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「ら KEPT」

「ら KEPT」2014年 日本

「私が訴えなかったせいで犯人はのうのうと暮らしていた」水野真希監督が自らの性犯罪被害を映画化した作品。

その被害を訴え出ない者も

被害を忘れなさいと諭す者も

被害の発生を知らない者も

現行法の生易しさも

みんな性犯罪者の味方だ

これは、「ら」の予告編に使われている監督自身の言葉だ。

この映画は水野真希監督自らが実際に体験した性犯罪被害が元になっている。
ドキュメントではないが、絶対にエンタメにはしてはいけないし、エンタメとして消費する事が絶対的に許されない、見る側にもそれ相当の感性と意識と飾りではない覚悟が必要な作品。

被害者が事件の現場でどんな目に遭い、どんな思いをしたのか、それを知るのは心にナイフを何度も突き刺されるようで心が痛い。

目を背けたくなるような現実。

実際に作品を見てみるといい。
思った以上に被害の内容が生々しく、悲惨と言う他に言葉が見つからないために、楽しむ為にに見る映画では無く「現実」を直視する為に見る映画。
スクリーンの外の現実は、ファンタジーではない、更に想像を絶する地獄絵図が存在する。

あらすじ

居酒屋でアルバイトをするマユカは、アルバイトの帰り道に見知らぬ男に拉致された。男と上手くコミニュケーションを取り続けて長い夜を明かしやがてマユカは何事も無く解放された。
アパートに帰り警察に電話をしたマユカは面倒臭さが先にたち連絡を取り下げる。
その結果この男は次の獲物に女子高生のみさとを連れ去り、山奥でその手に掛ける。
男には恋人がいるのだが、恋人は常に男と性的な関係を持ちたがらず、むしゃくしゃした鬱憤を晴らす為に男は、3番目に駅の駐輪場から出たゆうこの後を追う。

この映画を問題作として眺めるか、被害者の回りにいる人間のように彼女の気持ちに寄り添おうとするか、この選択だけでも映画に対する印象が随分違うと思う。

女子高生みさとは、事件後登校拒否を続けている。
草原で空を見上げたマユカは、一時辛い事を忘れていたが、又太ももが腐ったきた(事件の傷は中々癒えないと言う意味)。

見終わっても決して愉快な気持ちにはなれない、鬱々しい気持ちになる映画。
女子高生みさとは、山奥で顔をボコボコに殴られた後、男の毒牙にかけられ、車のシートを血で汚したと再び殴られまたレイプされた。

水野真希監督は言う。
男の被害者はこれだけではないと。

見たままでは無く、最大限の想像力を使って見ないと影に隠れる部分が見えてこない。
この映画は、性被害に遭った人に対するメッセージを訴えかける映画。
見ていて辛いシーンばかりなのもそのため。
心して見る映画。

#エッセイ #コラム #映画 #性犯罪 #小説 #日本映画 #暴力


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