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オランダ絵画と浮世絵、市民の愉しみとしての絵画の姿/「フェルメール展」感想

オランダという国は、私にとって興味深い国の一つです。

リベラルで、性的にも開かれた国、という感覚があります。

まぁ、言ってしまえば、ちょっと風変わりな国だと思います。

有名な飾り窓に、大麻合法化、尊厳死、同性婚など、他国がタブーとすることを積極的に行っている国の印象です。

フェルメールはそんなオランダの絵画の代表的な作家です。

誰かがフェルメールの絵のことを『萌え絵』と呼んでいましたが、もしかしたらそんな位置づけだったのかもしれません。

フェルメールの絵は、王族や貴族ではなく、市民向けに描かれた絵だったようです。

フェルメールは寡作で知られ、現存する作品も少なく、今回も東京にやってきたのは9点でした。

9点だけでは展示の構成が難しいのか、同時期のオランダ絵画の画家の作品が飾らせておりました。

市民が貴族趣味的に購入したオランダ絵画は、フランスやイタリアとはまた違う市民の趣味に根付いた絵が多かったです。

当時の絵の値段の位置づけとして、
・歴史画
・肖像画
・風俗、日常生活を描いた絵画
・風景画
・静物画

という順序で値が張ったようです。

しかし、この頃から画家が供給過多になり始めていたようで、値が張る歴史画や肖像画は買い手がつかなくなっていたという記録も。

いくら裕福とはいえ、皇族貴族ほどではない市民達には、値段の安い静物画や風景画、風景画などが好まれていたのだとか。

この絵の傾向を見たときに、私は日本の浮世絵を想起しました。

特に似てると感じたのは、宗教的な寓話をモチーフにしながら、エロスやグロテスクな表現を含んだ風俗画、静物一つ一つに見立てをし、意味を含んだ静物画などです。

日本の浮世絵は、もっとあからさまですが、春画と呼ばれる風俗画が数多く描かれております。

しかし、春画も後々発禁になると、法の目をかいくぐるような表現が数多く、静物をセックスに見立てるようなことも出て来たりします。

肖像画も、喜劇役者が酔った姿など描いたものもあり、それも浮世絵の役者絵を彷彿とさせました。

商業絵というもの、市民を相手にすると、古今東西主題は似たようなものになるのかもしれません。

その俗っぽい世界の中でフェルメールの絵は、奇妙な崇高さを持っていました。

わりと早い段階の作品と思われる『マルタとマリアの家のキリスト』や『取り持ち女』などは、筆致の不安定さや、俗っぽい主題を描く生々しさなどがあるのですが、だんだんと進むにつれ、静かで調和が取れ、透明感と光に溢れ、崇高な美しさを感じさせました。

端正に描かれた絵は、どれも日々の美しい瞬間、それは全く何気ないものですが、それを永遠に閉じ込めたような感覚がありました。

フェルメール自体、家族も多く、そんな裕福でもなかったようですが、義母が裕福だったり、パトロンがいたようで、じっくり絵を描くことが出来たようです。

あの永遠性は時間に追われず、丹念に丹念に描かれたからかもしれません。

日本でいうところの、浮世絵ではないですが、伊藤若冲の絵のような、時間に追われない丹念さを感じました。

ジャポニズムブームがやってくるのは19世紀後半ですが、どことなくその後の印象派や自然主義を予見するような、フェルメールを代表としたオランダ絵画は、奇しくも日本の浮世絵のような傾向を持っているような気がしたフェルメール展でした。

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