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【第5回】十一面観音に会いに行く

執筆:桂田 菊嗣
   大阪急性期・総合医療センター名誉院長
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 観音菩薩は人々の苦しみを聞いてくださる慈悲の菩薩として、古来より庶民に慕われてきた。観音菩薩はいろいろな形に変化しているが、最も多いのは十一面観音と千手観音であろうか。とくに奈良時代以降十一面観音像が盛んに作られている。
 十一面観音は頭(螺髪でなく宝ケイ)の上に十一の佛頭を載せている。四方を見つめて苦しんでいる人々を見逃さないためである。その表情は、なだめたり怒ったり笑ったりさまざまである。そのてっぺんに阿弥陀如来がおられる。
 十一面観音像でよく知られているのが法華寺(奈良市)、道明寺(藤井寺市)、室生寺(宇陀市)、六波羅蜜寺(京都市)、向源寺(長浜市)である。いずれも国宝であるが制作年はすべて奈良時代以後である。長谷寺にも室町時代の大きな十一面観音がおられる。
 奈良時代に制作された十一面観音が聖林寺(しょうりんじ)にある。近鉄桜井駅からバスまたはタクシーを利用する。多武峰山麓にあたる静かな里の、隠れ寺のような古刹-聖林寺にいたる。神宿る山として信仰されてきた三輪山を一望できる地である。

画⑤1聖林寺十一面観音

聖林寺十一面観音 明治時代にフェノロサによって秘仏の禁が解かれたという。堂々とした体で右手は下垂し左手は花瓶を持っている。このポーズは観音像に独特で、観音像の原型とされる聖観音像(薬師寺東院堂、白鳳時代)に見られる。日本で最も美しい十一面観音とされ、ミロのヴィーナスと比較されることがある。和辻哲郎は、天平美術の最高の美は東大寺法華寺の不空羂索観音とこの十一面観音だとして絶賛した。

 寺の本尊は地蔵菩薩であり十一面観音は客佛である。その客佛のために作られたのであろう渡り廊下を通って観音堂にはいる。十一面観音は奈良時代末期の天平様式の木芯乾漆像で、均整のとれたすらっとした2mを超す長身である。ふくよかな顔、正面を見つめる切れ長の眼、固く結ばれたふくよかな唇、指の繊細な表情、堂々とした体躯で今にも動き出しそうな気配が、翻る天衣、美しい瓔珞とともに見るものを引きつける。凡人のざわつく心を静め、人間を超越した威厳を感じる。奈良時代の十一面観音としては他に類のない貴重な存在であり、しかもこの像は保存状態がきわめてよい。1200年にわたってどれだけの人が悩みを打ち明け、どれだけそれを受け止め、また力を授けられてきたことであろうか。
 制作時代は下がるものの奈良市内にも十一面観音を見ることができる。最近復元されかけている平城宮のほど近くに法華寺(ほっけじ)がある。藤原不比等の屋敷跡に光明皇后が総国分尼寺として建立したもので、女人成仏の根本道場としてかつては壮大な七堂伽藍であった。本尊十一面観音はカヤ材の一木造りで小ぶりであるが平安彫刻を代表する像である。公開日にのみお目にかかれる。くっきりした目鼻だち、長い右腕は指で衣の裾をつかみ、腰をひねり、片方の膝を遊ばせる。堅い木材を研ぎ澄ました鑿で掘り起こした工人の腕の確かさが刀痕から感じられる。「ふじわらのおほききさきをうつしみにあひみるごとくあかきくちびる」と会津八一が詠んだ。光明皇后がモデルという説はあやしいが高貴な女性を思わせる格調の高さがある。

画⑤2法華寺

法華寺本堂 平城京大極殿のほど近くに光明皇后が総尼国分寺として建立したお堂である。今あるのは秀頼と母淀殿が再建されたものだが、元来の部材が使われているらしく古風な仏堂の佇まいである。本尊十一面観音立像のほか維摩居士坐像-いずれも国宝―も安置されている。

画⑤3法華寺十一面観音

法華寺十一面観音 木像の一木造で、衣の裾が揺れ、右足親指をそらして前に出し歩きだそうとしているように見える。髪の毛や唇に彩色が残っている。胸や大腿部などふくやかでなまめかしい。和辻哲郎は豊満な女体を連想し、著書古寺巡礼には「その美しさは天平の観音に見られない一種隠微な蠱惑力を印象する」とある。 

