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MOORE 第1話 世界の果てを目指せ 【#創作大賞2024 #漫画原作部門】


あらすじ

世界の果てを目指し、マシンと呼ばれるレーシングカーで世界を駆け巡る壮大で過酷な冒険レース MOORE(ムーア)。世界中の人々を虜にするレースにいつか共に挑戦することを夢見る少年、カイルとジル。かつて、カイルの母アイルとジルの父ジャンはMOOREの伝説的なドライバーとナビゲーターだった。だが、アイルはある年のMOOREで事故に遭い、行方がわからなくなった。カイルとジルは、ある少女との出会いをきっかけにMOOREを目指すことに。夢を追う少年と少女。レースに魅了された女。愛する人のため闘うことを選んだ男。時代は違えど同じ夢を追う彼ら。現在と過去が入り混じりながら、彼らは世界の果てを目指していく。


第1話

プロローグ
男がひとり、荒野にたどり着いた。
草すら生えない荒れきった世界の果てに。
男は古い車に乗って世界中を旅してきた。
その旅の終わりがこの荒野(MOORE)だった。
男は笑った。
あんなに長い旅をしてきて、
結局たどり着いたのが自分と同じ名前の荒れ果てた土地だったとはな。

男はその荒れ果てた土地を延々と走り続けた。
北も東も南も西も関係なく、ただひたすら心の赴くままに。
やがて、そんな荒れ果てた土地に一本の樹が生えているのを見つけた。
男はそこで車を止めた。
空に根を伸ばしたような不思議な樹だった。
男はその樹の根元に座り、世界の果てを眺めた。

その時男は思った。

世界の果てを目指して世界中を駆け巡るレースを開催したら、
人々の心をひとつにできるだろうか?

そこには、旅の途中で彼が見た終わりのない戦争や内紛、
テロ、虐殺などから、人々が少しの間だけでも解放されてほしい
という願いが込められていた。

「世界に平和が訪れる日なんて多分来ない。
でも、たとえ一瞬でも諍っていることを忘れられたら良いと思わないか?」

男はひとりそう呟いた。
男の名前はムーアと言った。


第1話
MOORE(ムーア)。
どこまでも広がる荒涼とした大地。
荒野に生える一本の樹(ワールド・エンド)を目指して走るマシン。
祝勝。
舞い散る紙吹雪…。

黒髪がところどころはねた小柄で好奇心旺盛な少年、カイル。
Tシャツにハーフパンツ姿で部屋の床の上に大判の本を広げて読んでいる。カラーやモノクロの写真の数々。
胸を高鳴らせながらページをめくっていく。

MOORE
それは4年に一度、
世界の果てを目指してマシンと呼ばれるレーシングカーで
世界中を駆け巡る壮大な冒険レース(ラリー)。

サイド・バイ・サイドでぶつかるマシンとマシン。
森の中では巨大で獰猛な動物の脇を走り抜ける。
大陸と大陸をつなぐ海に浮かぶ長い橋を全力疾走し、
崖のように切り立った岩場を下り、
壁のようにそびえる砂丘を登った先で大ジャンプを決める…。

激しいオーバーテイクがあり、壮絶なクラッシュもある。
メカニカルトラブルに泣くこともあれば、
機知と経験で逆転の戦略を生み出すこともある。

街を、山を、砂漠を、海を、都市を、氷の大地を、火山を、ジャングルを…それら全ての先にあるMOORE。
荒れた大地の地平線の先、太陽が沈む場所に立つ樹、ワールド・エンド。
この世界の果てを目指して壮絶な闘いが繰り広げられる

ここでアイルは闘っていたんだ…。カイルの心臓の鼓動が一段と高まる。
『俺もいつか…』


ぼんやりと頭に蘇るアイルの姿。アイルの、女性にしてはハスキーな声。
今よりもずっと幼い少年カイルはアイルの膝に載せられている。
優しくカイルの頭を撫でるアイルの手。

「最後まで走り続けていると、
だんだんこの世界にある何よりも速く走っているような気分になれるんだ。
太陽よりも月よりも速く……」


幼馴染みの少年、ジルがカイルの後ろから声をかける。
活発なカイルとは対照的で知的な雰囲気、
シルバー系のやや長めの前髪はさらさらしている。

「カイル、何やっているの?」

カイルの目が驚きで大きく見開かれる。
広げていた本をバタンと勢いよく閉じる。
後ろにいたジルは不審げにカイルを見る。

「…なんでもない!」
 
大きな本を脇に抱え、カイルはジルの横をすり抜けようとした時
その本のタイトルがジルの目にも入る。
【栄光のMOORE】

やっぱりあいつもMOOREに興味があるのか…
ジルは焦って走りながら部屋を出ていく少年をもの思わしげに見送る。
だけど、あいつも俺もMOOREを目指すことはできない…
ジルは切ない顔つきになって部屋を出ると、ある場所へと向かう。


