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むすこのきもち。

新年度に入り、早くも保育園の先生から
『お母さん、ごめんなさい。息子ちゃんお友達に手が出ちゃっていて。止められなくてごめんなさい』を言われました。

新年度入ってから手が出てしまうことを聞いていなかったので、大丈夫かなーと心配しつつも、ちょっと落ち着いてきてたから平気なのかな?と思っていた矢先だったので、けっこうショック。。

『お友達は大丈夫ですか、本当にごめんなさい、、、、』
とひたすら謝り、ケガがひどくなくてよかった、ただそれだけ。。。


やられた方の親からしたら納得もいかないだろう。新年度早々で今年から入ってきた子もいて、親も不安だろうしな、、。(2歳児クラスだから初保育園って子も多いよね)


ただただこの申し訳ない気持ち。どうしてすぐに手が出てしまうんだろうと、息子はなんで叩いたのかなと想いを巡らせて、、でも保育園でのことなので当然わからない。。やられた子も、先生も、息子本人も辛いだろうなぁと、想像し心を痛めるしかできない母だった。。息子をいつも見守ってくれる先生には本当頭が上がらない。感謝しかない。だからこそ大変な息子でごめんなさい可愛がってくれてありがとうございますと心の底から思うし、息子に対しては大変ってレッテル貼してごめんって思う。。


理由なくいきなり手が出ることはないんだけど(←家だけかな?)
手が出る方が悪い。それについては家でもずっと伝えてきて、息子なりに嫌だったこと我慢したことを叩く以外の別の表現の方法を知った。

それからだいぶ、手が出ることは減ったけど、衝動性が人より高め?なこともあり、なかなかできないことも多い。
ただ、抑えられることが1つまた1つと増えるたびにとても嬉しかったし、それを褒めて伝えると、本人もとっても嬉しそうで。本当に成長を感じていつも目頭が熱くなってしまう。
(息子はもうすぐ3歳になるけど、言葉がほとんど話せません)

以前、保育士として働いていたクラスでも息子みたいに手がでちゃうCちゃんがいて、Cちゃんも理由があってやっているなって感じだった。
伝え方が「いやだ」「やめて」とか言葉ではなく、手が先に出るその衝動的な動きが早いなーって感じだった。

Cちゃんはお話ができる子だったから、「叩くんじゃなくてやめてって言ってみよう」とかCちゃんを気にかけてそばにいるようにして、その都度伝えていくことで、最終的には行動も減っていってた。

ちょっとずつ成長したなーとCちゃんの成長を見届けてきたけれど、いざ自分の息子となると、保育園で大丈夫かなぁとヒヤヒヤしてしまう毎日。;;

そして、モヤモヤして気にしてしまうことがあったりもする。
それは、さっきの手が出てしまうCちゃんを一緒に担任していた先生が、その手が出てしまうCちゃんの話をすると決まっていつもいうことがあった。
『親の躾がなってない。親の愛情が足りてない。甘やかしすぎ』

自分の息子にCちゃんを重ね合わせて、地味に私の心にその言葉が深く深く突き刺さっていて、「そうか、そうなのか」と落ち込む、落ち込む。笑

いやその先生はいい先生だよ。そこだけはね、ちょっと私が自分を重ねるから敏感になってしまうところだった。


正直親になってからの世界はまるで違かったし、しつけだって子育ての仕方だって正解はなくて、昨日よかったことが今日はダメなのが当たり前な日々。
子どもの調子にもよるし、親の調子にもよるし、っていろんなことが言えるんだけど。

しつけとか愛情とか子育ての方法とかに文句をつけるのは違うし、それは保育者自身の逃げだよな・・・というのが私の感じたことだった。


そういうと楽なんだよね。親のせいにすれば。ただ、反対の立場になって思うのは、親がどんだけ愛情を注いだって、しつけがどうこう子育てがどうこう、そういうのじゃなくて、目の前にいる自分とは別の考え方や感情を持った人間を相手しているんだから。

何が正解も正しいもなくて、ただただその子を見る、そしてその子が困っていることがあるなら手を差し伸べたいし、一緒に楽しんでほしいというならとことん楽しむし、泣き叫びたくて仕方がなさそうなら、安全にそれをさせてあげたいし、その子と向き合うってことが、大事なんだよなって。


ただ今の社会は本当に親は忙しい。大人が忙しい。みんな忙しい。忙しなく生きている人が多い。かくいう私もそうだと思う。

だから余計にその向き合うことが軽視されがちなのかもしれない。それを『愛情が足りない』と表現するなら間違ってはいないのかもしれないけど、時間がない中でも一生懸命愛情をいろんな形でむけているって事実を第三者があれこれ言って介入するものではないし、
『愛情注げていないんだ、私は母親に向いていないんだ』と落ち込む必要も理由もない。

少なからず、朝ママの機嫌が悪いのを気にして、不安になっていてなんとなくずっとモヤモヤした感情が渦巻いていて。そんな時にうるさいと思った不快な音(音に敏感だったら)を出した子がいて、その子に手が出てしまったとか、

そうやって親の影響を受けることはあるとは思うんだけど、全てその愛情が足りないとかしつけのせいだというのは違うよなって。

だからもしそれで落ち込んでいる親がいたら自分を絶対に責めないでほしいし、保育者としてそうやって親に原因を丸投げしていることが多いなと思ったら思った時点でちょっと視点を変えるチャンスかなって。
(すごい自分を弁護しているのに必死みたいになっているけど、笑
保育士の立場としてもそういうことは絶対に言いたくなかった。原因はないとも言い切れないけど、そこを問題の出発点にはしたくないと思っていたというか・・・ぐにゃぐにゃ)


すんごくすんごく話が逸れてしまったけれど、保育園で息子が手を出してしまうことについて。本当にもうお相手の方には謝り続けるしかない。。。


親の立場での不安や心配やこれからのこととかで押しつぶされそうになるけど、違う方法で想いを伝えることが1つまた1つとできた息子の可能性を信じて、息子の行動に対してジャッジをするのではなく、行動するに至った原因やら背景を見つけてあげて言葉にしてあげたり共感してあげたりしたい。

そして、最も大事なこと。
私自身の今の状態にもっと目を向けて、癒していきたい。ゆとりを広げたい。いっぱいいっぱいだったかな。
自分自身のことも含めて、心配していることであったり気にしていることであったり、ストレスだったりを溜め込み過ぎていないか?何か気に掛かっていることはないか、そういったことが溜まりに溜まっているのではないか?

思い当たる重荷を少しずつでいいから下ろしてゆとりを作る。
その繰り返しをして、ゆとりの中で、リラックスして、子どもとの時間にたっぷりと愛を注ぎたいし、心地よさを感じたいと思う。むすこのきもちに寄り添うために!

Chari


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