 室生寺(むろうじ)は奥深い山と渓谷に囲まれた地にある優雅な気品のある名刹である。シャクナゲなど四季折々の草花に彩られる。同じ真言宗の高野山が女人禁制であるのに対して古くから女性に開放されて女人高野と呼ばれ、女性の人気が高い。その金堂に美しい十一面観音立像がある。

画⑤4室生寺金堂

室生寺金堂 鎧坂と名付けられた長い石段を上りはじめると本堂の屋根が見えてくる。段差のある地盤に杮葺きの屋根で、前方の礼堂部分が前に張り出した懸造り(かけづくり)のお堂が立っている。崖地に立つ懸け造りのお堂を他にも見るが、崖地はやむを得なかったのか、意図的に選ばれたのか。須弥壇には貞観佛と呼ばれる平安初期の仏像が林立していて壮観である。向かって左端にお目当ての十一面観音が立っておられる。 

画⑤5室生寺十一面観音

室生寺十一面観音 奈良時代というより平安初期の作品で国宝である。カヤの一木造で、全体にぽっちゃりしていて丸みがあり頬もふっくらしている。胸元を華やかなネックレスが飾り、女性のように見える。光背の着色も鮮やかである。観音像は一般に女性的なのが多いが室生寺のは女性そのもののようである。光背の赤黄緑の彩色文様が華やかである。かっては金堂にあったのだが最近は宝物館に移されたらしい。

 お水取りで知られる東大寺二月堂にも2体の十一面観音像があるが絶対秘仏で残念ながら誰も見た人がない。

画⑤6二月堂裏参道

東大寺二月堂(裏参道) 旧暦2月にお水取り(修二会)があるので二月堂と呼ばれる。傾斜地に前部分がせり出すように長い柱で作られた懸造になっているのは京都の清水寺に似ている。最前列の欄干からお水取りの松明が突き出される。十一面観音が本尊であるが絶対秘仏である。帰りは土塀に囲まれた趣のある裏参道を下ることにしている。

 大阪には藤井寺の道明寺(どうみょうじ)にも十一面観音像(国宝)がある。この寺は菅原道真公の祖先にあたる土師氏の氏寺で、「道明」は道真の号だという。

画⑤7道明寺十一面観音

道明寺十一面観音 土師氏の後裔である菅原道真が太宰府下向の折に別れを惜しんで叔母の覚寿尼を訪れたゆかりの地である。歌舞伎通のかたはご存知であろう、菅原伝授道手習鑑にその場面が出てくる。道真の作といわれるカヤ木材の十一面観音像が寺の本尊である。道真公を彷彿させるような凛とした表情を見せる。

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【著者プロフィール】
救命救急医療の実践のかたわら、三次救急医療機関(のちの救命救急センター)の確立とわが国の救急医療体制(一次・二次・三次の機能分担)成立への模索、同時にプレホスピタルケア(いうならば病院前の救急体制)の拡充のための救急隊員教育の体系作り、その延長上での救急救命士教育へのかかわり
【経歴】
昭和35年  大阪大学医学部を卒業
昭和37年  インターンの後、大阪大学医学部附属病院第二外科にて研鑽を 積む
昭和42年  同病院特殊救急部創設に参加(救命救急医学の研究・診療に従事)
昭和49年  大阪府立病院部長に就任(全国初の救命救急センターを設立、重篤な救急患者の診療にあたるとともに、救急医療体制の整備、全国救急隊員教育の拡充等に貢献)
平成11年  同病院病院長に就任
平成14年  大阪府北大阪赤十字血液センター所長に就任
 現在は、大阪府北大阪赤十字血液センター検診業務、救急救命士養成教育、老人介護保健施設管理などに従事

2020年に発刊された『救急救命士標準テキスト第10版』の編集顧問を務める

救急救命士テキスト10e_H1_h1200(web-big)


近著:救急救命士国家試験問題集ではなく、救急救命士という職業人のためにつくられた、今までにない”新しい”問題解説集

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へるす出版 『救急救命士実践力アップ119


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