同じ日の放課後、数人の生徒が一人の生徒の席の周囲に集まっていた。
「リッチくん、MOOREのチケット取れたの?」
「まぁね。」
まんざらでもない表情をするリッチという少年。薔薇色のぽっちゃりした頬。サスペンダーのついた半ズボンを履いて蝶ネクタイをしている。
「いいなぁ」
皆一斉にうらやましげな声を上げる。

「MOOREっていうのはさ…」
リッチのトリビアが始まった。
「そうなんだぁ」
「すごぉーい」

すると、輪の中にいたクラスのヒロインが、
近くにいたカイルを振り返って話しかけた。
「ねぇ、カイル君。リッチ君がMOOREのスタートVIP席で観るんだって。いいよね♪」
ヒロインはあくまでも無邪気な雰囲気。

リッチは話を途中でやめてカイルとヒロインの前にやって来ると
カイルに向かって憎々しげに見下した表情で言った。
「ぼーくのちーちうえが会場設営に関わっていてね、
頼まなくてもチケットが送られて来るんだ。
このぼーくに最もふさわしい特等席がね」
リッチは自慢しながら蝶ネクタイを引っ張った。
「きーみはMOORE観に行かないのかい?」

「別に…俺レースとか興味ないし」
リッチから顔をそむけるカイルは明らかに話をしたくない雰囲気。
それでもリッチはしつこく食らいついてきた。
「興味ないわけないだろ、カイルくーん。だって、世界で最も人気のあるイベントだよ」
「そうだよねぇ」周囲も同調してうなずく。

リッチは嫌味ったらしい目でカイルを睨めつけた。
「第一さ、きーみのはーはうえ(母上)ならチケット取れるんだろ?」

「なんでなんで?」
興味を持った全員がカイルを見つめた。
カイルが居心地が悪そうに立っていると、ここで切り札とばかりにリッチは皆に向かってトリビアを披露した。

リッチ「きーみのはーはうえ、あの『アイル』なんだろ?」

「アイル?」
「アイルって誰?」
「うちのお父さんが言ってた、あの…」

取り巻きがひそひそと話し始めた。
カイルは無言でノートやペンを乱暴にカバンの中に投げ入れた。
ピリピリした雰囲気。
間に立たされたクラスのヒロインはおろおろしながら両方を見やった。
リッチが憎々しげな笑みを浮かべながらさらに追い討ちをかけた。

「おーっと、そうだった。
きーみのはーはうえは8年前に事故って死んだんだったね」

リッチはそう言って高笑いした。ヒロインはショックで思わず口を押さえた。クラスメイトも恐る恐るカイルの様子を見た。

「じゃあ、チケットなんて取ってもらえるわけないか。ははは、残念だったね」

ブチン。

カイルの中で何かがキレる音がした。
「この野郎!」
教室の天井近くまで大きくジャンプして、真上からリッチに殴りかかろうとするカイル。
「アイルは死んでねぇ!!」

ちょうど教室に戻ってきたジルがカイルを止めに入るが、リッチは痣だらけの顔で泣き叫びながら捨て台詞を吐いた。
「覚えていろよー」
「やってみろよ。今度はフルボッコにしてやる」
そう言い捨てたカイルの頭をはたくと、ジルがカイルの首根っこを掴んで教室から引っ張り出した。ジタバタしながら引きずられていくカイル。

学校からの帰り道。旧市街を離れて、草原の中を歩くカイルとジル。羊が出ていかないよう石塀が築かれている。自分の身長よりも高いその塀の上を歩くカイルと塀に沿って歩くジル。
「カイル、なんであいつにキレたんだ?」
職員室で先生の手伝いをしていたジルは何がきっかけで喧嘩になったのか知らなかった。
「別に…」
どうしても理由を言いたがらないカイル。ジルはもの問いたげだったけれど、カイルが一度口を閉ざすと懐柔するのは難しいので諦めた。二人が無言で歩く後ろ姿……。


