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【第8回】「地域を知る家庭医として、在宅医療の魅力をもっと病院の中にも伝えていきたい」

個別性の宝庫である在宅医療の世界には、患者の個性と同じように、ケアする側も多彩で無数の悩みをかかえています。悩みにも個別性があり、一方で普遍性・共通性もあるようです。多くの先輩たちは、そうした悩みにどのように向き合い、目の前の壁をどのように越えてきたのでしょうか。また、自分と同世代の人たちは、今どんな悩みに直面しているのでしょうか。多くの患者と、もっと多くの医療従事者とつながってこられた秋山正子さんをホストに、よりよいケアを見つめ直すカフェとして誌上展開してきた本連載、noteにて再オープンです(連載期間:2017年1月~2018年12月)

【ホスト】秋山 正子
株式会社ケアーズ白十字訪問看護ステーション統括所長、暮らしの保健室室長、認定NPO法人maggie’stokyo共同代表
【ゲスト】遠矢 純一郎 (とおや じゅんいちろう)
医療法人社団プラタナス 桜新町アーバンクリニック院長

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【対談前の思い・テーマ】
① IT の専門家では、決してないのですが…
もともとコンピューターは好きでしたので、便利なツールとして在宅医療とスマホなどを組み合わせて用いていたところ、周囲の方より面白いとの声をいただくようになりました。ツールと中身(在宅医療)の充実を、これからもっと図りたいと考えています。
②看多機で長時間患者をみられるのは、医師としてもいいです
通常の訪問診療よりも長い時間、患者の変化を追いながらみられることは、医師としても助かっています。また、看護師にとっても、アセスメントなど専門性を生かせる場になっていると思っています。

医師の始まりから、在宅に近いところにいた

秋山 私が遠矢先生を最初にお見かけしたのは、何年前だったか、在宅医療に IT を応用するというフォーラムを聴講した際に、遠矢先生はすでにIT を活用している在宅のグループの医師として登壇されたのです。

遠矢 参加していたんですか。

秋山 先生は颯爽と登場したんです(笑)。だから、最先端を行く、IT バリバリの人なのかなという印象でした。
 もちろん IT は大事だし、取り組んでいくべき分野だけど、どちらかというと患者・利用者のナラティブに寄り添うタイプの私からしたら、「距離があるな」と感じたんです。そのうちに、世田谷区の認知症の初期集中支援を担ったりしていることを知り、「あれ? IT 医療バリバリの遠矢先生が?」と、違う側面にも気づかせてもらうようになっています。

遠矢 IT のことを考え始めたのは、必要性もありましたが、そもそも嫌いじゃなかったんです。高校生のころから、医師になろうか、それともコンピュータの仕事をしようかと思うくらい大好きだったんですけど、僕のなかでの IT とかコンピュータというのは、どう使うかが問題で、どちらかというとコンピュータが好きというよりは、それを使って仕事をよくするとか、効率化するというところが好きなんです。在宅医療にも、けっこうそういう要素があると思って、出たばかりのスマートフォンなどを使い始めたら、そこだけ取り上げられてしまって…(笑)。

秋山 私はそれを最初に見てしまったんですね(笑)。

遠矢 私は IT をただ使っているだけなのに「専門家」みたいに言われて、講演の依頼も来たりして、困惑していました。自分の本心としては、僕にとってコンピュータや IT は単にツールでしかないから、もっと在宅医療の中身を深めていきたいという思いがあったんですね。
 その後、クリニックの規模が大きくなるなかで、スタッフ間の情報共有やケアの標準化を図るための在宅の「緩和ケアサポートパス」というのをつくりました。とてもよくできたツールで、それとIT が組み合わさってアプリ化を目指す流れが出てきたりして、やっと私が本来求めていた「中身に IT をくっつける」ということが、少しずつできてきているかなと思い始めています。

秋山 「IT」にくっつく中身のほう、在宅医療・訪問診療に切り替わるきっかけは、どういうものだったのですか。

遠矢 私にとっては、病院時代の往診の経験と、家庭医療に取り組み始めたことがベースになっているかなと思います。
 出身は鹿児島で、急性期病院で呼吸器中心にみていたんですけれども、そこの病院がユニークな病院で、今から20年くらい前にすでに訪問看護部をもっていたのです。当時は、まだ在宅医療なんて言葉もなかった時代ですが、その急性期病院を退院した人に対し、訪問看護をしていました。退院後は外来には通えない人たちがほとんどだったので、各科の“部長先生”に「往診してくれ」と、看護師たちが月に1回引っ張っていくんです。呼吸器科の部長だった私も月に1回、呼吸器系の患者を、看護師の訪問カーで一緒に回っていました。

