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会話から始まる優しさのバトン

私の住む地域では、日常的に温泉に入る文化がある。地域の公共浴場がそこかしこにあり、そこには温泉が流れ込んでいて、たらいを片手に近所の人が入りに行く、というのが日常風景。我が家の息子は生後2ヶ月にして温泉デビューしており、東京に住む友人からは羨まれる環境だ。

息子も成長し、約一年以上も温泉に通っているため、近所のおばさま方とも顔見知りでよく可愛がってもらっている。お風呂場では比較的落ち着いている息子だが、最近は私が身体を洗っている間につまらなくなり、ぐずって大声を出したり、動いてどこかへ行こうとしたりと、こちらがヒヤヒヤすることが増えてきた。

そんな中での、先日の出来事。
この日も息子は動きたい欲が強く、身体を洗い終えた後、どこかへ行こうと動き出すのを私に止められていた。まだ歩けない息子にとって、お風呂場の床は危険ばかり。私は両足で息子を挟みアクロバティックな体勢を取りながら、どうにか自分を洗おうとしていた。

そこへ、ちょうどお湯から上がった女性が来て、息子に声をかけて下さった。
「元気ね〜、お母さんが洗っている間、お話していようか?」

何度もお風呂場で会ったことがあり、お互いの詳しい話はしていないけど、よく声をかけてくれる人だ。息子もじーっとその方を見て、落ち着いて座りながら、何か言葉にならない言葉で話そうとしている。私は驚きと、感謝と、嬉しさでいっぱいになりながら、「ありがとうございます…!」と急いで身体を洗った。

女性のおかげで私は安心して身体を洗い終え、その方に感謝すると、「こちらこそ楽しい時間でしたよ」と言って下さった。その後、息子とお湯に浸かっている時間は、心なしかいつもより穏やかな気持ちでいられた。

すごいな、こんなことがあるんだ。
都会とは言わないけれど関東出身の私は、近所付き合いは多少あったけれど、一歩外に出れば家族以外は他人で、特に親しい友達でもなければ助け合うことも滅多に無かった。それが、多少の世間話や子育ての話をしていただけで、こんなにも気軽に声をかけてくださり、助けてくれるんだ。それも、裸なんていう状況なのに。

普段から何気ない会話をしていて、こちらを知ってもらえていたのがよかったのかな。

SNSやネットを開けば、人々の言葉の強さや攻撃的な様子が見えて、何年経っても心がすさむし、落ち込んでしまう。現実の日本で、こんなに強く意見を主張する人、こんなに攻撃的な言葉遣いをする人にはほとんど出会ったことがないのに。笑顔で話しながら、心の中ではみんなグローブを嵌めてファイティングポーズを取っているのだろうか、と疑心暗鬼にもなる。

現実世界に飛び出ても、攻撃されることは無くとも、そもそも何もされない。無関心な目を向けられることも多い。

でも、少しでも会って話す、それこそ会話をしていれば、SNS上ではカットされているかもしれない言葉の端々に人柄が表れて、むやみやたらに攻撃的になる必要がなくなる。相手を少し近く、感じることができる。もちろん合わないタイプだなと思うこともあるけれど、それを知ることができる。そうすると、何かあったときにちょっと助けてもいいかもと思えるかもしれない。そんなことを湯に浸かりながら思った。

先日、機会があってドイツを訪れた。ドイツ人は知らない人同士でもよく喋るよ〜と現地に住む日本人に聞いていたが、確かによく会話をするのを目にした。同じエレベータに居合わせれば、何かしらペラペラと話しているし、スーパーのレジの店員とお客さんもおそらく世間話をペラペラと話している。そしてドイツ人は、とにかく私たち家族をよく助けてくれた。ベビーカーでの移動に困っていれば手助けしてくれ、外食先では店員さんだけでなくお客さんもしょっちゅう息子に声を掛けてくれた。よく会話をしていて人との距離が近いから、人を助けるハードルも低いののだろうか。文化的な背景が全く異なるから、わかったようなことは言えないけれど、いい習慣だなと感じた。

自分でも、できることがありそうだ。これまでは「あの人、困っているかも」と思っても、声をかけるのに躊躇していた。でも、気軽に会話をしてみれば、手を差し伸べるハードルを下げられるかもしれない。何より、優しさはやさしさを呼ぶ。お風呂場での女性の優しさのおかげで、私は息子にいつもより穏やかな気持ちで、やさしく接することができた。女性から引き継いだ優しさのバトンを、私も誰かに渡してみよう。

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