ジルは部屋を出てから家の別棟にあるガレージへと歩いていく。
アラフォーのガタイのいい男がガレージにあるクルマの下で作業している。つなぎを履いた足だけが車両のフロント部分から覗いている。仰向けになって、脚回りか何かいじっている。

「親父」とジルが声をかける。

ジャン(親父)が、工具を手に持ったままクルマの下からシャーと勢いよく出て来る。車輪のついた板のついた台車のようなものに背中を乗せている。それは使い古されていてボロボロ。上半身は筋骨隆々。特に胸筋と上腕筋の盛り上がり方が半端ない。白いぴったりとしたタンクトップに油染みのついたつなぎ。つなぎの袖は腰のところで縛ってある。黒くてごわごわした髪にもみあげからつながる顎髭。

「何だ、ジル?」
「うん、ちょっと…」ジャンから目を逸らして言い淀むジル。
「なんだ? なんでもこの親父に相談してみ?」
ジャンは起き上がって胸にどんと拳をあてている。誇らしげな顔、頬がつやつやしている。バックはキラキラしたものがとんでいる。
「もしかして…恋か?」
ジル、そんなジャンの様子をさらっとスルーする。ジャンはちょっとショックを受けたような表情を浮かべる。ジルはジャンと目を合わせずにぽつりと言う。
「カイルが今日クラスの奴とケンカした」
「あぁ? そりゃ上等じゃねえかよ」

「クラスの奴がアイルとカイルのこと知っていて、アイルが死んだとか言ったんだ」

呑気そうなジャンの顔が急変し、シリアスな顔つきになる。
「そうか…」
二人とも黙り込む。少ししてジルがぽつりと言う。

「さっき、カイルがMOOREの本を読んでいた。でも、俺が話しかけたらあいつ本隠してどっかに行っちゃった」

「あいつはアイルの息子だからなぁ」とジャンは懐かしそうに言う。
「血は争えねぇよな」

遠くを見つめる切なそうなジャンの顔。普段はおちゃらけキャラなのでそんな顔はしない。それがジルの心を締め付ける。ジル、何かを決意したかのようにジャンに向かって言う。

「親父、いつかカイルとMOORE目指しちゃダメか?」

ジャン、ジルから背を背けて工具を静かにツールボックスの中に戻す。金属の触れ合うカチンと言う音がやけに大きく響く。

「ダメだ。お前らは絶対にアイルの二の舞にはさせない」

そう言うや否や、ジャンは別の工具を手に取り、再び粗末な車輪のついた台車に背中を乗せてクルマの下に潜り込んだ。心配そうな悔しそうな表情になるのを息子に見られたくない。

ジルは諦めてガレージを後にしようとする。ジルがジャンに背を向けて歩き出したところで、ジャンがもう一度車の下から出てくる。

「…でも、観に行くだけならいいぞ、MOORE」

「マジ!?」ジルは走り出す。カイルのもとへ。「やったぁ!」

「人の話、最後まで聞けよ…」ポツンと取り残されるジャン。
「おーい…」

朗報を胸にジルが走っていくと、近所を流れる小川沿いにいるカイルを見つける。カイルは川を見ながらぼーっとしている。心ここにあらずと言ったような。なんとなく諦めたような感がある。
川の先に見えるのは旧市街。ドイツの田舎町のような、壁に囲まれた旧市街は、通称「始まりの街」と呼ばれており、MOOREのスタートポイントとしてよく知られている。旧市街地の先には草原が広がっているのが見渡せる。
ジルが、しゃがんでいるカイルのもとまで走って来て叫ぶ。
「カイルー! 親父が今年のMOORE観に連れて行ってくれるって!」
息を切らしながら伝えるジル。ジルの言葉に即座に反応するカイル。
「本当か!?」
カイルはぼーっとした暗い顔から興味津々の顔に豹変して大きくジャンプする。尋常じゃないバネから、人並外れた身体能力がわかる。

「やったぁ! これ逃したら次4年後だもんな」
カイルはくーっ、たまらないぜという顔でジルと二人でガッツポーズを取る。


<MOOREのスタート当日>
青い空に白い雲が浮かぶ。賑わう会場。旧市街にある始まりの広場と呼ばれるスタート地点から街の外れに至るまでコース脇に特設スタンドが組まれ、その周囲を多くの人々が行き交っている。広場の一部は立ち入り禁止で、関係者向けのパドックとなっている。レースに参加する車両はそこで最後のチューニングを行っている。鳴り響くエンジン音。売り子が叫ぶ声。観客のざわめき。レースを中継するTVクルーがカメラを回している。わいわいとした祭のような雰囲気が広がっている。

