子どもの頃に食べた、酸っぱいヨーグルトの思い出。
ヨーグルトを食べると、小学生の頃を思い出す。
子どものわたしとヨーグルト
実家で食べるヨーグルトは、決まって砂糖つきのブルガリアヨーグルトだった。
砂糖の粒が大きくて、指ですくって舐めると美味しかったのを覚えている。
(いつのまにか砂糖つきタイプは販売終了していた)
砂糖をヨーグルトに混ぜて食べるんだけど、それでも酸っぱくて。
「酸っぱいからもっと砂糖かけて!」とお母さんにいっても、
「砂糖たくさん入れると虫歯になっちゃうからダメ」と、決して入れてくれなかった。
わたしはあんまり甘くないヨーグルトを食べながら、横目にお父さんが砂糖をかけずに食べているのをみていた。
「一口ちょうだい!」とお父さんにいって
食べてみるとすっごく酸っぱくて顔をしかめた。家族は笑っていた。
夕ご飯を食べてからお風呂に入るまで、ちょっとした団欒の時間があって、家族そろっていつもヨーグルトを食べていた。
お父さんはヨーグルトを食べると、さっとお風呂に入りにいった。
お母さんは洗い物をしていた。
お兄ちゃんと私はテレビを見ながら、ヨーグルトを食べていた。
私は甘くないヨーグルトが好きじゃなかった。
「給食にでてくるみたいな、いちごが入ってる甘いヨーグルトがいい!」
スーパーで買い物している時にお母さんにねだった。
イチゴ、ナタデココ、ブルーベリー。
色とりどりのフルーツが入っている小分けのヨーグルト。
母は少し考えたあと、「高いからまた今度ね」と、ブルガリアヨーグルトをカゴに入れた。
「ヨーグルトすっぱいから嫌い!」という私のヨーグルトに、母はバナナを切って入れてくれた。
バナナの入ったヨーグルトは、ほんのり甘くて美味しかった。
でもやっぱり、スーパーに売っていた、あのフルーツ味のヨーグルトが食べたくて。「これじゃないのにな」と思いながら黙って食べた。
中学生になるとご飯を食べたらすぐ自室にこもるようになった。
「ヨーグルト食べないの?」と、少し寂しそうな母の声を覚えてる。
父は誰よりも先に風呂に入った。
母は洗い物をしていた。
兄がみていたテレビの音が、私の部屋にも届いていた。
大人のわたしとヨーグルト
あれからわたしは大人になり、実家を出て、地元から離れて、結婚して、関東圏に移り住んだ。
今は自分で働いたお金で、好きなものを買えるし、不自由ない生活を送っている。
大人になったわたしが買うのは、あの頃と同じ酸っぱいヨーグルト。
理由はフルーツ味のヨーグルトよりも、値段が安いし、量が多いから。
結局おなじところに帰ってきてしまったな、と思いながら
バナナを切って入れる。甘くて美味しい。
あの頃家があんまり裕福じゃなかったこと。
欲しいものをねだっても「また今度ね」って、「今度」はずっと来なかったこと。
わたしにはまだ子供がいないけど、あの時甘いヨーグルトを買ってもらえなかった理由が今ではわかる。
生きていくのは大変だ。ましてや、子供を育てるのはもっと大変だ。
毎日せっせと働いて、兄と私にご飯を食べさせてくれた。
空いた時間に家事をして、病気をしたら看病をしてくれた。
それでも大人になるのは楽しい。
ヨーグルトに、バナナを入れて、その上から蜂蜜をたっぷりかけて食べる。
あの頃できなかったこと。大人になった今でこそできること。
自分でアレンジした甘ったるいヨーグルトを食べながら、昔食べた酸っぱいヨーグルトの味も思い出している。
今のわたしとヨーグルト
今でも年に数回、実家に帰ったときに母親と買い物をすることがある。
スーパーのカゴはそれぞれに持つ。
買った食べ物は、それぞれの冷蔵庫にもってかえる。
それが、少し寂しいような気持ちになる。
ふと「うちの家族は今でも酸っぱいヨーグルトを食べてるんだろうか」と思って母親のカゴの中を見たら、全然別のヨーグルトだった。
なんでも今流行っているギリシャヨーグルトらしい(母に教えてもらった)
もう夕食後にちっちゃなテーブルを囲んで家族でヨーグルトを食べることはないけれど。
うちの家族も大人を楽しんでいる。
変わらないものは思い出だけ。
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