何事にもやる気が起きない時期であった。そして、この一言で、「ああ、自分のことは自分でなんとかしないといけないんだ」そう悟ったのである。私を救ってくれたような一冊であった。
奇しくも、今回卒業論文を執筆するにあたっても森絵都に救われた。まさか、自分が昔から「なんで学校があるのにみんな塾に通うの?」と抱いていた疑問を振り払いてくれるような一冊がこのタイミングで出版されるなんて誰が予想しただろうか。自分のモチベーションを保ち、卒業論文の執筆、そして自分の進路にさえ影響を与えてくれた森絵都にはひたすら感謝の気持ちでいっぱいである。
「私、学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです。」
同じく森絵都著『みかづき』にて。高校生の頃から私は太陽しか知らなかった。大学生になり、自分の経験のためにもと思い、初めて月の世界へ赴いたが、思ったよりも心地よい世界であり、自分はそこに住んでもいいかもしれないとも思うようになっている。塾だからこそ、子どもたちが見せてくれる表情がそこにはあり、塾だからこそ、できる教育もそこにはあるのではないか。今後も、子どもたちと接しながら、教育の在り方を追究していきたい。
『DIVE!』の中で、子どもたちに飛び込みを指導する夏代子コーチは次のように言っている。
「一生懸命頑張ってるあの子たち見てたら、コーチに必要なのは目的じゃなくて選手なんだって」
「貴重な時間をあの子たちと完全燃焼させたいと思って」
これまで自分が塾で関わってきた生徒もそうであった。知りたい!できるようになりたい!そんな眼差しでやってくる子どもたちを見放すことは一切できなかった。同じように『みかづき』に出てくる登場人物もみな出会った子どもたちを前に、形式や方法は違えど、必死に向き合っていた。教育は、人と人とが関わって初めて成り立つものである。それはいつの時代も、どんな場所でも変わらない。誰かのことを思い、誰かのために行動する。4年間、教育学をかじったからには、それが体現できる教育者でありたいと強く思う。

全部おっしゃる通りなのですが。
特筆したいのは最後です。このように最初に思ったのは、大学2年のときの中3生を受験させて追い出したときです。すごく自分に懐いた代で、そういうのもまだ初めてで、手探りで、でも一緒にがんばれた代でした。この代が私は本当に好きだった。

ちなみに、今も連絡を取っていて(大学生になって、彼らの中から講師が出たので、コンプラ的には○です)、たまにご飯行ったりするのですが。
さっき、いきなり電話かけてきて、なにかと思ったら、誕生日祝ってくれて。覚えてくれてたんだってところと。色々感無量。泣きそうだった。すごく嬉しかった。
今は彼らが大学2年から3年になろうとしてる。時が経つのは早いこと。

だから、この代が始まりで、スタートで。次の代があって、私はのめりこんでいったんだなって思っています。



21)塾で大事にしていたこと

①生徒たちの向上心を育てること
 先を見せる、一緒に学ぶ、成功体験の積み重ねにより自己肯定感を育む

②生徒たちに意思決定をさせる
 自分で決めさせることで、責任をもって行動するようになる
 教えてばかりでは、生徒は自分で考えて勉強しない

③勉強の仕方・勉強体力を身に付けさせる
 最終目標は塾に通わなくても勉強し続けられること
 勉強する姿勢や構えを意識して指導すること
 一人ひとりに寄り添い、一緒に目標を立てることで生徒はその過程を体感する
 成功体験をつくり、承認し、徐々に足場を外す

つまりは、私の目指すところにどうしたらいけるかなと。考えた結果、学んだ結果こうなった次第です。



22)ファーストキャリアに塾をえらんだわけ

詳しくはここに書いてあるのだが。選択肢は様々ありました。でも、本当にそれだけだったのか?と思ったのです。

当時の室長の言葉「新卒は新卒のときしかない」に惹かれたというのは、自分に新たな発見を与えてくれたし、何より私のその後のキャリアを考えた上でのお誘いだと分かったから。それが単純に嬉しかったというのがまずある。
まだこの人と働きたいと思えたところもある。
さらに、当時の中3にどうにかして関わりたかった。前述で紹介した代が受験するときの小6。小6と中3のつながりまで作ってしまった代だったのです。その小6が中3だから。思い入れは強かった。だから、塾をやらないという選択肢は薄かったんですよね。
財政的に、大学・大学院の選択肢もなかった。高校の時の同級生が「もうお金払って勉強だけしたくない」って言っててこれにも触発されたはず。

たぶんいろんなことが絡みあって、その時思った最善の選択をしているはずです。



23)一旦退職交渉したはずなのに、辞めることを止めたわけ

詳しくはこちらを読んでほしいのですが。

ここも本当に当時の小6をやりたかっただけなのか?が疑問でして。やりたかったんだけどね。

でも、一番グサっときたのは、大好きな上長の「ここで辞めるのはない。責任がない。」と言われたことでしょうか。新年度始まっていたので。まじめな私にはこれが一番きたような気がします。



24)節目をなくして、成長することはない

大学卒業の時に、ゼミの先生に言われた言葉です。私があまりにも全力投球すぎて、考える時間がなく思考ストップしてました!といったら、節目と言い換えてくださった。

そんな節目の年になったかなと。
丁度、モーニング娘。の「ENDLESS SKY」が流れてきて思ったのです。

♪誰もが自由で良いはずなのに、
生きてくルールに縛られてる
でもはばたくの さあ大空へ この扉の向こう
♪泣くわけないでしょ 泣くはずがない
自分で選んだ未来だから

いい曲。「BE ALIVE」も好きです。転職活動の曲(笑)
ハロプロオールスターズの「ALL FOR ONE & ONE FOR ALL」はその前の転職活動の曲。



番外編)カレーを食べると体調を崩すの件

こちらにも書いているのですが。

どうやら、高校生の時はカレーは大丈夫だったみたいで。後輩つれて、高校の近くのカレー屋さんに行ってたみたいです。

昨日の夜も一瞬危なかったので、やはりカレーはだめだなと。今打率7割くらいで体調崩す(笑)



番外編)箱根と鎌倉に呪われている話

これずっと忘れてた!

高校から大学にかけて、箱根・鎌倉に行くと頭痛がするんです。箱根は幼いころからずっと。関所だったし、なんかあるんだと思う。鎌倉は打率低めですが、幕府あったし、なんかあるんだと思う。

体調不良の理由はある程度絞っておかないと、できるものなら防ぎたいですから。

あと中華とアルコールと低気圧とストレスが全部重なるといかなる場合も使い物にならない。か、もしくはひたちなか(?)



こんな感じでしょうか。色々振り返ると忘れていることも思い出しますな。そんな意味で「記憶でなく記録」ってすごく大事。わたし、記憶力良い方だと思っているけど、さすがにしんどいね。書けば、あとは見るだけ。読むだけ。

26歳の自分は、受け入れる・受け流す・かわすことも覚えたいけど、まだまだ全力で打ち返していきたい。打ち返すより仕掛けていきたい。そのときそのときの自分と向き合って、一番いい選択ができたらなと思います。
とりあえず、生活リズムを正すことが当面の目標かなw

長々とありがとうございました(o^―^o)