秋山 20年ほど前に、自分たちだけでなく医師まで病院から引っ張り出して、地域を支えていた看護師がいた鹿児島、すごいですね。医師側の反応はどうだったんですか。

遠矢 私は、その時間がすごく好きで。これはきっと性分なんですけど、外来に缶詰めでカルテが山と積まれていって、時間に追われて3分診療みたいなのが、すごいストレスになっていた時期でもあったので、月に1回のその時間は、自分が逆にすごく癒される時間でもあったんですよね。
 その後、縁あって東京で開業することになって、一緒に開業した仲間たちと話し合って目指そうと決めたのが、家庭医療というテーマでした。まだまだ一般的ではないけれど、これから高齢化していく日本には、家庭医という存在が街にいて、家庭医学を専門に実践することが必要だという仮説を立てて、それを実証していくクリニックをつくろうと立ち上げました。
 最初は皆さん、ノックして「ここは何科の専門ですか」と聞くんです。「うちは、何でも診ますよ」と言うと、「何でも診るって言われても…」みたいな感じで(笑)。やっぱり専門医志向が、住民の意識にあるんだなと感じながらのスタートでした。小児科を診て、小児についてくる母親を診て、次に祖父、祖母を連れて来てみたいな感じで、だんだん本来の家族を診るという形ができていきました。そのうち、何かの原因で入院になった患者が、退院はできたものの通院が難しくなって、「往診」の相談があって、「じゃあ、私が往診しますよ」と自分で適当に往診バッグをつくって、近くだったので自転車で行ったのが、在宅医療の始まりでした。

秋山 そういう鹿児島でのご経験と、東京での仲間たちとのビジョンが、現在につながっているのですね。

遠矢 それともう1つ、卒後の医局での経験も大きかったと思っています。私が大学を卒業して医局に入ったときに、たまたま私の指導医だったのが、当時大学病院の神経内科医だった中野一司先生(ナカノ在宅医療クリニック)だったのです。

秋山 おー!

遠矢 私が研修医として、最初に中野先生と一緒に診たのが ALS の患者で。私にとっては医者になって第1号の患者が、ALS だったんです。しかもその患者は入院期間が10年にも及び、退院できずにいて、私は第25代主治医だった。カルテの分厚いのが3つも4つもあって、まずそれを見るところから始めましたが、驚いたことにありとあらゆる、論文で出たような検査・治療が試された結果があり、でも奏効するようなものはないんです。完全に寝たきりで人工呼吸器がつながっていて、奧さんが朝から晩まで毎日病院にいました。
 その人にどうかかわろうかと、中野先生に「これ以上、私は主治医として何をしたらいいでしょう?」と伝えたら、中野先生が、「じゃあ、退院させようか」って言い出したんですね。
 そこから、その人の退院プロジェクトが始まって、1年かかりましたけど、大学病院から異例の往診をするという形までつくって、ついに退院することができたのです。
 プロジェクト当初は、本人・家族からは、ものすごく抵抗がありました。「どうして皆を不幸にするようなことを言うんだ」とまで言われて、私も「果たして自分のやっていることは正しいんだろうか」と泣きながら…。入院してもう10年間、こんなに安定した生活ができているのにと、その葛藤はありましたが、あとはだんだん衰弱していくだけのこの人に対して、医療ができることなんかないし、奧さんも、毎日病院に来るよりも自宅でみたほうがいいんじゃないかと。もちろん、病院にいれば看護師が常時観察しケアがあり、自宅ではいろいろな負担が奧さんにかかるとも思ったんですけど、でも踏み切ったんです。
 私は、そのあと担当を離れましたが、気になって様子はたびたびお聞きしていました。3年ぐらいして自宅で亡くなって、お悔やみにも行かせてもらったところ、奧さんからは、「本当にあのときに帰ってよかった」と言ってもらいました。そして、看取ったあと、奧さんは介護の仕事をするようになったそうです。
 ですから偶然ですけど、私は医師の始まりから在宅に近いところにいたんだなと、振り返るとそんな気持ちがあります。その後の急性期医療からの訪問診療もそうですが、何より、それを面白いと思えた自分には、在宅医療は合っているんだと思いました。
 もちろんそれまで、私らの時代は、いかにとんがった専門医になることを目指すかが、医師のキャリアパスとして当たり前でしたから、私も呼吸器科でさらに自分の専門性を考えていくべきなのかと思いあぐねていたのですが、一方で、自分の医師というもののイメージというか、憧れは、どんな病気でも診られる医師、何でも相談できる医師だったんですよね、だから、専門のほうに行こうとするほど、それに抵抗する自分がいました。優れた先輩の先生がたくさんいらっしゃって、これだけそれぞれの分野に専門の医師がいるんだから、そうじゃない医師がいてもいいんじゃないかと思い始めていました。

