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ナゼ、“ワケ”を伝えないのか?

「ナゼ、手を入念に洗うのですか?」
「ナゼ、マスクを着けているのですか?」
「ナゼ、フェイスシールド着けているのですか?」
「ナゼ、人との距離を2m保つのですか?」
「ナゼ、3密を避けるのですか?」
「ナゼ、活動自粛するのですか?」

街行く人にこれらの質問をして、どんな答えが返ってくるのだろう?

新型コロナウイルスは空気感染しないならば、人の広義の体液が伝染の媒体であると言えよう。(厚生労働省のウェブサイトでも取り上げられている2020年3月22日放送のNHKスペシャル“マイクロ飛沫”でわかり易く説明されている。)要は、如何に体液を拡散させないか?が最たる予防法である。

冒頭の質問に「他人の唾液などが自分にかからないよう、自分から飛ばないようにする為」と回答する人は本質を理解していると言える。

しかし、恐らくは本質を理解していないと思える回答が殆ど多くを占めるのだろう。

冒頭の質問は動作や行動という“事象”であって、“事象”だけを捉えて行う事が横行しているように思えてならない。「正しく恐れる」と言った言葉も然りで、それは“事象”に過ぎず、重要な事は“事象”と言う“表面的”な事ではなく、“事象”を行うための“本質”を伝える事。平たく言うと、やろうと推奨されている冒頭質問の様な予防方法を“ナゼ”やるのか?という“ワケ”を伝える事

“ワケ”の伝達不足が誤解や曖昧さとなり、結果的に人々を不自由にさせていると思う。本質の“ワケ”を伝えれば、各人工夫しながら日常暮らしに戻ろうとするのではないだろうか?

本質の伝達不足のまま緊急事態宣言解除をしても同じことが繰り返されるのは明白。更なる人命や経済的損失を伴いながら進んでいくのだろうか?


こうは言っているが、実は、本質的な問題は“ワケ”の伝達不足よりも“ワケ”を考えない各人の思考不足である。



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