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不登校について考えるの話

自分の心を整える

長男たこ・長女ぴこ・次女ちぃは、不登校だ。
不安定登校をしていたが、もう、2週間、誰ひとり、1ミリも学校に行っていない。
立派な不登校だ。

夜は、「明日は行こうかな」とたこは言う。
「明日は心の相談員さん来る日だ!ちぃ、行く!!」とちぃも言う。
しかし、朝にはホットカーペットに張り付いて、惰性的にテレビをつける。
任天堂SWICHの電源を入れてプレイしだす。

母だって、そんな様子を怪訝に思わない訳はなかった。
「昨日の夜の、挑戦する気持ちはどこに消えた?メディアを許可してることが、登校の足を引っ張ってしまっているのか?」
とても葛藤していた。

メディアフリーの提案は母からだった。家で3人の子どもたちをメディア無しで、平穏に過ごさせることは、とてつもなく難しい。
アニメにも、YouTubeにも、ゲームにも、なにか心が動いたり、学べることがあるのではないか、そんな小さな期待もあった。

夫は、はじめから反対した。「メディアには、制限時間を設けるべきだ。」と。「勉強、運動、社会との交流、今、この時期にやらなければいけないことは沢山ある。その時間を確保するために、メディアは制限して、子どもたちを外に出そう。」

夫の言う事も、母はとても理解できた。しかし、
「どうやって?どのようにして、勉強時間、運動時間、社会との交流を確保するのか?」
その方法を考えた時に、子どもたちを導ける大人は、実質、母しかいなかった。母一人の肩に、平日昼間の3人の子どもたち、全ての責任がのしかかっていた。

3人兄妹はとてもマイペースだ。我も主張も強い。おりこうさんに、いつも抵抗なく親のいう事を聞いてくれる子は、一人もいなかった。
子どもの意にそぐわない事を、親のタイミングでさせようとすれば、母は子どもと闘わなければならない。

今まで、『登校させる』という最低限の目標を達成させるために、行き渋りを2年ほど闘って来た。そして、親子ともに、ストレスの病気になって、今に至っていた。とても闘う体力も精神力も無い。

しかし、今、母は自分自身に注力することに、目を向けられるようになっていた。子どもを変えようとするより前に、自分を整えよう、と。

自分の為に、家をリラックスできる空間にしよう、と。

子どもが勉強をしていなかろうが、くだらないYouTubeを見ていようが、私には関係ない。声をかけた洗濯干しに、誰ひとり来なくても。部屋の散らかりを誰ひとり片づけなくても。私には関係ないんだ。
私がやりたければ、洗濯を干せばいいし、片づけたいなら片づければいい。やりたくないと思ったら、私もやらない。

私には関係ない。今、この家の中で過ごす母子4人が穏やかなら、私はそれでいい。誰もいがみ合わない。誰も誰かを責めない。それが出来れば、もう、それだけでいい。
とにかく、私自身の心を落ち着けることが先決。そう念頭に置いて日々を過ごせるようになっていた。

舞い上がった海底の砂が、静かに少しづつ、また海底に戻っていって、海の水が澄んでいくように、私は、自分に集中していた。子どもたちの事と、自分を一旦切り離して。

夫の葛藤

今日も子どもたちが、学校に行かないことを選択する。欠席の選択と、ほぼ同時にYouTubeをつける。

夫は、重々しい空気で「止めてくれ。」と言った。
そして、子どもたちに切羽詰まった様子で語りかける。
「学校が苦手で、行けないことは分かったよ。だけど、時間は確実に過ぎて行ってる。君たちは必ず大人になる。パパとママは、先に死んでしまう。分かっているかい?」

たこはswitchの画面を停止した。ぴこは、YouTubeを区切りの良い所でとめようとしているようだ。テレビ画面と夫を交互に見ている。ちぃは、朝食が足りなかったようで、パンに塗るブルーベリージャムを探していた。

夫は続ける。「家に居たって、勉強はできるはずだよ。スマイルゼミだって用意してる。クロームブックだって家にある。ドリルだって学校からもらってるでしょ。自分に必要な知識を、自分で取りに行かなきゃ。自分のペースで良いんだよ。何か、学んでくれ。頼む。」

ちぃが母に話しかける。
「ママ?ブルーベリーないよ?冷蔵庫見えないから、一緒に探して?」
夫からも、深いため息が漏れる。
母の心にも空虚な空間が膨らんで来る。ちぃの反応に対してだけではない。夫の思いが、子どもたちに届いていないのではないか、という悲しさもあった。そして、一番、母としての自分が、どんどん風化していく虚しさを覚えた。

私は、この子たちに何もしてあげられない。

夫は、出勤した。
母は、なんとか自分を起こさなければならないと、散歩にでた。公園を歩いて、心を落ち着けようとしていた。けれど、最近楽しく出来ていた散歩も、まるでトンネルの中を歩いているようだった。鳥の声も聞こえない。木々の匂いもかげない。目に映る何にも、心が動かなかった。そして、酷く疲れてしまった。

家に帰って、子どもたちにお昼ご飯を作る。
給食を食べない子どもたちを案じて、ご飯作りは頑張ろうと最近は思えるようになってきていた。
子どもが食べやすいように、ニンジンを小さく切った。玉ねぎやシイタケも小さく切った。白菜も小さく切って、牛肉を煮て、卵を溶いて。すき焼き丼を作った。