看多機で長く状態を診られるのは、医師としても助かっています

秋山 大学病院や急性期病院でのそういう経験を通して、生活する療養者としての患者はどうなんだろうかとか、家族の思いはどうなんだろうかとか、生活の場に戻して、生活するなかで必要な医療を届けようとか、そういう感じの大転換を考えてこられたのですね。やはり IT バリバリとはちょっと違いますよね(笑)。
 今日の話もそうですけど、私の遠矢先生へのイージが変わったのは、地域に開かれた相談の窓口としての「暮らしの保健室」に興味をもってくださり、見学したいと介護スタッフの方と来られましたよね。そのときに、「この人たちが知りたいことを質問ができるように」と、後ろにいて、とてもゆったりとニコニコしている先生の姿を見て、最初の印象とエライ違うなと感じたのが印象的でした。

遠矢 そうだったんですか。

秋山 そうした地域を支えることに目が向いているさまが、新たに取り組まれている看多機(看護小規模多機能型居宅介護)にもつながっているのかなと感じます。看多機をつくられたきっかけは、医師の目線だとどんなところですか。

遠矢 在宅をやっていると、どうしてもベッドがほしくなるんですよね。病院に入院させると余計なダメージや不安を抱えることも少なくないので、できれば入院を回避したい。それが、さらなる在宅生活の継続につながると思うと、バックベッドはほしいんです。
 法人内に18床の有床診療所(松原アーバンクリニック)はあって、緩和ケアを行うホスピス病棟のように使っています。そこよりもう少しケア寄り、普段の生活とつながるベッドとなると、看多機が一番いい。
 加えて、うちの訪問看護は医療で入ることが多くて、医療的ケアが必要なために普通の介護系のサービスが使えない人も少なくないので、そうした際も対応できる場がほしいというのが前提にありました。

秋山 ニーズとしては泊まりですか。

遠矢 看多機(ナースケア・リビング世田谷中町)の管理者が言うには、やはり泊まりにニーズが多いと。少し亡くなったりしたので、登録は12~13人です。最低でも20人ぐらいは確保しないと、ちょっと損益分岐点に乗らないところがあるので、今、そこを目指しているところです。

秋山 利用者の契約のルートはケアマネジャー(以下、ケアマネ)から来ますか。

遠矢 それもあるし、あとは退院時につながることもあります。ケアマネが変わる必要があるところがネックになっている面もあり、介護保険はこれからという人が始めるのが、一番スムーズかなと感じます。そうでないと、すでに介護保険で訪問看護やヘルパーが入っている人の場合は、総取っ換えになってしまう。それを聞くと「もう何年もお付き合いがあるから…」と見送る人もいるので、そこの難しさはあると思っています。

秋山 その点については、うちの看多機(坂町ミモザの家)を利用している人のなかには、連絡面で非常に楽になったと話してくれた人がいます。それまでは、「デイを休みたい」「ヘルパーを休みにしたい」ときには、あっちにもこっちにも電話をかけていたのが、看多機に変わって、ミモザに連絡すればすべて済むから、とても気持ちが楽だと。緊急もちょっとしたことの相談もすべて看多機とやり取りすれば全部通じるというあたりは、ものすごく楽だと。そういうことが、あまり謳われていないかなと思ったりします。だから、ものは考えようかもしれない。