会場に集まった人の山をかき分けて進むカイル、ジル、親父の3人。世界中から訪れる人々の異なる肌の色、髪の色、瞳の色、まったく異なるファッション。そのエキゾチックな空気感が高揚感をまた一段と高めている。

ジルとカイルがMOOREのスタートを生で観るのは初めて。ジャンに連れられて特設のパドックを訪れる。カイルがひそひそジルに話しかける。

「こんなところ入っていいのか?」
「一般の観客は立ち入り禁止なんだぞ、ここ!」

「おーい、お前らこっち入らないのか?」

「いま行く!」

カイルとジルは圧倒されつつも周りをキョロキョロ。落ち着きなくあちこちを見て歩く。ジャンはパドック内に知人が多いらしく、周囲の様々な関係者から声をかけられている。

通称マシンと呼ばれるレース車両の外観形状に決まったルールはない。(出力、トルク等で大きな差が出ないよう、車重等に応じた動力機関に関してのレギュレーションはある)。
空気力学を考慮した流麗なデザインのマシンでも、ボンネットの内側のエンジンが秘めるパワーはパリダカ車両並み。

カイルとジルはあるピットの前で足が止まる。ジルとカイルの目の前にあるマシンのモデルは、フィアット・アバルト124ラリー。マシンカラーは深みのあるボルドー。うっとりとしながら、ぴかぴかのマシンをさわろうとするカイル。

「下手に触ると殺されるぞー」
ジャンは、どこかの関係者と話し込んでいるので遠くから声をかけている。

「おい、何触ろうとしてるんだ?」

背後から聞こえる怒鳴り声にどきっとするカイルとジル。カイルとジルからでは足元しか見えず、どんな容姿の関係者かわからない。怒られたカイルとジルが振り返る。二人とも「えぇっ!?」と驚いた顔をする。

『小学生!?』

カイルとジルとたいして変わらない、150㎝弱の華奢な子供がレーシングスーツを着て二人の後ろに立っている。金髪のショートボブにくりっとした大きな瞳が印象的な少年。

『くそ、こんなガキでもMOOREに出られるっていうのか!?』
カイルの闘争心に火がつく。

「お前のマシンか、これ?」

「そう、だから触るなって言ってるだろ? これだから地元のガキは礼儀がなってないんだよ」
子供はカイルたちとマシンの間に割り込む。
「はーい、離れて離れて」

「口の聞き方もわからない礼儀知らずはどっちだ、ガキ?」

カイルが子供の胸ぐらをつかもうとしたので、カイルのもとにジルが駆け寄ると違和感があることに気がつく。少年にしては声が高い。それにレーシングスーツの胸元が膨らんでいる。雑誌で見た時とは髪型が違っていたからすぐにわからなかったけどこの子、ミアだ…。

「この子女の子だ。あの…」
ジルがカイルに向かって囁く。

「女子!?」

カイルはショックを受けた顔をする。(自分たちとたいして年の変わらない女子が世界のトップドライバーとしてMOOREに出るということに)

「女がレースやって何が悪い?」

ミアはわざとレーシングスーツの襟元を緩める。華奢な体に似合わない胸の谷間がのぞく。見慣れていないジルは戸惑って目を逸らす。カイルはまったく気にしていない。

「あんたたちさぁ…。アイルって知らないの?」

ジルがこっそりとカイルを横目で見る。カイルは表情を変えることもなく少女をじっと見つめている。

「伝説の女性ドライバー。世界で初めてMOOREに出場した女性ドライバーで、優勝まであと一歩のところまで迫ったの。でも8年前のMOOREで崖から落ちて亡くなったって…」

カイルの胸にずきっとしたものが走る。映像で見たアイルの走る姿、ほとんど覚えていないはずのアイルとの生活が断片的に蘇る。カイルの心がフリーズし、無表情になる。 

『やっぱり皆アイルを死んだものと思っている…』

そんなカイルの様子に気がついたジルが、話をさえぎる。カイルは、見た目と違って意外とメンタルが繊細なところもある。カイルがこれ以上傷つく前に早くこの場を離れた方がいいだろう。