今までその気力もなかった。「ごめん、インスタントで。」そんな日々が続いていたのが、ここまで出来るようになった。自分に拍手。

お昼の準備が出来るころ、子どもたちがお互いに声をかける。
「ご飯だぞ。YouTube消せよ。」たこが声をかけると、妹たちは「はーい」と席に着く事が増えた。穏やかな日々を、みんなが少しづつ、母に寄り添う形で作ってくれていた。

しかし、今日は違った。子どもたちはちょっと荒れていた。
「みんなの分の箸用意しろよ!馬鹿じゃないのお前。」たこがぴこに言う。
「どおせバカですよ!頭が悪くてごめんなさいね!」とぴこ。

「やめて。」母は、苦しくなっている胸を自覚しながら呼吸を整える。今は、どうしても、暴言や自虐に耐えられなかった。

「お兄ちゃんだって、ゲーム止めなよ。ご飯じゃん。」ちぃが言う。
「うるさい。試合が終わったら止める。」たこが言う。

ちぃがグッと言葉を飲む。兄妹の上下関係は覆らないのは承知しているが、理不尽な態度を我慢させられることも、今の母には辛かった。

ぴこがちぃに助け舟を出し、ぴこがたこを責める。「それは間違ってる!ご飯が出来たら、食卓に家族がそろって座るべきだ!」と。
たこの逆襲がぴことちぃに降りかかる。「お前らうるさい。俺は俺のペースでちゃんとやって、頭で考えてる。お前のせいだ。」たこがちぃを睨む。
ちぃは、「余計なことを!ちぃは黙ってたのに、お姉ちゃんがいらんことして、ちぃがお兄ちゃんに怒られた!」とぴこを責める。
ぴこは、「助けてあげたのに!」とちぃを責め、「頼んでない」とちぃに言われて憤り、パニックを起こす。
たこがパニックを起こしたぴこを「うるさいんだよ!黙れ!バカ。」と一蹴する。ぴこのパニックが増す。
ちぃとたこがため息をつく。ぴこが「ママ~!!」と泣き怒りの状態で母に不満を訴える。

「もうやめてよ!!!!」母は耳を両手で押さえて座り込んでしまう。涙が止まらない。
(お願いだよ。穏やかに過ごしてくれ。私はあなたたちに何も求めてない。頼むから私を乱さないでくれ!!)
自分の心の叫びしか聞こえない。子どもの顔も見る余裕がない。
こんな姿、子どもに見せちゃいけない。子どもたちの前では、穏やかで前向きでいなくちゃ、子どもたちが安心して家で過ごすことが出来ない。私は、自分を整えなければいけない!!!

「先に食べてて。」
それだけやっと絞り出すと、車のキーだけもって、家を飛び出した。
コートもお財布もケータイも、何もかも家に置いてきた。どこにも行くところがない。

母は、スーパーの屋上に車を止めて、呼吸に集中した。浅い。浅い呼吸に気が付けるようになっただけ、自分の中に成長を感じた。
2月の屋上は日当たりがよく、車内で日向ぼっこをしているような感覚だった。呼吸も徐々に落ち着いてきた。深呼吸をしてみる。深呼吸を何度繰り返しても、心は重いままだった。

帰りたくない。母は、運転席のシートを少し倒して、目を閉じた。お日様が温かい。そのまま、気が付いたら2時間経っていた。

不登校って何だろう?

不登校って、海に似てるな、と考えていた。
陸地を歩く人間が、歩くことに疲れて海に入ってしまったような。

当たり前に陸地を歩く人たちは、「おい!なに海で遊んでるんだ!上がってこい!」と言うけれど。
歩く元気が無いから海に入ったんだ。その海が、凍てつくような厳しさで、肌を刺す冷たさかも知れないこと、きっと当事者じゃなきゃ想像できない。

海でのんびり浮かべるようになるまで、必死でもがいて溺れていて、息も絶え絶えなことも、きっと当事者じゃなきゃ分からない。

海に落ちた子どもを陸に引き上げようとして、親も溺れてしまっていることを、陸地の人間は気が付いているだろうか。時に親は、自分は潰れても、せめてこの子だけは助けたい!と自分は沈んで子どもだけに呼吸をさせることがあることを、当事者以外が想像できるだろうか。

「不登校でも大丈夫!」と言えている人に時々会う。その人は、海の泳ぎ方を習得したんだ。もしくは、新たな陸地を見つけられたんだ。

体力温存の為に、海面にぷかぷか浮かんでいれば、「人間だろ!陸地を歩け!」と言われる。
「海に居てもいい!でも、歩く練習はしろ!」と海底を歩かされたりする。海底の砂が舞って、視界も無くなる。海を歩くなんて、身体が重すぎる。無茶言うなよ。と思う。陸地も歩けないんだぞ、と。

不登校児の親になって思う。私は、ずっと陸地を歩いてきた。昭和の親に育てられて、疑うことなく。教育を当たり前に受けて、大学を出て、就職した。海という世界があることも知らず。もしくは、海に落ちる人は変わってるな、と自分とは関係のない世界の事として生きてきた。

子どもが海に落ちて、親も飛び込んで、今、溺れている。親が泳ぎ方を知らないんだ。子どもに教えてあげられない。無力だと痛感する。

不登校が海かぁ。。。広さも深さも、ほんとに分からないよなぁ。と考えながら、この話は、どれだけの人に伝わるだろうか?と思う。

「ちょっと、何言ってるか分からない。」
と、首をかしげるサンドウィッチマン富澤の顔が浮かぶ。

自分への教訓

  • 自分が整ってなければ、何も成すことができない。

  • 家族が平穏に過ごせること、それが一番大切。










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