遠矢 そういう考え方もあるんですね

秋山 白十字訪問看護ステーションは、ヘルパーの態勢が夜間帯に十分とれないため、定期巡回などは別のところと組んでいます。早朝と就寝前の深夜のケアがきちんとあれば在宅生活を継続できそうな人に対しては、看多機ではない支え方が適しているといえます。
 退院調整に入ってアセスメントした結果、訪問看護と定期巡回を組み合わせて入れて、まず様子を見ようかなというタイプの人もあるんです。訪問看護が入って、何かあったとき・必要なときには、緊急ショートという看多機の使い方で、丸1日、2日だけ泊まりをしてもらう。

遠矢 なるほど。

秋山 その泊まりを使ってみたうえで、こういうスタイルもいいかなと言われたら切り替えていく。
 逆のパターンで、退院直後の安定していない時期だけ、登録はしておいて全部みるのだけど、よくなっていく・落ち着いていくと、入院前のスタイル、元のサービスに返して、看多機はいったん卒業というパターンも2人ぐらいいました。そんなふうにもうちょっとフレックスなあり方があってもいいなと思っています。

遠矢 いかに柔軟性をもたせるかというところがカギですね。ワンストップだからこそ調整しやすいというか、柔軟に対応ができますからね。

秋山 あとは、継続的にみられることの価値は大きいです。
 入院中は興奮気味で、いやなことは「イヤ!」と大きく叫ぶと申し送られた患者がいました。退院にあたって、介護をしている娘さんが仕事を辞めないというので、「これは看多機だ」とうちにつながりました。うちのリハスタッフが看多機に週2日ぐらい行ってリハもしながら、このときは介護の人たちにリハの目線で指導もしてくれました。関節が拘縮していて、そこを触られると痛いんですよね。それを、浴槽で柔らかくし、リクライニングの椅子にしか座っていなかった人が、普通に座れるようになった。痛いところがなくなったのでものすごく穏やかで、病院では「こんな人は、家では無理でしょう」「ビッシリこれだけ入れてください」みたいなプランをつくってきたけど、「こんなにいらないわね」と、本人も必要とされるケアも様変わりした事例です。ずっとみることに意味があるし、何で痛いのか、何で叫ぶのか、それはいやがっているんですよね。

遠矢 そう、ストレスの表示なんですよね。本人からの SOS。それこそケアの力で、そこに看護ならではのアセスメントが入るからこそ、看多機の価値があるのだと思います。
 先日、ショートステイで時々利用していたがんのターミナルの人が、看多機利用中に「何か起きないぞ」という話になったんです。もともとパーキンソンでオン / オフがあり、「またそれかな?」みたいに介護者は思っていたらしいのですが、看護師がバイタルや身体状況をみて「いや、これは違う。何か普段と違うことが起こっている」と察知して、家族に電話をして、「ちょっと早めに切り上げて帰りましょうか。そのうえで往診を設定しましょうか」と伝えて帰って、その夜に亡くなったということがありました。
 そのままステイされる予定の人だったんですけど、看護師がいて、その見立てが利いたことで、“少し先”が変わったなと思ったんですよね。そういうかかわり方ができる場であり、それは看護師にとっても、自分たちのスキルを生かせる場になるのかなと思いました。

秋山 今のお話のように「これはお家のほうがいい」と帰すこともあるし、いつもより高めの体温に気づけて、帰さずにケアを手厚めにして重篤化を防げることもある。そのあたりの判断に、医療的な目をもったものが加わったうえで、医師と連携をするというよさが大きいと思いますね。

遠矢 医師が往診で行って、せいぜい20~30分の診療時間にわかることというのは限られていますよね。とくに認知症の方なんかは、時間帯が違えば、また違う顔だったりもする。それが、看多機だと終日預かれるので、夜間の変化や生活の状況が深くわかるというか。どうしても家族からのお話だけでは、拾いきれないところがわかることは、医者としても助かっていますね。
 あと興味深いのは、うちで働くほとんどの看護師が、あまり訪問看護や在宅医療の経験がない、病院勤務から在宅に興味をもって来た人が多いのですが、そのスタッフたちがこの看多機にかかわるようになって、ヘルパーまでケア職の動き方やケアの実際、言葉かけなど、そこに流れるカルチャーみたいなものが、看護とはまた違っていると感じるようで、皆、一様に「とにかくやさしい」と言うんです。