「さっきはすみませんでした、レースでの健闘を祈ります」ジル、カイルを促す。

「カイル、行こうぜ」

ミアはカイル、という名前を聞いてピンとくる。

『カイル…? どこかの記事で読んだことがある気がする。アイルに息子がいたって。確かカイルだったはず…』

「待って」
ミアがカイルの腕を取る。カイルをじっと見つめるミア。まるでそこにアイルの面影があるか探すかのように。

「ごめん。私の話、最後まで聞いて」ミアはカイルの瞳をのぞきこむ。

「私、アイルみたいになりたいの。彼女は私の憧れで目標なの。私は彼女が死んだなんて思ってない。きっとこの世界のどこかにいる。だから私はMOOREに出場して、この世界のどこかにいる彼女を見つけ出したいと思っていたの。私これから始まるMOOREでアイルを見つけ出す。そしていつか彼女と勝負する…!」

カイルの心が少し心和らぐ。ほっとしたような泣きそうな表情。
『俺だけじゃなかったんだ、アイルが死んでないって信じているの』

「私、ミア。よろしくね、カイル」と彼女は手を出す。ミアとカイルが握手を交わす。

その次の瞬間、カイルの目に信じられないものが飛び込んでくる。

ミアの頭越し、遥か後方を人が過ぎ去っていくのが見える。大勢の人が行き来しているのに、なぜその人にだけ目がいったのか? 焦点がミアから後方の人間に移る。ミアはほとんどフレームアウトし、その人にだけ焦点が絞られる。その人の肩に。 

朧げな記憶に残るあのタトゥー。

ライトブラウンのロングヘア。裾がエレガントに広がった白いノースリーブのワンピースドレス。ドレスに合わせたつばの広い白い帽子。写真やおぼろげな記憶にある昔の彼女とはまったく違う女性らしい出で立ちだが、あれは…。

「あ…」

愕然としたカイルは、握手もそこそこに突然走り出す。カイルの後ろで呆気にとられるミアとジル。

「何があったんだ!?」
「カイル!?」
ジルとミアは顔を見合わせる。

カイルは全力で走るが、スタート前でパドックも人とマシンとでごった返している。背の高い大人たちの間に無理矢理身体をねじ込んで先に進むもうとするが、白い帽子の女性は見え隠れしながらどんどん遠ざかっていく。

『アイル、アイル…』

カイルの心の声がどんどん大きくなっていく。

「アイルー!!」

カイルは人の波に呑まれながら、女性に向かって叫ぶ。
一瞬、白い帽子の女性が止まって振り返ろうとしたように見えた。
だが、それも一瞬で、次の瞬間には再び人波に呑まれて見えなくなった。

『アイルじゃなかったのか…』

がっくりとするカイル。カイルに追いつくジル。うなだれるカイルの肩に腕を回す。
「カイル、大丈夫か? そろそろ戻ろう」

スタートグリッド脇に設営されたVI P席。グリッドに並ぶクルマたちを一望できる高さ。周りはいかにも金持ちそうな連中ばかりで、いつものつなぎにタンクトップという親父と、Tシャツにハーフパンツのカイル、ポロシャツにカーゴパンツのジルという3人は完全に浮いている。(ちなみにリッチは最上段の端の方に座っている)
せっかくの席なのに、さっきの出来事から塞ぎこんでしまったカイル。ジルは周囲を見渡す。セレブな大人たちに囲まれて、端正な顔立ちの少年(アラン)が座っている。カイルとジルより少し年上。金ボタンのついた紺のジャケットにネクタイまでしめている。淡いブルーグレーの髪色が目を引く。きちんと両膝に手 を載せてスクリーンとグリッドとを交互に見ている。その瞳は淡いブルーで、氷のように冷たく見える。
「俺らの他にも観客席に子供いる」とジルはカイルに話しかけてみるが、返事はない。

氷のような少年アランも、ジルとカイルに気がつく。
『僕の他にもこんなところまで入れる子供が他にもいるのか…それにしても随分と場違いな家族だな…』

その時、白いタンクトップを着た男の顔がアランの目に止まる。アランの祖父の邸宅に飾られてあったMOOREの祝勝パーティーの写真。多くの著名なドライバーやナビゲーターが写った写真がいくつも並んでいた。そこに写っていた謎の男。兄が昔、その秘密を教えてくれた…。
『昔とは風貌がまったく異なるけれど、まさかあの人は…!?』

「なんでただの街のメカニックなのにこんな良い席が取れるんだ、あの親父は?」
仕事以外はダメ人間な親父のことをジルは初めて見直す。
「さぁ」
言葉少ないカイル。

『やっぱりジルとカイル連れてきてよかったなー』
この熱気と興奮、肌までビリビリと震えるようなエンジン音はやっぱり現場じゃないとなと思いながらジャンは嬉しそうに周囲を見渡す。

パドックを歩いていた時、懐かしさに胸が込み上げてきた。パドックで最終調整を行なっていたメカニックたちの姿、マシンに乗り込もうとするアイル、そして…

その瞬間、ジャンの目が見開かれ、口が大きく開く。自分の目に映ったものをにわかに信じることができなかった。ほんの一握りしか入ることのできないガラス張りのVIPボックスにいる女性、あれだけ長い時間を共に過ごした、誰よりも大切だったひとがなぜそこに…?

