はじめます。

ついに始めました。

noteと言うと、
何か誰かの役立つ情報だったり、
アカデミックな思想が発信されていて、
文章力が乏しく、特段秀でた知識がない私にとっては少し敷居が高いイメージでした。
(今もそのイメージです。。)

ただ、
私は、昔から何か一つの物事について、自分なりに仮説を立てたり深く考えることが好きな性格で、基本的に自分の中に留めておくか、発信しても本当に気心知れた友人のみでした。

しかし、20代の折り返し地点に立ち、
自分の人生について、

何も考えずに楽しいだけで日々が過ぎていくのはまずいとか、
どうやって20代を悔いなくやり切ろうとか、
理想とする30代を迎えるための準備をどうするか…

色んなことを考える機会が増えました。

そんなある日、
「日々考えた事をアウトプットしてみてたら、内的にも外的も見えるものが変わるのかも知れない」
という考えが、ふと頭に浮かび思い切って始めてみることにしました。

ふと頭に浮かんだ理由について細分化したので、
まずは開始宣言も兼ねて、
noteを始めるに至った経緯を書いてみようかなと思います。


noteを始める理由

  1. 表現力を磨きたい

  2. どこかで同じ考えの人がいるのなら、幅を広げるきっかにしたい

  3. “なりたい自分”になるきっかけになりたい


1.表現力を磨きたい

”表現力”
すごい漠然とした言葉だと感じています。

人にとって定義は様々でだと思いますが、

私は、
自分という存在を見せたい形で魅せ、相手に適切に受け取って貰うこと
だと考えています。

中でも、
見せたい形で魅せる」「相手に適切に受け取って貰う
が難しく感じており、苦手意識を持っています。

10代までを振り返ってみると、
幼小は、周りの子より誕生日が早く、比較的成長スピードが早かったせいか、言語能力が高い方だったし、
中高でも、周りの環境に恵まれていたせいか、
相手が何であろうと、どんな場面であろうと、自分の思った事をズバズバ言う、それでも聞いてもらえる、
だから、「自分という存在を相手に全てさらけ出す」が出来れば良しとして、
それが自分なりの表現だと思っていました。

20代になって、
大学に入り、環境が一転。
周りには、自己肯定感と自己表現力がびっくりするほど高く、
俗に言う「世渡り上手」な人たちで溢れていました。
彼女・彼らと仲良くなっていく中で、
当時の私とは違い、「相手に合わせた形で自分という存在を魅せる」を人間関係の中で自然に行えている事に気付きます。
しかし、「自分という存在を相手に全てさらけ出す」こそが、人間関係の基本だと考えていた当時の私にとっては、真逆な概念で腑に落ちず、
人生で初めて周囲の人間に不信感を抱く様になりました。

極端すぎるくらい、他人に心を開くことを辞め、
いつしか「何を考えているか周りに分からないくらい内に秘めることが美徳だ」と発想転換する様になりました。

ただ、この極端すぎる内的思考によって、
組織や社会では損を被る場面の方が多い事に気づかされます。

自分なりに考えてした行動でも、その行動に至った思考が相手には伝わってないから、何考えてるかわからない「怖い人」「変な人」という目で見られたり、
自分の意図しない方向で、自分という存在を認識される苦しさを感じる様になりました。

ここ数年で感じてきた苦労を踏まえ、
20代折り返しにして、
自分が生きやすくなるために、
相手に合わせた形で自分という存在を魅せる
は実は重要なのかもしれない、とやっと気づける様になった訳です。

決して、他人軸で八方美人になったり、自分を偽るのではなく、自分軸で自分の見せたい形に上手く装飾する
もちろん、自分の全てをさらけ出すのでもなく、相手を見ながら小出しにしていく感じで
自分という存在を見せたい形で魅せ、相手に適切に受け取って貰うこと
を出来る様にならなきゃいけないと感じる様になりました。

さあ、ここで
苦手意識のある
見せたい形で魅せる」「相手に適切に受け取って貰う
をどうやって克服するかという課題が出てきます。

この2つを為す上で、様々な要素が求められますが、
ボキャブラリーの豊富さ
が特に重要だと考えています。
私は本当にここに苦手意識があります。
(たまに帰国子女を疑われてしまうくらいには、国語が苦手です。。)

受け取る相手を想像するのは、コミュニケーションにおいては大前提ですが、
想像するためにも、一つ一つの言葉や文脈が成す意味合いを理解できていないと、
適切にアプローチできないのではないかと思います。

そこで、
これまで怠ってきたアウトプットの機会を増やすこと
が、今の私には必要だと考えました。
発信の機会が増えれば、自分の発する言葉についても分析する様になり、責任を持てる様になるからです。
あと、
大人になればなるほど、見栄や体裁を気にして、
ガチガチに固められたプライドのせいで、
自分すらも自分の考えがわからなくなってしまう気がすると感じていて、
逆に、周りで堂々と意見を発信している人達って何だかかっこいいし、
言葉に深みがあって素敵だなと思います。
だから、私は繰り返し発信していく中で、
自身を内省すると共に、”表現力”を磨いていきたいです。

2.どこかで同じ考えの人がいるのなら、幅を広げるきっかけにしたい

ここまで長々と書いてしまいましたが、
なぜ知り合い以外も閲覧できるnoteにしたのか、

それは、この地球上で共感してくれる人や、私の考えに意見をくれる人がいるのなら、そういった人達と繋がりたいと感じたからです。

私は普段から、同じ様な環境で似た様な価値観で育ってきた友人と一緒にいることが多く、
生活する中で、物理的な接触機会が多いのであれば、こうした居心地の良い人達といるのが1番だと思っています。

一方で、
いつまでも井の中の蛙状態でいるのも怖い
見たことのない世界や価値観に触れないまま大人になるのも怖い
とも思ったりします。

インターネットが発達して、自分の見たことのない世界を知ってる人達と繋がれる機会がある
そんなご時世に生きてるのだから、こうしたツールに頼ってみてもいいのではないか
そして、思いもしなかった考えを貰うことで、自分の幅を広げられたらなと思います。

3."なりたい自分”になるきっかけにしたい

実際に社会に出てみて、
自己有用感を、身近な人間関係より職場や社会に求めており、
働く環境や状況が自分のコンディションを大きく左右してきたことから、
自分の思っている以上に、仕事が人生においては大きな軸であるということが分かりました。

今の私にとっての”なりたい自分”は、
(まだ漠然としていますが)
・好きな気持ちを活かして、生涯に渡って誰かの笑顔をつくり続ける。
・30代までに、たくさん挑戦して自分の武器を身につける。
・そしてオンリーワンな存在でキラキラと輝き続ける。

を実現しながら働くことなんじゃないかなと考えています。

最近は、この漠然とした目標を煮詰めるために、
ワクワクすること、負けたくないこと等…自分の喜怒哀楽が揺さぶられてきた経験の棚卸しをしたり、かっこいいと思う素敵な大人からお話を聞いたり、興味あると思った分野の勉強を始めてみたりして過ごしています。

目標を煮詰めていく作業の中での積極的なアウトプットには、

行動した成果の発信によって、自信が生まれてさらに行動するきっかけ
貰った意見によって、人生の方向性を考え直すきっかけ
もし共感してくれる人と繋がれたら、新たなビジネスチャンスが生まれるきっかけ

様々なきっかけを生み出す可能性を秘めていると思っています。

自己満ではあるかもしれないけど、
積極的なアウトプットを通じて、
目標の具体化→行動→目標の更新
を繰り返し、もがきながらも人生を歩み続けていきたいです。


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