秋山 怒らないですよね(笑)。

遠矢 そう。本当に患者のことを中心に考えて、そういう動き方ができる人たち。これは看護とはまたちょっと違うと感じているようで、それもまた面白いなと思っています。同様に、そのケア職の人たちが、医療的なことを学ぶ場でもあると思っているんですよね。

秋山 白十字では、新卒の介護福祉士、新卒の看護師を採ったんです。その人たちの教育にも、看多機があるのでトレーニングがしやすいと感じています。

遠矢 うちの管理者も、看多機ができれば、新卒でも訪問看護師を育てていけるんじゃないかと言っていました。

秋山 介護福祉士にとって、看多機は医療的な観察が必要な人も合わせてみることができるので、教育の場としてはいいんですよね。

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遠矢 「自分はこの地域を守っているのだ」という意識が、地域包括ケア時代の開業医には求められるのではないでしょうか。

地域包括ケアシステムを支えるジェネラリストとして

秋山 最近は、専門医として、自分の専門性を前面に出して在宅に入ってくる医師もいらっしゃいます。そうすると「これ以外は診れないから病院へ」となることもある。そうではなくて、トータルに診るジェネラリストとしての在宅医というか、家庭医として家族全体・地域全体をみることの面白さについて、ぜひ伺いたいです。

遠矢 まさにそこが、今もっとも興味があり、問題に感じているところです。
 とくに認知症の人にかかわるようになって、認知症というのは、「この人、認知症かな」と、家族とか周りの人に感じられていながらも、「私は違う」と言って、結果的に診断が遅れてしまうというケースが少なくないんですね。初期集中支援では、そういう困ったパターンや、生活がそれで破綻しつつあるような人々に対してアウトリーチをするチームが訪問して、状況をフォローし、医療につないだり、介護が入れるようにしたりと、その窓を開く役割をします。そのなかでよく経験するのが、かかりつけ医が「認知症は診れない」と考えているケースです。高齢の患者には、血圧やリウマチなどでつながっているかかりつけ医があり、長い時間をかけて築いた信頼関係があるのですが、その医師は「認知症は専門ではない」と断ることがある。かかりつけ医のところなら通ってもいい高齢者も、新しい認知症疾患医療センターとか、精神病院については、拒否を示す。そうすると、認知症として医療につなぐことが、すごく難しくなるんですよ。
 国や医師会は、認知症かかりつけ医研修やサポート医研修として取り組んでいて、とてもいいことだと思うんですけど、地域を支える医師の側は、もっと主体的に診ていけるようなスキルを身につけていかなければならない。緩和ケアも含め、「それは私にはできない」と関係性が切られてしまうことの不安は、患者にとっては相当大きいものなので、認知症に限らず、高齢者に起こり得る疾患については、これからの開業医などは必須のスキルとして対応が求められるように考えます。
 私も、以前はあまり認知症のことに興味がなかったし(笑)、専門的に勉強したこともなかったです。でも、認知症初期集中支援にかかわることになって、奥深さというか、私たちはいろいろなことを誤解していたなと気づかされています。薬に頼るばかりではなく、ケアをいかに高めていくかのバランスが必要になってきたり、ケアが高まれば薬はあまり必要なくなったりすることもあるぐらいなので、それこそ医療と介護がうまく連携しながらやっていくのが認知症だとすれば、まさに在宅医療の本分だなと思いますね。

秋山 だからこそ、初期集中で支援に入って、その結果を出した後のフォローを地域でどうするかというところがとても大切になってきます。そのときに、認知症のその人との関係をつないでいく役割と、全体をコーディネートしていく役割、それぞれが大事ではあるんですが、本人からの信頼を得るまでの間のつなぎを、じゃあ、どこに期待するのかは課題ですね。

