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教育の質と教員の質

こんにちは、こっしーです。
全く更新できていませんでした(笑)

何事も完璧を求めてしまうと二の足を踏んでしまいますね。
今日はちょっとフランクに現場から見た教育の質についてお話ししたいと思います。
自分の考えを整理しながら書いていきたいと思います。良ければご一読ください。
結論としては、教員の質=教育の質ではないと言いたい!笑


1.教育とは

あまり難しく定義づけするつもりはありませんが、教育とはその名の通り、
教え育てることにあります。
教育は学校に限ったことではありません。企業でも入社したらまず「教育」を受けます。ただその場に応じて教育する内容が違います。
では学校で「教育」する内容とは何か?
例えば、学習に関すること、これが一番に挙げられます。世間的にも、これが大部分を占めるのではないかと思います。しかし、他にも重要なのが生活に関することです。「喧嘩をしたら、こんな風に仲直りしますよ」とか、「人とすれ違う時には、『おはようございます』とあいさつしましょう」とか生活する上で最低限必要な能力です。
この学習と生活の両輪を構築していくことが、学校の教育であると考えます。

2.教育の質

さて本題の教育の質とは何か。
それは、学習と生活に関する教育を高いレベルで保つことであると私は考えます。
どちらかが欠けても、それは高いレベルを保てません。
学習面の教育を怠れば、授業が面白くなくなり、退屈な時間になれば・・・想像つきますね(笑)
生活面の教育を怠れば、喧嘩しても解決できず、挨拶もできず、トイレのスリッパもそろわずetc.
教育の質を保つためには、言わずもがなそれぞれの価値に関わる教員の力が重要になるわけです。

3.教員の質は教育の質に直結するのか

これまで述べたことから、教員の質=教育の質に直結するといっても過言ではなさそうです。
しかし、私は教育の質が教員の質と必ずしも直結するとは限らないと思うのです。
実際現場では、ベテランの先生がこの両輪を高いレベルで保ちながら、たくさんの校務をされている姿をよく見ます。もっと力のある先生は、隣のクラスのことや学年のことまで目を配っている方もいます。そんな教員の質を保つために、教員は子供たちが帰った後、研修を行ったり、外部の研修に参加したり、自身で研究したりするわけです。
しかし、現在教育現場が抱えている問題は、多岐にわたります。地域のつながりが薄れたことによる街全体の教育力の低下と子供と関わる人数が減少している、中堅教員の不足による若手教員に対する指導が行き届かないなど。ソースも示さずに主観で話しているので、他にも問題はあるとは思います。

それはさておき、何より大きな問題としては、1人の教員が休んだ時の損失が大きすぎるということです。このコロナ禍で、休まれる先生が増える一方、教員の数は増えているわけではないため別の先生が代わりを務めます。それほど学校現場は人材が不足しています。
物理的に教員がたりていないのです。先生の仕事が増えている現状でその対応する教員が増えていない。そんな中研修を行って教員の質を保って、教育の質を維持していくことは難しいでしょう。

5.教育の質≠教員の質

さて結論としては教員の質≠教育の質ではなく、
教員の質×教員の数=教育の質であるということです。

かけ算になっているのは、教員の質も教員の数も少なければその教育の質は担保することが難しいということが言いたかっただけです(笑)

教師のバトンというハッシュタグでTwitterで教師のやりがいを広げようという取り組みがありましたが、さらに教師のブラックさが明らかになりました。また、私の周りでも、自分の思い描いていた子供との関わりができていないと、一人また一人と学校を去る人も多いです。

教員の数が保てないため、最近のニュースで教員免許を持たない人を教師として雇うという話も上がっているほどです。
それほど教育現場には人が足りていないのです。

6.さいごに

今、日本は大きな分岐点にいると思います。社会情勢も日々変化する中で、それに対応できる人材を育てなくてはなりません。その最たる学校教育が、今人材不足でひっ迫している状況なのです。
これを打開するためには、社会全体で未来に投資するという感覚を共有することが重要ではないかと私は考えているのです。
別に学校にお金をくれと言っているわけではないのです、未来を担う子供たちに投資しましょう。みんなで未来を担う若い人たちを育てていきましょう。
だから私は自分の手の届く範囲の人たちに自分のできる精いっぱいで向き合っていこうと思います。

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