ジャンが立ち上がろうとすると、一際大きな歓声が上がる。


「…さぁ、今大会注目のドライバーをご紹介しましょう…史上最年少でMGを制したミア・クリフ! 女性としてはあのアイルに次ぐ史上二番目、そして若干19歳という史上最年少でのMOOREへの挑戦です!彼女がどんなレースを繰り広げるのか楽しみですね」

「そうですね。ミア自身、アイルに次ぎ、アイルを超えていくと明言していますからね。まだキャリアの浅いドライバーなので結果が残せるかには疑問が残りますが、今後も含め期待したいですね」

「…そしてナビゲーターは、キャリアわずか1年半で世界最高峰のMOOREにまで上り詰めてきたクリスティーナ・ヴィッキーナ・ディアス」

「彼女に関してはほとんどの情報が公開されていません。謎に包まれたまま彗星のように現れたナビゲーター。ミステリアスな容姿にも注目です」

二人がスタートグリッドに登場し、観客に向かって手を振る。ヴィッキーナはミルクチョコ色の肌にセクシーで涼しげな目元。背が高くスレンダーなモデル体型。歓声に応えた後、二人はヘルメットを被りサングラスタイプのゴーグルをかけると(まだフルヘルメットの時代ではない、クラシックなジェットタイプのヘルメットにゴーグル)マシンに乗り込んでいく。

「ミア・クリフ、19歳(もっと年下に見えたけど)。きっとそうかなとは思っていたけれど、史上最年少ドライバーだったんだ」

ジルの言葉にカイルは一瞬ぴくっとする。
「そうなんだ…」悔しげな表情。

『俺も19になる頃までにMOOREに出場することができるのかな…』
気持ちばかりが焦るカイル。

「ミア、お前のこと気にしてたよ」
カイルはジルと目を合わせようとしない。
「カイル、さっき何があったんだ?」

カイルはジルに言おうかどうしようか悩んでいる素振り。膝を抱えたままぼそっと言う。

「…さっき一瞬、アイルみたいな女の人が見えた」

「本当か!?」
ジルの驚きの表情。

「急いで追いかけたけど見失った…」

「見間違いじゃないのか?」

「…肩のタトゥー」とカイルが呟く。

「虹色の翼の?」

「あぁ」アイルの代名詞とも言えるタトゥー。

「じゃあアイルがもしかしたらこの会場にいるかもしれないってことか!?」
カイルを問い詰めるジル。

「…かもしれない」力なく答えるカイル。

カイルはミアと交わした会話を突然思い出す。
「きっとアイルを見つけ出す。」

なんで俺、そんなことに気がつかなかったんだ? MOOREを目指して走ればいつかアイルを見つけられるのか?

「俺もMOOREに出られるようになったら、アイルのこと見つけられるかな?」

観客の声援が徐々に大きくなっていく。

カイル、スタート直前の興奮と希望とが相まって徐々に胸が高鳴っていく。

ジル、うなずく。

「俺たち二人ならアイルも見つけられるし、アイルをも越えられる」

高まる実況の声。アクロバット飛行をしていた飛行機の機体から赤、白、青の煙が順に上がる。

青い煙はレーススタートの合図だ。白い煙が途絶え、そして青い煙に変わる。急激に回転数を上げるエンジン音、突如巻き上がる風、タイヤノイズ。人々の歓声、ホーンの音、鳴り響くファンファーレ。 

マシンがカイルとジルの前を猛スピードで走り去っていく。

その瞬間、カイルとジルの背中を電流のようなものが走り抜ける。

二人の顔が一気に興奮に沸き立つ。

「うわぁ…」

背筋がぞくぞくしてくる。武者震いするカイル。

「俺、MOOREで走りたい」

「俺もだ」

ジルも目線はレースに据えたまま返事をする。

爆音を上げたマシンが猛スピードで旧市街の中を走り抜けていき、興奮したスタンドから上がる地鳴りに似た歓声は止むことはない…。

 

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