遠矢 認知症としてうまく医療につながれなかったことで、いろいろな困りごとを抱え、その結果混乱したり不安だったり、場合によっては周囲に当たり散らしたり、強い言葉が出てしまったりすると、周りからも、支援に入る側からも敬遠されて行き場を失くしている人がいます。ただ、そこにかかわっていくのは、まさに秋山さんたちの「暮らしの保健室」がそうですけれども、それなりのスキルが必要なんですよね。
 地域包括がそれを全部マネジメントできるかというと難しいし、そこまで求めていいのかという話もある。私たちも、初期集中支援でかかわって、やっとドアが開き入ることができて、信頼関係ができて、それまですごく荒れていた生活や性格が、嘘のように穏やかになってきて、普通の人として話ができるという経験をするんですね。
 支援者がいることの安心感とか、居場所ができることって、すごく大きいと思います。「居場所」「役割」「生きがい」は、本質的な高齢者ケアのキーワードなんだなと思うし、それはやっぱり地域にそういう機能が備わっていないと、家族だけ、あるいは訪問する看護・介護だけでは賄いきれないですね。幸い、世田谷区にはがんばっているグループがあるので、居場所としてつなぐことができています。

秋山 澤憲明先生(英国の家庭医)が、「英国では社会的処方というのを書きますよ」と教えてくださいました。社会的処方っていったい何か。その例として、「具合が悪い」という電話をよくかけてしまう、独り暮らしの高齢の女性をあげられました。そのときに、その女性の趣味とかを聞いて、地域内のグループにうまくつなぐことができたら、もう自分のところには電話がかかってこなくなり、定期的な受診だけ来て、すごく元気になっていることがある。それが薬ではなく、コーディネーターやケースワーカーにつなぐという、まさに社会的処方で、その社会的処方を書くには、自分が地域の資源をよく知らないと書けないのです。だから、いろいろな所へ出かけたり、地域にどんなものがあるかアンテナを張る。そういう興味をもっていないと社会的処方は書けないということを、ちゃんと医師が意識をしたうえで社会的処方につなげられるかどうかは、すごく大きいことなのだそうです。

遠矢 日本でも、「自分はこの地域を守っているんだ」という意識が、今の開業医の医師たちにもっと必要だと思うんですよね。そうすると、澤先生のお話のような、地域のいろいろなリソースへの興味につながるでしょう。そういう視点や、自分にその責任があるという意識が乏しいんじゃないかなという気がします。
 とくに英国やオランダ、ほかの国での家庭医という存在は、そこを深く知って、医療中心ではあるけれどもちゃんと地域ともつながっていて、必要に応じてバトンタッチしたり、やりくりする役割も担っている。「その責任を自分たちは担っている、だから知らなければならない」という意識につながっていく。そこが日本ではまだまだ難しい。地域包括ケアシステムのうえでは、それ抜きには開業医もあり得ないはずなんですけど、そこをどうするんだろうと思うんですね。

秋山 20世紀は病院の時代だと言った人がありました。その考えは根強く、「あそこの家は、病院にも連れて行かない」と、医療の恩恵を受けさせていないくらいに家族が言われてしまうから、どうしても最期、病院へ運ぶという地域もありますね。でも、そうじゃなくて、病院にあまりかからず暮らせるのが幸せだというふうに市民の思考回路が変わってくれないと難しいかもしれないですね。

遠矢 1回、在宅での看取りを経験できた人は在宅でみていても大丈夫だと思えたり。あるいは逆に、父親の最期のときには病院に連れて行って大変な目に遇ったから、母親にはあんな思いをさせたくないと考える人もいますよね。そこは個人の経験として少し積み重なるものがないと、いきなり「そういう時代じゃない」といわれても、実感としてないかもしれない。

秋山 「在宅でよかった」と思える人をひたすら増やすのが、地道な努力でしょうかね。

遠矢 医療って、そういうものだと思いますね。

秋山 例えば遠矢先生の医局時代のご経験のように、ALS で10年近く入院していたけれども退院できて、自宅に帰っての2年か3年間を、結果としてはその家族がよかったと思えて、介護の仕事の道に進むことだってある。体験した人の変化や語りも大切になりますね。

遠矢 そのケースのときには、「家に帰りましょう」という説明をしながらも、自分のなかに、「果たしてこの人たちの幸せにつながることをしているんだろうか」という葛藤がありました。今これだけ万全の体制が整った病院にいるのに、ここから出ることが、本当にこの家族にとって幸せなんだろうかという葛藤が、ずーっとあったんです。それはすごく憶えています。話をしながら、自分自身が泣いてしまったり、「ごめんなさい、でも帰っていただきたいんです」と言いながら、でもこれは、病院側の都合を押しつけているんじゃないかとも、何となく研修医の私は思っていました。
 今の自分はそんなことは思わないですし、在宅の素晴らしさを信じられますけど、それがたぶん、今の病院の医師たちのなかには、まだあるんじゃないかな。私が経験したようなことを、今、病院で働いている医師たちも経験することで、もっと私たちの診療も変ってくる可能性があるかなと感じています。だから最近は、病院に行って在宅のディスカッションをしたり、病院の医師が診療所の治療を見学に来たりすることが増えていて、私は、すごくうれしいんです。(了)

