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物語は、すでにそこにある

 テレビで海外ニュースをたまに見るけど(英語ときどき日本語)、同時通訳者の方が「発している言葉」がまったく理解できない、と感じた。

 スピードが速く、しかもニュースをそのまま訳していて、どこがポイントなのかが見えにくくなっているからだと思う。

 同時通訳なので仕方がないのだけれど、映画の字幕のように、ある程度、意味が通じるように焦点を絞って翻訳されたら、「伝わる言葉」となり、ニュースも理解しやすくなるのでは、と思った。

翻訳の力

 「翻訳」については、私自身は歴史学という狭ーい領域では行ったことがある(英➡日、中➡日、漢文➡日)。でも、小説の翻訳というものがどんなものか、その大変さについては無知であり、想像することしかできなかった。

 でも、「翻訳」に関する本をいくつか読んでみると、すごくストレスフルだけど、深くて面白い創作活動だということがわかってきた。

 そもそも「翻訳」とか「通訳」という作業は、文明の発達にともなう世界の一体化と密接にかかわっている。古代、生きるための交易活動で双方の言葉に精通する人々が登場した。時代が下ると、外交や文化交流など異文化間のコミュニケーションが増えるにつれて、「通訳」「翻訳」は社会において不可欠な活動となっていく。

 さて、文学における翻訳だが、大好きな作家の一人、小川洋子さんが「翻訳の大変さ」について、次のように書いている。

先ほど話に出ましたフランス語の翻訳家のお家にお邪魔したときに、仕事場のコンピュータの隣に画板が置いてありまして、その上に小石がアトランダムに並べてあったんです。彼女が言うには、自分は小川洋子の作品の翻訳を始める前に森に散歩に行く、そして登場人物に見立てた石を拾ってきて、この画板の上に並べ、一つの場面を訳し終えて、登場人物が動くとその石も動かして、翻訳を進めるんだと。それを聞いて、わあ、翻訳者が潜っている海ってなんて深いんだろう、自分も一緒に潜りたいなぁと思いました。

小川洋子×沼野充義「どうしても物語が必要だ」『8歳から80歳までの世界文学入門』光文社、2016。

 まず翻訳家が森に散歩に行くという行為が素敵だ。ただ石を拾いに行ったのではないような気がする。

 そして、翻訳者は小説の場面を心に描きながら、それを現実世界でも立体化してみる。

 翻訳者は、小説を書いた作者よりも、もっと深く物語の世界に入っているというのだ。そして、小川さんもその世界を覗いてみたいのだという。

 これはすごいことだと思う。翻訳は、原作者の思惑とは違う世界を描くことができるのだ。ただ、作家と翻訳者の関係は、独立した面もあるけど、お互いに世界観の共有、そして意味の交換(実際の対話の有無とは関係なく)があるのだと思う。

 翻訳という営為は、翻訳者が自らが自らの意思で海底深く潜り、物語の世界へ旅立つこと。だから、しっかり準備を整えなければならない。旅である以上、危険はあるが、期待と不安、そして喜びに満ちたことのように感じた。

 AIにはできない。

なぜ物語をかくのか

 人はなぜ物語を書くのか、という問題について、小川洋子さんの言葉は実に深い。

文学の船に乗ってどこまで遠くに行けるか、どこまで深いところに潜水できるかというときに、頼りにでき、付き添ってくれるのは、言葉です。・・・
本当に大切な何かは、遠くて深くて、言葉が届かない場所に潜んでいる。物語が目指すところもそこにあるんでしょうね。・・・
自分の居場所は水面だけではない、水底にも世界がちゃんとある。そこには理不尽なことも矛盾したことも不道徳なことも、すべてを受け入れるだけの容積がある。その真理を実感させてくれるのが物語ではないでしょうか。

同上

 さらに続けて、言葉の限界について。

浮上して言葉に直した途端に、自分が海底で感じていたはずの何割かは失われてしまう。しかし、逆に、言葉からこぼれ落ちた空白があるからこそ、読者は想像力を働かせることができる、と言えるかもしれません。

同上

 作者が言葉にできなかった領域がある、という。一体、何だろう。とても気になる。そして、読者は作家が書いたことをただ読んで理解するのではなく、作家が書かなかったことについて発想を繰り広げることができるのだ。

 読書の楽しみは、そんなところにもあったのですね。

 なぜ小説を書くのか、という質問に対する小川さんの言葉。

たぶん、そこに書かれるのを待っている物語があるからでしょうね。
・・・
物語は、すでにそこにあるんですから。
・・・
特別遠くへ探しに行かなくとも、身近なところにいくらでもあるんです。

同上

 物語とは、自分が勝手に話を創作するのではなく、偶然出会うものなのだという。

 一生懸命、何かをつくろうとするのではなく、そこにある物語や素敵なモノたちとの出会いを大切にすること。それが人生を豊かにしてくれるのだと教えてくれる。

 小川洋子さんの言葉を読んだとき、ああ物語をもっと読みたい、翻訳された小説をじっくりと読んでみたいと強く思った次第です。

 本が好きな人、外国の小説が好きな人の感想も聞いてみたいです・・・。

(今回は、沼野充義さんとの対談でしたが、河合隼男さんとの対談本もおススメです。『生きるとは、自分の物語をつくること』 (新潮文庫)

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