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対談をおえて

遠矢 在宅ケアのイノベーターであり続ける秋山さんと二人きりの対談ということで、とてもワクワクして臨みました。3時間を超える対談のなかで、病気や障害を抱えながら地域で暮らすための課題解決とそこにかかりつけ医や在宅医、看多機がどうあるべきかの深い視点をいただいたように思います。普段はお話しすることがあまりないような、自分が在宅医療を志すことになった経緯などにもふれていただき、自身を振り返る機会にもなりました。これからも私たちがチームとして取り組んでいる在宅医療や訪問看護、そして看多機などを通じて地域ケアの質を高めるべく、秋山さんのように新しい発想や変革を恐れず邁進していきたいと思います。

秋山 鹿児島の鹿屋出身という遠矢先生との対談は、始まる前からワクワクしていました。この対談シリーズの第11回(2016年12月号)に登場した、鹿児島の肘付町の保健師能勢佳子さんと同じ地域出身でもあり、どんな話が展開するのか興味深かったのです。病院の医師に在宅の魅力が伝わらない現状に、もっと経験してもらえる機会を増やそうという提案と、在宅医が病院へ積極的に出向くことをすでに始められています。これが必要、これが知りたいと思うところを卒直にアプローチし、仲間と共に実現していく様子にとても共感を覚えました。楽しいひとときをありがとうございました。

【Column】認知症初期集中支援事業
複数の認知症ケアの専門職チームが家族の訴えなどにより認知症が疑われる人や認知症の人およびその家族を訪問し、アセスメント、家族支援などの初期の支援を包括的・集中的(おおむね6カ月)に行い、自立生活のサポートを行う。チーム員は認知症ケアの経験のある看護師・保健師、作業療法士、精神保健福祉士、介護福祉士などに加えてバックアップする認知症専門医または認知症サポート医から構成される。チーム員としての支援内容は多岐にわたるが、大きく4つに分けることができる。①本人への支援、②家族・介護者への支援、③物的・人的環境整備、④意思決定支援である。

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【ゲストプロフィール】
 出身は鹿児島県。鹿児島大学病院勤務時に、長期入院患者の在宅復帰を実現したり、20年ほど前に急性期病院からの訪問診療を経験するなど、医師としてのスタートの時点より、「在宅」に近い距離感で臨床経験を積む。2000年の開業以降、家庭医として、また在宅医療部の医師として、世田谷区周辺を支える。地域に在宅医療を届けるのみならず、2006年には自身の家族のケアのため、東京での仕事をいったん整理し帰郷、約3年間の在宅医療を家族として支える。再び上京の後は、2009年より現職。「認知症初期集中支援チーム事業」への従事、看多機の開業など、地域における医療の多様性を模索しながら患者宅を訪問する日々。

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【ホストプロフィール】
 2016年10月maggie’stokyoをオープン、センター長就任。事例検討に重きをおいた、暮らしの保健室での月1回の勉強会も継続、2020年ついに100回を超えた。2019年第47回フローレンス・ナイチンゲール記章受章。

※本記事は、
『在宅新療0-100(ゼロヒャク)』2018年1月号
「特集:在宅医療における医療デバイス」
内の連載記事を再掲したものです。

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『在宅新療0-100』は、0歳~100歳までの在宅医療と地域連携を考える専門雑誌として、2016年に創刊しました。誌名のとおり、0歳の子どもから100歳を超える高齢者、障害や疾病をもち困難をかかえるすべての方への在宅医療を考えることのできる雑誌であることを基本方針に据えた雑誌です。すべての方のさまざまな生活の場に応じて、日々の暮らしを支える医療、看護、ケア、さらに地域包括ケアシステムと多職種連携までを考える小誌は、2016年から2019年まで刊行され、現在は休刊中です。

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